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日本に社会現象を起こすようなIT企業が生まれない理由とは?(人民網日本語版):阿修羅♪

日本に社会現象を起こすようなIT企業が生まれない理由とは?(人民網日本語版):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/408.html









http://j.people.com.cn/n3/2019/0515/c94476-9578462.html





日本に社会現象を起こすようなIT企業が生まれない理由とは?





人民網日本語版 2019年05月15日15:30





情報技術(IT)産業で社会現象を起こすような企業といえば、中国にはBAT(百度バイドゥ>、阿里巴巴<アリババ>、騰訊<テンセント>)があり、米国にはGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)がある。日本はどうかといえば、誰もが思い浮かべるのはソニーパナソニック、日立といった伝統的電子製品メーカーだ。日本にはサービスに特徴があるインターネット企業がなく、日本が誇る製造業分野でも、携帯電話などのモバイルインターネット設備産業で日本企業は相次ぎ敗北を喫している。これは一体どういうことだろうか。新華網が伝えた。(文:霍建崗・中国現代国際関係研究院日本研究所副研究員)



新しい産業を育成するにはさまざまな条件をクリアしなければならない。なかでも冒険心が最も核心的な必要条件かもしれない。中国IT産業は2つの世紀にまたがって勇猛果敢に躍り出た若い開拓者たちに多くを負っている。しかし日本経済では伝統的に縦割りや年功序列が重んじられる。企業内では、新しい発想をもった若者は頭を押さえつけられ従順になることを求められ、左遷されることもある。社会では、冒険心に富んだ「パイオニア」は正しい道を外れた反逆者とみなされがちで、排除されやすい。たとえばライブドアはかつて日本中で知らない人のいないほどのポータルサイトであり、押しも押されもしないインターネット企業だったが、堀江貴文社長の独立不羈の言動が日本のビジネス界のリーダーたちから総攻撃され、排除された。堀江社長証券取引法違反容疑で逮捕されると、ライブドアも徐々に低迷していった。



三菱、パナソニックソニー、日立などの伝統的電子製品メーカーは、人力でも物力でも、さらには財力でも社会現象を起こせるIT企業を育成できる実力を備えながら、結果として1つもこうした企業を生み出せなかった。ここ数年はますます状況が悪化し、名門企業のシャープですら台湾地区の鴻海集団に身売りせざるを得なくなっている。これは実は日本に「経路依存性」の傾向があることが原因だ。かつて日本の電子製品メーカーは世界市場で「トップ」を占めていたが、極めて成功していたからこそ、これまでの路線を引き続き歩むことをよしとし、外部で起きている変化を軽視するという状態に陥りやすくなり、世界規模で新興産業が勃興した時にはもう手遅れだった。日本だけでなく、他国にもこうした例はある。最も有名なケースはかつて「携帯電話の王者」と言われたフィンランドノキアで、非常に大きな成功を収めていたからこそスマートフォンの発展状況への反応が鈍くなり、結果的にアップルやグーグルなどの新鋭に打ち負かされることになった。



冒険心や革新(イノベーション)の精神の欠如は、日本文化に染みついた保守性のためだけでなく、日本の人口構造の持続的な高齢化もその原因と言える。日本では15歳以上60歳未満の生産年齢人口(中国の定義に基づいており、日本では15歳以上65歳未満)が1993年をピークに減少の一途をたどり、高齢者の増加が社会のムードをより保守的な、開拓心を欠く方向へと導いている。どんな産業でも、立ち上がりの時期には参考とすべき先例がないため、必然的に挑戦が不可欠になり、全体の構想をイメージしながら鋭く突き進みブレークスルーを達成できる「狼のような精神」が非常に重要になる。しかし日本社会の長期にわたる縦割りや保守化はこうした精神を失わせる。アリババが成功した理由は、技術の不断の革新とビジネスモデルの不断の刷新によるところが大きく、こうした進取の姿勢の背後には、実は社会全体の勢いよく発展するムードによる支えが必要になる。



もう1つの重要な原因は消費者にある。消費者が新しい技術やビジネスモデルを受け入れようとしなければ、IT企業は成長するために必要な環境を整えることができない。消費者というレベルで、日本には実は深刻な「経路依存性」の傾向があり、モノや事やモデルを一度受け入れてこれを気に入ると、なかなかこれを手放そうとしない。たとえばネットショッピングは日本には早くからあったが、日本人は今でもネットではなく実店舗で買い物する方を好む。また日本の携帯電話は非常によくできているがゆえに、日本では2013年になってやっとスマートフォンの利用者がフィーチャーフォンの利用者を上回った。その頃の中国ではとっくにスマホが普及していた。消費者が新しいモノ・事をなかなか受け入れないことが、IT企業の成長をより一層難しいものにしている。



