「キッシンジャー氏の遺産と評価」(BBC NEWS JAPAN・Pars Today・Sputnik日本・中国国際放送局)

キッシンジャー氏の遺産と評価」(BBC NEWS JAPAN・Pars Today・Sputnik日本・中国国際放送局









BBC NEWS JAPAN)

https://www.bbc.com/japanese/67574596





キッシンジャー元米国務長官が死去、100歳 米外交に大きな影響





2023年11月30日







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ヘンリー・キッシンジャー氏(写真は2019年)






冷戦期のアメリカで国務長官として外交政策を担ったヘンリー・キッシンジャー氏が29日、死去した。100歳だった。





キッシンジャー氏が設立した政治コンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエーツ」が発表した。米コネチカット州の自宅で亡くなったという。死因は公表されていない。



1970年代半ばに公職から退いたが、その後何十年にもわたって、さまざまな世代の指導者たちから意見を求められ続けた。



ジョージ・W・ブッシュ元大統領は、アメリカは「外交問題に関して最も信頼でき、特徴的な声のひとつを失った」と、追悼した。



リチャード・ニクソン大統領の娘のトリシャ・ニクソン・コックス氏とジュリー・ニクソンアイゼンハワー氏は、キッシンジャー氏の人生は「とてもユニークで、徹底してアメリカ人だった」と述べた。



ヘンリー・キッシンジャー氏は、平和の大義を推進した数々の功績により、長く記憶されるだろう。しかし私たちが決して忘れることができないのは、その人柄だ」





外交政策に大きな影響



1923年にドイツで生まれたキッシンジャー氏は、家族と共にナチスから逃れ、1938年にアメリカにわたった。故郷バイエルンのなまりは生涯続いた。



1943年にアメリカの市民権を得て、米陸軍に入隊。対諜報部隊に3年間所属した。



その後入学した米ハーヴァード大学では、学士、修士、博士学位を取得。その後、同大学で国際関係を教えた。



1969年、当時のリチャード・ニクソン大統領はキッシンジャー氏を国家安全保障担当の大統領補佐官に任命。アメリカの外交政策に大きな影響力を持つようになった。1973年に国務長官も兼任した。



1977年までの8年間で、ヴェトナム戦争へのアメリカの関与を終わらせ、中国との国交を正常化し、1973年の第4次中東戦争ではエジプトとシリア、イスラエル間の敵対行為を停止させた。シャトル外交という考え方はこのときに生み出された。







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中国の周恩来首相とキッシンジャー氏(1971年)






キッシンジャー氏は中国で不滅の人気を誇り、訃報はすぐにソーシャルメディアの「微博(ウェイボー)」でトレンド入りした。



中国中央電視台の英語放送「CGTN」は、キッシンジャー氏を「中国国民の古い友人」と呼び、死去を伝えた。



中国中央電視台の放送では、米中関係で重要な役割を果たした同氏を、「伝説の外交官」「生きた化石」と説明した。



一方でキッシンジャー氏は長年にわたり、人権よりもソ連との対立を優先させたり、チリのアウグスト・ピノチェト政権をはじめとする世界中の抑圧的な政権を支援したりしてきたとして、痛烈な批判にさらされた。



しかしキッシンジャー氏自身は、こうした批判を相手にしなかった。



100歳の誕生日直前の米CBSの取材では、「批判する人々の無知を反映している」と語っていた。



キッシンジャー氏は1973年、北ベトナムのレ・ドゥク・ト氏と共にノーベル平和賞を受賞した。レ・ドゥク・ト氏は賞を辞退している。



この授与は議論を呼び、ノーベル委員2人が辞任している。







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キッシンジャー氏は第4次中東戦争の調停のために積極的に中東を訪問し、「シャトル外交」というアプローチを生み出した






キッシンジャー氏は1977年に政府の職から退いたが、その後も公共問題に関するコメンテーターとして活躍し続けた。故ジョン・F・ケネディ氏から現職のジョー・バイデン氏までの12人の歴代大統領や議員らも、しばしば同氏に助言を求めた。



また、さまざまな企業の役員を務め、外交政策や安全保障のフォーラムにも顔を出した。著書は21作に上る。



キッシンジャー氏は今年5月に100歳を迎えたが、7月には中国の習近平国家主席と会うために北京を電撃訪問するなど、晩年になっても精力的な活動を続けた。同氏は、毛沢東氏から習近平氏までのすべての中国の指導者と直接やりとりした唯一のアメリカ人でもある。