このように中国と米国が社会現象を起こせるIT企業を生み出せたのは、その市場規模と大きな関係があるという点は軽視できない。米国は世界中のリソースが集まる場所であることは言わずと知れている。中国で誕生した大手IT企業は14億人に迫る巨大市場と密接不可分であり、巨大市場が企業に消費者のニーズをより満足させる製品やサービスプラン、消費者のニーズを引っぱっていくような製品やサービスプランを打ち出すよう後押しする。日本の人口は中国とは比較にならず、米国とも大きな開きがある上、高齢化が国内消費を冷え込ませ、多くの企業が海外進出を迫られると同時に、新興産業が育つ環境を悪化させている。



日本になぜBATやGAFAが生まれないのか。背後にある原因は、成功を求める多くの人や産業にとって、またすでに成功を収めた多くの人や産業にとって、大いに参考になるといえよう。(編集KS)





人民網日本語版」2019年5月15日








日本の新天皇、徳仁氏はどのような人物か? (RFI):阿修羅♪

日本の新天皇徳仁氏はどのような人物か? (RFI):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/516.html









(Qui est Naruhito, le nouvel empereur japonais?: RFI)

http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20190501-est-naruhito-nouvel-empereur-japonais-ere-reiwa





日本徳仁安倍晋三歴史





日本の新天皇徳仁氏はどのような人物か?





記者 ヘイケ・シュミット





発表 2019年5月1日・更新 2019年5月1日15:29








玉座に上る直前の徳仁天皇と妻・雅子氏、東京・皇居にて。

Kyodo/via Reuters






5月1日水曜日、日本は新たな「令和」の御代に入った、「令和」とは「調和」と「美」という意味だ。徳仁天皇は最初のスピーチで「国と国民統合の象徴」の責務を果たす決意を述べるとともに、常に「国民に寄り添い」続けることを約束した。



徳仁氏は僅か6分間の儀式で剣・鏡・玉(鏡は伊勢にあるようだ)を受け取り、これらの「神器」を持つことにより彼は126代の天皇となった。この内気ですらある慎み深い男性は 正装姿がいつも少しぎこちなく髪の分け目がきちんと脇で揃っているが、彼は千年続いてきた制度の近代化を成し遂げる器量を持つのか?伝統の重みを持つ世界最古の王朝の自由化を果たせるのか?



「彼は聡明な人物だが、皇室の厳格な枠組みの中で育った男性でもある」と、東京で政治と皇室を間近に追いかける日刊紙ル・モンドの東京特約記者フィリップ・メスメール氏は考える。「もし彼が天皇制の機能に変化を吹き込むことになっても、それは『日本風』に、つまり、彼の父がそうしたように小さな段階の積み重ねになるだろう。」



「この59歳の男性はかなり慎重だ」というのが、日本を題材にしたフィルム"les années rouges"[『赤い歳月』でしょうか?日本赤軍を扱ったドキュメンタリーのようです:投稿者]のディレクター、ミカエル・プラザン氏の見立てだ。「しかし、その慎重さは今や、戦後憲法と本質的に結び付けられ、その憲法によって生まれながらに確立された役割の一部だ。この憲法により裕仁天皇は特権的な立場、特に、その神聖な地位から突き落とされた。このため、この人物がいかなる方法によっても日本の政治に口出しすることは認められないし、同様に、政治的な意見を表明することも認められない。」







雅子妃と結婚する際の皇太子時代の徳仁天皇、1993年6月9日。

AFP/Toshifumi Kitamura






テニス愛好家でヴィオラ奏者





テニス愛好家にしてハイカーでありヴィオラ奏者でもある徳仁氏は両親によって育てられた初めての親王だ。彼の父・明仁氏はまだ侍従や守り役に任せられていた。また、彼は初めて外国で学問を修めた。皇太子はイギリス・オックスフォード大学で1983年から1985年までの2年間を過ごした。彼はそこで自由を味わい、パブで友人たちとグラスを交わすのを楽しみ、18世紀のテムズ川の河川交易について論文を著している。



なぜなら、徳仁氏は水や海の道、地上の道に強い熱意を抱いているからだ。自伝で明かしたように、彼はそのようにして皇族たる呪縛から逃れている。「私は自由に外出する機会が殆どないので、道路は私にとって未知の世界に向けた貴重な橋だ。」



今日、彼は全ての人が飲料水を得るための国際会議で定期的に発言している。「彼の父は国内の弱者の人々に自身の膨大な威光を貸し与えることに人生のかなりの時間を過ごしてきた」と、ポートランド大学の日本専門家ケネス・ルオフ氏は分析する。「徳仁氏は、国際社会で最も弱い人々が苦しむ問題に人々の注意を向けたいのだ。それはきれいな水を得ることだ。」







当時皇太子だった明仁上皇と妻・美智子氏、そして、徳仁文仁・清子の3人の子供。1969年9月。

日本国外務省






徳仁氏は記憶する義務を守る





天皇は歴史にも強い熱意を抱いている。日本軍が中国や朝鮮に与えた苦痛に対して、「深い反省」を絶えず表明してきた父・明仁氏のように徳仁氏は平和主義者を自負し記憶する義務を守っている。そのため、彼は第2次世界大戦終結70周年に当たる2015年に、「日本の悲惨な歴史を体験のない人たちに正しく伝える」よう呼び掛けた。



「彼は、強い謙虚な気持ちで記憶を維持し歴史を考えることが大切だと表明していた」と、国立東洋言語文化学院日本学部の政治学准教授ギブール・ドラモット氏は述べる。「このように根っからの平和主義者なので国民は大いに喜んでおり、国民全体がその姿に自らの平和を愛する心を見出している。」



しかし徳仁氏は、自分が細いロープの上を進むことになることを承知している。定められた通りの役割を敢えて離れた場合には、国家主義者の安倍晋三首相を敵に回す恐れがある。これは慎重さを要する任務だと、日刊紙ルモンド特約記者のフィリップ・メスメール氏は考える。「ゆとりの部分が非常に小さいので、通常、彼が一般国民の議論に加わることは全く不可能だ。」





徳仁氏と雅子氏は「国民と苦楽を共に」したいと考えている





それでも2004年には、徳仁氏は配偶者・雅子氏の人格を抑え付けるような慣習を非難し、宮廷に小さな革命を起こした。このマルチリンガルの元外交官は宮廷によって課せられた厳しい諸規則に苦しみ、その後、玉座の継承者となる男子を産むようにとの圧力を正面から受けた(彼女が男子を産むことはなかった。娘・愛子氏は現在17歳だ)。夫は既に予告していた。公務はだんだんと女皇が果たすようになると。



それでも、2011年の福島の大事故の被害者の枕元まで出向いた明仁氏と美智子氏に倣い、夫婦は「国民と苦楽を」共にすると約束した。国民の近くにいること現代社会の現実に王朝を近づけること-これが徳仁氏と雅子氏の大きな課題だ。












日本:明仁天皇、その生涯と遺産 (DW English):阿修羅♪

日本:明仁天皇、その生涯と遺産 (DW English):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/515.html











(Japan's Emperor Akihito: his life and legacy)

https://www.dw.com/en/japans-emperor-akihito-his-life-and-legacy/a-48119012





アジア





日本:明仁天皇、その生涯と遺産





日本で新しい治世が始まり、明仁天皇は現代性と思い遣りという遺産を残した。30年の治世の間、彼は既存の君主像に挑み批判と称賛の双方を招いた。











日本の明仁天皇の治世は火曜日に正式に終わり、多くの日本国民は政治・経済の動揺に特徴付けられた彼の「平成」時代を振り返っている。



この時代に日本の景気は減速し、世界第2位の経済大国の地位を中国に明け渡す一方で、国家債務は前例ない迄に増大した。また、平成時代には17人の首相を見たが、2年を超えて続いたのは4人だけだった。多くの日本国民はこの時代を「失われた数十年」と呼んでいる。



それでも、このような不確実な時代に明仁天皇と妻の美智子氏は不変性と信頼の源を日本社会に提供した。2人は自然災害の被害者たちを慰め、また、人道主義者としての模範を示し、第2次世界大戦の記憶を保持することにより日本の道徳意識の象徴となった。





さらに読む:日本の天皇は退位に先立ち平和な治世を強調する





日本の君主制を定義し直す





1989年、明仁氏が菊の玉座に上がったとき日本の皇室は危機に在った。日本の第2次世界大戦敗戦後、日本の天皇は神聖な神のような人物ともはや見なされなかった。明仁氏の父・裕仁天皇は戦後に玉座を日本の国民に近づけようと試みたが、天皇に対する日本の伝統的な畏敬の念は超えるべき溝として余りに大きかった。





さらに読む:日本には戦時中の過去について「コンセンサスがない」





変化を模索して、裕仁氏はイギリスの立憲君主を真似ようとした。彼は児童書作家の米国人エリザベス・グレイ-ヴァイニング氏を息子の家庭教師に選び、新しい種類の天皇が育つことを願った。グレイ-ヴァイニング氏は、外国の理想や欧州における君主制の理解を明仁氏に教え込むことが出来た。



明仁氏は最終的に美智子という名の中流階級の女性と結婚することになる。2人は自宅で子供たちを育て、彼らを学習のためにイギリス・オックスフォード大学に送った。







1969年の明仁氏と美智子氏の結婚写真





国民のための天皇





天皇になると、明仁氏は日本の天皇制を変えたいと考えた。彼は玉座に就くと、自分は日本国民の幸せを常に考え、天皇の在り方を現代日本に合ったものにしていくと述べた。



明仁氏は妻と共に日本国民との関係を優先させて、一般国民の前に頻繁に姿を見せた。1991年の火山噴火の後、明仁氏と美智子氏は普段着で被災地に行き被災者たちを慰めた。日本の保守派はその行動に衝撃を受けたが、メディアや日本国民は強い好感を持った。