この訪問はホワイトハウスを憤慨させ、国家安全保障会議NSC)のジョン・カービー報道官は、「民間人が中国指導者に接触できるのに、アメリカ政府は接触できないのは残念だ」と遺憾の意を示した。



キッシンジャー氏は2022年7月、99歳の時の米ABCのインタビューで、自分のこれまでの決断で撤回したいものはあるかと質問され、「私はずっとこれらの問題について考えてきました。私の趣味であり、職業でもある」と述べ、こう続けた。



「そして、私が行った提言は、その時の私にできる最善のものだった」



キッシンジャー氏には、50年近く連れ添った妻のナンシー・マギネス氏がいる。前妻との間に2人の子供がおり、孫も5人いるという。





(英語記事 Ex-US Secretary of State Henry Kissinger dies, 100





関連トピックス 中東 外交 アメリカ 中国 政治 軍隊 アジア ベトナム











(Pars Today)

https://parstoday.ir/ja/news/world-i121096





キッシンジャー元米国務長官死去、沖縄返還交渉に関与





11月 30, 2023 15:47 Asia/Tokyo







ヘンリー・キッシンジャー





ニクソン、フォード政権で大統領補佐官(国家安全保障担当)、国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー氏が29日水曜、米コネティカット州の自宅で死去しました。100歳でした。





報道各社によりますと、キッシンジャー氏は日米関係では沖縄返還交渉に深く関与。交渉の日本側密使だった若泉敬京都産業大教授との間で、緊急時に沖縄への核兵器の再持ち込みと通過の権利を認める内容の秘密合意議事録(核密約)を作成しました。



さらに、ベトナム戦争休戦や米中国交正常化に尽力したほか、07年には核廃絶を訴える共同提言を発表し、当時のオバマ米大統領の核政策に影響を与えました。



そして、戦後の米ソ対立の構図に中国を加え、大国間のバランスに配慮した外交を追求し、73年には、ベトナムとの和平協定づくりに貢献したとしてノーベル平和賞を受賞しました。



さらに、旧ソ連との間では弾道ミサイルの増強に歯止めをかける72年の第1次戦略兵器制限条約(SALT1)の締結など、緊張緩和(デタント)政策を推進しました。



77年の国務長官退任後も外交評論家として活躍を続け、世界情勢の「ご意見番」の役割を長く果たしてきました。



また100歳となった今年7月には、中国を訪問して習近平国家主席と会談しています。



なお、岸田首相は30日木曜、キッシンジャー国務長官の訃報を受け、「米中国交正常化など地域の平和と安定に大きな功績を残された。私自身も若い頃から度々お会いし、知見をたまわった。偉大な足跡に心から敬意を表する」と語り、哀悼の意を示しました。







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タグ ヘンリー・キッシンジャー











(Sputnik日本)

https://sputniknews.jp/20231130/17748805.html





キッシンジャー氏が遺したこと プーチン氏はなぜ彼に耳を傾けたのか





2023年11月30日, 20:40







© AP Photo / Susan Walsh





米国の外交政策の柱の一人であり、米ソの緊張緩和を提唱してきたヘンリー・キッシンジャー氏が死去。キッシンジャー氏は冷戦後、10回を超すモスクワ訪問を行い、その都度ウラジーミル・プーチン氏と会談してきた。それは、実はプーチン氏がまだ大統領に選出される前から続いていた。





外交と対話



ヘンリー・キッシンジャー氏は自国の国益を断固として主張する力があり、今の西側の政治家らの狂気と粉砕を背景にしながらも外交と対話の再生を図ろうとした有能な外交官として歴史に名を遺すだろう」クレムリンキッシンジャー氏の逝去にこうした声明を表明。



ロシアがこう評すキッシンジャー氏の方は、2016年のモスクワ訪問の際にプーチン大統領について、こんな感想を述べていた。





「ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、自国の国益を明確に計算し、断固として譲らない。そしてその国益には独自の特徴がいくつもあることを正当に示している」




自国の国益を擁護し、全ての問題を対話を通じて解決する。まさにこの資質がキッシンジャー氏とプーチン氏を近づけ、お互いにとって興味深い対話相手にさせていた。





民主主義? それとも権力の空洞?