さらに読む:天皇退位の先例ができることを危惧している日本の保守派たち(投稿者による和訳





夫婦は皇室の役割を定義し直した。2人は惨事の被害者に会い、老人ホームや障害者福祉施設の人々を訪ねた。2人は行く先々で心からの温かな歓迎を受け、明仁氏は日本国民統合の象徴となった。



「平成時代には社会的不平等が増大し、多くの人々が絶望して人生を見失っていたので、この新しいスタイルは好意的に受け入れられた」と、名古屋大学の日本の君主制の専門家・河西秀哉氏は述べた。







明仁氏は第2次世界大戦集結70周年に際し後悔の言葉を表明した





他のアジア諸国との和解





また、明仁氏は父が遺したものとも戦わねばならなかった。帝国日本陸軍は父の名の下にアジアの半分を奪い取った。今日でも、日本の保守エリートたちは日本が戦争中に引き起こした苦痛に対して責任を取ることや謝罪することを渋る。



明仁氏は法律上は政治的な発言を禁じられていたが、初の海外旅行先としてインドネシアと中国を訪問することにした。中国では、彼は日本の武力侵略に遺憾の意を示すとともに中国文化の成果を称え、さらに、日本文化が中国からどれだけの恩恵を受けているかについて述べた。





さらに読む:裕仁氏の戦時中の回顧録が275,000ドルで売れる







国家主義者の安倍晋三・日本首相は2015年の第2次世界大戦終結70周年のスピーチで「遺憾」という言葉を使うのを避けたが、その時、天皇は自らスピーチを行い日本の「深い反省」について語った。



「単刀直入に言えば、明仁氏は平成時代の多くの日本の首相よりも熱心に諸隣国との和解に取り組んだ」と、東京・ドイツ日本研究所の歴史学者トルステン・ヴェーバー氏は述べた。







明仁氏と美智子氏の後継者:日本の皇太子徳仁親王と皇太子妃雅子氏





また、明仁氏と美智子氏はフィリピンや太平洋の島々の米国と日本の戦場を訪問した。法律のために明仁氏は直接的な謝罪は出来なかったが、彼は常に注意深く言葉を探して全ての戦争の犠牲者のために後悔の念と祈りを表明した。





明仁氏の例に倣う





日本の君主制の専門家たちによれば、明仁氏は健康が優れずまた余りにも高齢だと言う日本の保守派からの圧力のために早期に玉座を辞した。明仁氏は自身の治世の遺産について、また、日本の君主制について自ら作り上げた姿を守ることについて心配していると述べていた。



明仁氏は自身の活動を色あせぬうちに息子に伝えるために早期に退位したいと考えた」と専門家の河西氏は述べた。2月、日本の玉座を継承する皇太子徳仁親王は両親の仕事を続けるとの決意を述べた。





この話題の音声・動画



日本の天皇が退位をほのめかす





発表 2019年4月30日

記者 マーティン・フリッツ(東京)

関連テーマ アジア日本









(投稿者より)



「日本の君主制の専門家たちによれば、明仁氏は健康が優れずまた余りにも高齢だと言う日本の保守派からの圧力のために早期に玉座を辞した。」"According to experts on Japan's monarchy, Akihito abdicated the throne early due to pressure from Japanese conservatives who say his health is failing and that he is too old." 実際はこの記述と違ったと記憶していますが、既に終わったことです。今上様がどうなさるかは御自身でお決めになられるでしょう。



「夫婦は皇室の役割を定義し直した。2人は惨事の被害者に会い、老人ホームや障害者福祉施設の人々を訪ねた。2人は行く先々で心からの温かな歓迎を受け、明仁氏は日本国民統合の象徴となった。」"The couple redefined the role of the imperial family. They met with victims of tragedy and visited people in retirement homes and handicapped care centers. They found a warm-hearted reception everywhere they went and Akihito became a symbol of Japan's national integration." 憲法1条の規定によりそうなったとは書かれていません。上皇様は御自身の御努力で象徴天皇としての地位をお勝ち取りになられたのだと拝察いたします。



上皇陛下・上皇后陛下のこれまでのお働きに感謝を申し上げ、今後の安寧をお祈り申し上げます。








日本の寂しい天皇制反対派 改元に沸く国内で縮小 (BBC NEWS JAPAN):阿修羅♪

日本の寂しい天皇制反対派 改元に沸く国内で縮小 (BBC NEWS JAPAN):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/451.html









https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-48146846





日本の寂しい天皇制反対派 改元に沸く国内で縮小





2019年05月3日





ノッポルン・ウォン・アナン、BBCタイ語







TOSSAPOL CHAISAMRITPOL/BBC THAI

改元にあたり「反天皇制運動連絡会」が4月末に様々な抗議行動を実施したが、世間的な注目は少なかった






天皇の譲位と新天皇の即位、改元という歴史的な変化を目前にした4月末、小規模の集団が東京のはずれに集まった。



天皇の戦争責任を忘れるな」と繰り返しながら、集まった人たちは公園に向かってデモ行進した。



抗議行動に参加した人のほとんどは白髪で、人数は少なかった。



人数は少ないものの、日本の天皇制反対派は、天皇制はもう廃止すべきだという主張を声高に続けている。







TOSSAPOL CHAISAMRITPOL/BBC THAI

新しい支持者を集めるのは大変だという






日本では、皇室は世界最古の世襲王朝だと言われている。神話によると、皇室は天照大神の末裔(まつえい)だとされる。



第2次世界大戦が終わるまで、天皇は「現人神」だと見なされていた。



一方で、反天皇制運動連絡会(反天連)は30年前から、天皇制廃止を求めて活動してきた。



天皇の名の下に日本が1930年代から1940年代にかけて戦った戦争を償うには、天皇制を廃止するしかないという主張だ。



反天連メンバーの「ノムラ」さんはBBCに対して、「戦争はきちんと終わらなかった」と話した。「ノムラ」さんは右翼団体の攻撃を警戒し、記事ではフルネームを使わないという条件で取材に応じた。







AFP

Image caption 昭和天皇終戦後に人間宣言をした






都心にある「反天連」の小さい事務所でノムラさんは、第2次世界大戦中に人道に対する罪を犯した昭和天皇は戦犯だと述べた。



昭和天皇は軍部に強い関心を抱いていた。米英との戦争を恐れたのはただ単に、日本の軍隊が劣っていると知っていたからだ」、「アジアで戦争することにためらいはなかった」とノムラさんは話した。







AFP

上皇陛下は国民から広く敬愛されている






1926年から1989年まで在位した昭和天皇は、日本の敗戦後に神格を否定し人間宣言を発した。



アメリカが起草した日本国憲法の下、日本は天皇を日本国と日本国民統合の「象徴」と位置づけ、立憲君主制国家となった。天皇の政治行為は禁止されている。



戦後にこうした形で天皇制を維持したため、昭和天皇は結局、戦争で果たした役割について責任をとることがないままだったと、ノムラさんは言う。





平和の象徴





昭和天皇の晩年にかけて、天皇制に反対する日本の世論は今より強かった。天皇にゆかりのある場所が左翼過激派の小規模な攻撃を受けることも、たまにあった。



しかし、昭和天皇の長男・明仁さまは、1989年の即位から、4月30日に高齢や健康問題を理由に退位するまでの30年間で、皇室を平和の象徴と位置づけることに成功した。



退位によって上皇陛下となった明仁さまは、父の昭和天皇が「終戦詔書」をラジオで発表したとき(ほとんどの日本人はこの「玉音放送」で初めて天皇の声を聞いた)、11歳だった。



オレゴン州にあるポートランド州立大学のケン・ルオフ教授(日本研究所所長)は、先代天皇にとって「一番の課題は戦時から残る傷を癒す(いやす)ことで戦後に区切りをつけることだった」と指摘する。



「日本によって被害を受けた各国との関係改善のために、できる限りのことをした」







Reuters

1975年7月に皇族として戦後初の沖縄訪問を果たした皇太子夫妻(当時)






1975年に当時皇太子だった明仁さまは美智子妃と共に、皇族として戦後初の沖縄訪問を果たした。沖縄は日本国内でも特に悲惨な戦場のひとつとなり、一般住民10万人以上が犠牲になった場所だ。



上皇陛下は天皇としてほかに、中国やインドネシアなど、甚大な戦禍に遭った国々を訪れた。さらに、政治的発言は禁止されている立場ながら、戦争がいかに悲惨なものか忘れないよう繰り返し国民に呼びかけた。



第2次世界大戦中の日本軍の残虐行為による被害が特に大きかった国の中には、日本はいまだに十分に謝罪していないし、十分に償ってもいないという主張が残る。この時期の評価は今も、深く割れている。



しかし、平成の時代の日本国内において、皇室の人気は大いに高まった。ルオフ教授によると様々な世論調査で、国民の7割から8割が天皇制の維持を支持しているという。





伸び悩む支持





都内の事務所で取材に応じた「反天連」のノムラさんは、支持者の数は年々減りつつあると認めた。



1980年には抗議集会を開けば3000人は集まったものの、今では新しいメンバーがなかなか見つからないという。



4月29日のデモ行進に参加したのは約80人。行進を取り囲む警官数百人の方が多かった。デモに注目する通行人はほとんどいなかった。







TOSSAPOL CHAISAMRITPOL/BBC THAI

天皇制反対デモの参加者よりも警官の方が多かった(4月29日、都内)






ノムラさんは、人気のない目標に向けて闘い続けていると、寂しいと感じることもあると話す。ただし、天皇制がどういう問題になり得るか、国民を教育することが大事だとも言う。



「経済停滞の続く日本は今、国としてアイデンティティーの危機に直面している」とノムラさんは言う。さらに、安倍晋三首相率いる政府と右派は「天皇を通じて自分たちの権威付けをしようとしている」とも言う。