キッシンジャー氏がプーチン氏を独裁者呼ばわりしたことは一度もない。またロシアを非民主主義国と扱いしたこともなかった。キッシンジャー氏は、「今日の世界では、脅威は国家権力の集中からではなく、国家権力の崩壊の結果、生じることが多い。権力の空洞が拡張すれば、かつてどれほどの威信を誇った国であろうとも、それには対抗できない」と指摘していた。







日本は5年で核大国となる=米元国務長官

5月18日, 08:51






多極世界は不可避



キッシンジャー氏は米国とその同盟国に対し、新国際システムの形成過程においてロシアの声に耳を傾けるよう助言していた。キッシンジャー氏とプーチン大統領は、米露が長期的に利益を得るには、現在の混乱と不安定さを新たな多極的均衡へと転換するような世界秩序が必要との認識で一致していた。





米国 ウラジーミル・プーチン ロシア 政治











中国国際放送局

https://japanese.cri.cn/2023/12/01/ARTIXFEpnh6XrTeFIgp4sWs9231201.shtml





【CRI時評】「キッシンジャー氏の知恵」は米国に残された最も貴重な遺産である





2023-12-01 11:49:52 CRI











現地時間11月29日、中国人民の古い友人である米国のキッシンジャー国務長官がこの世に永遠の別れを告げた。享年100歳だった。第二次世界大戦後の米国で最も著名な外交官として、キッシンジャー氏は中米外交における接触、中東情勢の調停など多くの方面を推進し、卓越した貢献をした。北京時間30日、中国の習近平国家主席は米国のジョー・バイデン大統領にキッシンジャー氏の逝去を悼むメッセージを送り、キッシンジャー氏の名は永遠に中米関係と共にあり、キッシンジャー氏は永遠に中国人民から忘れられることはないと述べた。



キッシンジャー氏の外交の知恵は、彼の世界史に対する深い理解に基づき、国際関係の法則に対する正確な把握から生まれている。一人の古典的な現実主義者として、キッシンジャー氏はイデオロギー的な偏見を超え、米国国内政治の偏狭さから踏み出して、米国の真の国益に基づいて、知恵に満ちた外交活動を展開することができた。



中米関係の氷解を推進したことは、キッシンジャー氏の外交の生涯において最も注目される成果であることは疑いない。1971年、キッシンジャー氏はひそかに訪中し、中国側と協力して1972年のニクソン大統領の中国訪問を実現させ、「太平洋を越えた握手」を実現させた。キッシンジャー氏の訪中は50数年で100回を超え、中国人民の「古い友人」と言われている。



今年の7月、習近平主席は北京で100歳の誕生日を迎えたばかりのキッシンジャー氏と会見し、彼が中米関係の重要な節目と中米関係正常化プロセスの始まりに携わって果たした重要な貢献を称賛した。



キッシンジャー自伝の著者、米国バンダービルト大学の歴史学教授シュワルツ氏の見解では、キッシンジャー氏が米国政府に真にもたらしたものは中国に対する理解である。そして、こうした理解は中国の歴史文化を評価することによってもたらされた。キッシンジャー氏は、中国文化には拡張主義の傾向はなく、むしろ思慮深く、内向きな社会であり、米国は中国と接触すべきだと考えていた。



中米関係が困難な課題に直面している現在の情勢下、米国はキッシンジャー氏のような米国内の政治的二極化を超えて中国の歴史文化を理解し、中米の共通の利益を客観的に捉えられるより多くの政治家を必要としている。



1970年代、第4次中東戦争の際、キッシンジャー氏は限られた時間で関係国を集中的に往復し、停戦の促進に努力し、地域紛争が大国同士の危機にエスカレートするのを避けるとともに、後世「シャトル外交」と呼ばれるユニークな外交スタイルを作り上げた。



現在、パレスチナイスラエルの衝突が再度エスカレートしている。キッシンジャー氏に対する人々の思いには、衝突と危機を同様の賢明な方法で解決したいという願いが託されているに違いない。(CRI論説員)







―参考―















(Pars Today)

https://parstoday.ir/ja/news/world-i121150





視点





キッシンジャー氏は外交官か戦争犯罪者か?