ノムラさんは健康の許す限り、あと10年は活動を続けるつもりだという。



しかし、前途は多難だ。日本の皇室の系譜は2000年以上前にさかのぼると言われ、天皇の役割は日本社会に様々な形で密接に結びついている。



国民に敬愛される天皇が自ら譲位し、新しい天皇が即位した。多くの国民がこの代替わりに感動し、天皇家に対する親愛の気持ちもいっそう高まった。天皇制廃止の議論はここへきて、おそらく封印されたはずだ。少なくとも次の代替わりの時期までは。





(追加取材:グレイス・ツォイ)





(英語記事 Emperor Naruhito and Japan's lonely republicans





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福島原発からの燃料取り出しと除染は数年かかる 外国からの援助も必要か=専門家(Sputnik日本):阿修羅♪

福島原発からの燃料取り出しと除染は数年かかる 外国からの援助も必要か=専門家(Sputnik日本):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/491.html









https://jp.sputniknews.com/opinion/201904296211287/





福島原発からの燃料取り出しと除染は数年かかる 外国からの援助も必要か=専門家







© REUTERS / Tomohiro Ohsumi/Pool





オピニオン





2019年04月29日 23:09






タチヤナ フロニ





東京電力福島第一原発などの廃炉作業といった現場作業に在留資格「特定技能」の外国人労働者を受け入れることを決定した。朝日新聞など日本各紙が報じた。この在留資格は4月にはじまった。





スプートニク日本





だが現在はまだ日本の労働者のみが廃炉作業に携わっており、福島第一原発3号機から燃料の搬出作業が先にはじまった。スプートニクはロシア放射線防護学術委員会のワレリー・ステパネンコ博士(核物理学)に見解を伺った。







© Sputnik /

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ステパネンコ博士は日本側の招待で毎年のように福島第一原発を訪れ、廃炉作業の困難さを知っている。



「まず、燃料棒が損傷していないことを確認する必要がある。だが無傷でも、取り出しと他ブロックへの移送作業は迅速に行う必要がある。大気中、冷却されない燃料棒は加熱をはじめ、自ら熱を発する反応により、崩壊する可能性もあるからだ。だが日本にいる同僚は素晴らしいプロフェッショナルで、私は彼らがこの課題をやり遂げると確信している」



燃料の移送後も原発付近の土壌と地下水の汚染は残り続ける可能性がある。そのため、日本は長期的な除染作業に向けた設備の準備に焦点を当てる



日本政府は先に、ロシア国営原子力企業「ロスアトム」傘下の「ロスラオ」と「ラジウム研究所」を、放射能汚染水の除染プロジェクトにおけるパートナーとして選んだ。



プロジェクトに参加するロシア人研究者のセルゲイ・フロリャ氏がスプートニクに、膨大な量の液状の放射性廃棄物が1箇所に蓄積する状況は世界で初めてだと指摘。



「福島で使われている技術は廃棄物からセシウムストロンチウムを取り除くことができるが、トリチウムは取り除かない。私たちはトリチウムから水を浄化できるロシアの技術を日本側に提案した。私たちは特別な展示用設備の実験用の標本でテストした。この技術が承認されれば、技術を取り込んだ工場を建設する必要がある。私たちのテクノロジーの技術と経済に関する報告書と根拠は日本に送られている。だがまだ結論は出ていない」



汚染水はいま、原発の敷地内のタンクに保管している。タンクには110万トンの汚染水がたまっている。ジャパン・タイムズはこの状況を詳細にレビュー。東電は27万トンのタンクを新たに用意する方針だという。







© REUTERS / Toru Hanai

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いずれにせよ、より効果的にトリチウムを汚染水から除去する課題は解決する必要があると、ステパネンコ氏は指摘した。



トリチウムは水素に類似している。トリチウムが水生環境に入り、その後人体に入ると危険と見なされている」



放射能汚染水の浄化は各国が協力して解決されるかもしれない。「ロスラオ」とラジウム研究所とともに、米キュリオン社や、米ゼネラル・エレクトリック(GE)と日立の合弁事業「GE Hitachi Nuclear Energy Canada」がプロジェクトに取り組んでいる。



東電は現在、労力がかかる危険な燃料の取り出し作業に集中している。作業は放射性物質の放出リスクがあるが、原発の状況安定化には不可欠だ。





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タグ 日本, 福島








「高齢化」加速する日本 なぜ「孤独死」が社会の難題に?(人民網日本語版):阿修羅♪

「高齢化」加速する日本 なぜ「孤独死」が社会の難題に?(人民網日本語版):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/18/social10/msg/198.html









http://j.people.com.cn/n3/2019/0429/c94689-9573843.html





「高齢化」加速する日本 なぜ「孤独死」が社会の難題に?





人民網日本語版 2019年04月29日11:36











日本では高齢者が増加し、高齢化が加速している。日本の国立社会保障・人口問題研究所の将来推計によると、2040年までに、世帯主が65歳以上の「高齢世帯」や「一人暮らしの高齢者」の割合が大幅に増加するとしている。そして、「孤独死」が日本社会を最も悩ませる難題の一つとなっている。



同研究所は、2040年には日本の全世帯数は2015年の5433万世帯から5075万世帯まで減少し、うち、世帯主が65歳以上の「高齢世帯」が占める割合が2015年の36%から2040年には44.2%に上昇すると推計している。また一人暮らしをする65歳以上の高齢者は22.9%に増加し、割合が最も高い東京を見ると約30%に迫ると予想されている。



世話をする人が誰もいない一人暮らしの高齢者への支援が、今後の日本社会が直面する難題の一つだ。



日本の政策研究大学院大学政策研究院の名誉教授の松谷明彦氏は、「高齢者の社会福祉社会保障を支える若者が急減しているため、税收や保険料などによって成り立っていた社会保障には限界が来るだろう。家族や親せきがいない高齢者を支援するために、地域、コミュニティごとに、新型の相互サポートメカニズムを構築することが必要だと思う」と指摘する。



高齢化が深刻化するにつれて、日本では高齢者が「孤独死」するケースが増えている。高齢者だけでなく、晩婚化、中年男女の離婚増加などを背景に、40、50歳の一人暮らしの人が「孤独死」するケースまで生じている。日本には、孤独死専門の清掃業者もあり、孤独死が起きた家は部屋内がゴミだらけというケースが多いという。



清掃業者は防護服に防護マスクという完全防備で清掃現場に入る必要がある。



清掃は一般清掃と特殊清掃がある。一般清掃では家庭用ごみや家具などを片付け、特殊清掃では、死体から流れ出た体液の処理や消臭作業を行う。経験のある業者ならその匂いで死者の特徴が分かるという。



また業者によると、性別や年齢、体型などで、分泌される体液が全然違うとしている。例えば、亡くなった人が多分体型がそんなに大きくない人だと推測する手がかりとしては、体型が大きい人は脂肪が多く、脂肪というのは脂分のため、人が死ぬと脂分が出てきて、それがしみ込むことになり、車のオイルを交換する時に、古いオイルが地面にしみ込んだ感じになるので、その大きさで判断できるというのだ。



統計によると、日本は現在世界において高齢化が最も深刻な国だ。少子高齢化による人手不足を解決するために、日本は現在、就労ビザの要件を緩和し、海外から人材を集めようと躍起になっている。



一方で、そのような社会問題は日本だけでなく、世界中に広がっている。英国放送協会BBC)の報道によると、2018年末の時点で、世界の65歳以上の高齢者の数は7億500万人であるの対して、0‐4歳の子供の数は6億8000万人で、65歳以上の高齢者数が史上初めて5歳以下の子供の数を上回った。



世界銀行の統計によると、ここ60年間、特に2000年以降、世界的に高齢化が加速している。1960年の世界における65歳以上の高齢者が全人口に占める割合は4.97%だったのが、2000年には6.89%と、40年間で1.92%上昇したのに対して、2019年にはその割合が9%に達し、わずか19年間で2.11%も上昇した。



では、なぜ世界的に高齢化が進んでいるのだろう?60年代、世界の合計特殊出生率(女性1人が生涯に出産する子どもの平均数)は5に近かったものの、今は2.4にまで低下している。国連は今後も引き続き出生率が低下すると予想している。また、医療水準の向上により、人々の平均寿命が延びている。1960年の世界の人々の平均寿命は52.6歳に過ぎず、今は72.3歳に伸び、2030年には74.3歳にまで伸びると予想されている。(編集KN)





人民網日本語版」2019年4月29日






人口が多く土地が狭い日本 なぜ一戸建てを好むのか(人民網日本語版):阿修羅♪

人口が多く土地が狭い日本 なぜ一戸建てを好むのか(人民網日本語版):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/318.html









http://j.people.com.cn/n3/2019/0430/c94476-9574249.html





人口が多く土地が狭い日本 なぜ一戸建てを好むのか





人民網日本語版 2019年04月30日09:25





東アジアのマンションが密集して建ち並んだ都市環境の中で、日本は「特別なグループ」に属するといえる。日本の多くの地域では高くそびえ立つマンション群が見られず、それに代わるのが「一戸建て」と呼ばれる独立した住宅だ。新華網が伝えた。



ここ10数年間、日本の持ち家率は60%前後を保ち、個人の持ち家の中心は一戸建て住宅だ。独立した建物、庭があって芝生がある生活が、多くの中国人が最初にイメージする日本人の暮らしだ。