12月 02, 2023 19:13 Asia/Tokyo







キッシンジャー氏は外交官か戦争犯罪者か?





先日亡くなったヘンリー・キッシンジャー氏については、アメリカの戦争体制を作った張本人なのか、それとも自身が戦争体制の産物なのかという問いが、常に提起されてきました。最近も米メディアは、同氏が世界で少なくとも300万人の死に関与したと指摘しています。





激動の時代にアメリカの外交を担い、20世紀で最も重要で最も物議を醸してきたキッシンジャー氏が29日水曜、100歳で死去しました。



同氏は、リチャード・ニクソンおよびジェラルド・フォードの両大統領時代に国務長官および安全保障担当大統領補佐官を務め、1977年に政府の役職から退きましたが、その後も同氏の意見は依然として、アメリカの外交政策において重要なものと見なされていました。



キッシンジャー氏は、 1973年に「ベトナム戦争の和平交渉に貢献した」としてノーベル平和賞を受賞しましたが、これは最も物議を醸した受賞のひとつとなり、選出に関わった2人のノーベル委員会委員の辞任にもつながりました。



ベトナム戦争は実際のところ、キッシンジャー氏の安全保障政策を採用したことで長期化し、アメリカが中立国だったカンボジアに対し北ベトナム側への補給を絶つためとして秘密裏の空爆を行うに至りました。



アメリカ国防総省が1973年に発表した報告書によれば、米国国家安全保障会議キッシンジャー氏が大統領補佐官として取り仕切っていた時代に、1969年から1970年にかけてのカンボジアへの3875回の爆撃すべてを承認したほか、これらの攻撃に関する情報を新聞に漏れないよう統制していました。



キッシンジャー氏はベトナム戦争でさらに、カンボジアだけでなくラオスの国土をも違法かつ秘密裏に戦場としました。国際的人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチが2001年に発表した内容によれば、キッシンジャー時代の同戦争関連の爆撃により、約35万人のラオス人と60万人のカンボジア人が死亡したということです。



キッシンジャー氏の政策はこのほかにも、カンボジア東ティモールバングラデシュでの大量虐殺を後押しし、アフリカ南部で内戦を加速させ、ラテンアメリカ全域でのクーデターや暗殺部隊を支援しました。



アルゼンチンでは1976年、選挙による民主政権がクーデターにより軍事政権に置き換わり、同政権は同年から1983年にかけて、キッシンジャー氏の奨励により後に「汚い戦争」として知られることとなるテロを推し進め、反政権派、学生、労働組合員らが殺害されることとなりました。英ガーディアン紙は、「汚い戦争」により逮捕され拷問の末殺害された人々は約3万人と推定されているものの、その多くは遺体すら見つかっていないとしています。



ポルトガルからの独立を宣言した東ティモールは、1975年11月に隣接するインドネシアから軍事侵攻を受け、20年以上占領されましたが、国連が少なくとも10万人の死者が出たと報告しているこの侵略は、キッシンジャー氏のゴーサインのもとに実行されました。



バングラデシュは、1971年にパキスタンの攻撃を受け、数十万人のベンガル人が殺害され、数百万人が難民となりましたが、その際もキッシンジャー氏は、パキスタン勢力を徹底的に支援していました。



アメリカの著名な歴史学者であるグレッグ・グランディン氏は、キッシンジャー氏の行動によって、単純に計算しても世界で300万人から400万人の人々が殺害される結果になったと指摘しています。



また、ニューヨーク州検事総長代理を務めたことのあるリード・ブロディ氏は、キッシンジャー氏ほど世界の様々な場所で死や破壊、人の苦しみに関わった人物はいないだろうと述べています。



キッシンジャー氏がベトナム、アルゼンチン、バングラデシュカンボジア、チリ、その他世界各地の数百万人の人々に遺した負の遺産は、アメリカの戦争体制から切り離すことができないのです。







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タグ アメリカ 戦争犯罪 ヘンリー・キッシンジャー









(投稿者より)



この50年間の大国のパワーバランスによる世界秩序の中心に居られた方でした。氏は中国を国際政治の一極にまで育てましたが、日本は嫌いだったようです。他のこともあり氏の評価は別れますが、これも1つの時代の終わりを示す出来事と感じました。故人の御冥福をお祈り致します