日本人はなぜ一戸建てを好むのか。





▽豊かになるために、まず家を建てる





1950年代初期、日本では「住宅金融公庫法」と「公営住宅法」が相次いで公布され、厳しい経済状況にありながら住宅問題の解決に乗り出した。



公営住宅法」は資金のない国民に政府が賃貸住宅を提供すると規定。日本政府は予算を支出して日本独特の安価な賃貸住宅の建設を急ピッチで進めた。より重要なのは「住宅金融公庫法」で、政府が金融公庫を設立し、手元に余裕のある国民にローンを提供し、住宅建設を後押ししたことだ。それから数十年にわたり、この法律は日本の持ち家率を引き上げ、小規模な一戸建てが国土の上にどんどん建つようになった。



60年代に入ると、日本経済が高度成長期に入り、鉄鋼建築材料の生産量なども増加を続けた。手元にゆとりのある日本人はついに住居環境のレベル向上をはかるようになった。日本政府が65年に打ち出した「住宅建設5カ年計画」は、「1家に1戸、1人に1室」を提唱し、公営賃貸住宅を建設すると同時に、一戸建ても建設すべきとした。



独立した一戸建てが住宅政策の支援の重点だった。そのため日本では地方住宅供給公社という機関も設立され、大量の資金が充てられて住宅建設の責任を担うことになった。これ以降、一戸建てが日本の個人所有住宅の代名詞になった。



一戸建てはあちこちに建てられ、都市近郊から中心部に向かって広がり、第二次世界大戦で荒廃した土地が大規模な住宅地に変わった。あらゆる土地に家が建ち、東京などの大都市では土地不足問題がみられるようになった。





▽人口が多く土地は少ないのに一戸建て志向





70年代末には、日本の人口はすでに1億1600万人に達し、日本社会には「全ての人が一戸建てに住んだら、日本全体が土地不足の危機に陥る」との懸念が広がった。人口の爆発的増加と土地不足を憂う論調が各メディアを賑わし、こうした不安感は不動産市場で「早く買って、早くもうけよう」とする投機心理をあおり、不動産価格は高騰して、「バブル経済」が出現した。





しかし、これが一戸建てを建てようとする日本人に情熱に影響を与えることはなかった。その原因は日本の人口分布が非常にアンバランスなことにある。



第二次大戦後の日本はわずか23年で都市化率を72%に引き上げた一方で、農村の土地は大量に手つかずのままだった。都市の人口分布は非常にアンバランスでもあり、人口は主に2大エリアに集中していた。1つは東京を中心とする首都圏で、総人口の約3分の1にあたる3700万人が住んでいた。もう1つは関西圏(大阪、京都、神戸などを中心とする地域)で、人口は2千万人を超えていた。



つまり日本の人口の半分以上が国土の約10%に暮らしていたということだ。これ以外の国土の大部分は、必要な農業などの経営活動に利用されるほか、半分に満たない人口がそれぞれ一戸建てを建てても十分に余裕があるものだった。



不動産バブルで住宅価格が高騰し、サラリーマンは都市部を離れることを余儀なくされた。こうした人々の中には破産した不動産市場の投機者も含まれている。バブル経済が崩壊すると、日本政府はこのタイミングで副都心建設と地下鉄・都市鉄道改善の戦略を打ち出し、都市部に密集した人口を効果的に分散しようとした。大都市周辺のエリアや県が新たな一戸建て用地になり、相対的に多い土地供給と厳格な価格監督管理政策により住宅価格は徐々に落ち着いていった。



国土の10%前後の人口が密集した地域にとってみれば、バブル経済でも一戸建てが広がる状況は変わらなかったが、日本の大都市中心部の住居環境をある程度は改善したといえる。



また日本が地震国であることも日本人が一戸建てを建設・購入しようとする原因の1つだった。





▽家を買えない現実 中産階級のシンボルだが





多くの中国人が考えるのとは異なり、一戸建てに住むことは別荘のような広々した住宅に住むことを意味しない。コンパクトなマンションのようなもので、大半の一戸建ては居住面積が100平方メートルを下回る。人口が多く土地が少ない問題に直面して、日本人は家と家の間の空間をますます縮小してきたため、日本の住宅地の公道は非常に狭いものが多く、車の通行にも人の移動にも不便だ。だがこうした住宅も別の意味を与えられると違ってみえてくる。



90年代には漫画・アニメ作品の「ちびまる子ちゃん」と「クレヨンしんちゃん」がアジアで大ヒットした。どちらもごく普通の日本の家庭の日常を描いており、一戸建ての家に住み、庭のある生活をしている。こうして一戸建ては中産階級の暮らしのシンボルになった。一戸建てをもつことが日本社会では青年から中産階級へ移行するシンボルになった。



日本経済の高度成長期には、中産階級になり、1つの企業で一所懸命に働き、年功序列によって徐々に昇進昇給し、決められたレールを進んでいけば快適な生活は保障された。快適な暮らしのシンボルは一戸建てであり、現在の中国の中産階級が大きな窓のある高層住宅を追い求めるのと似ている。



こうして日本では若いパパたちが30年以上のローンを背負ってでも家を買い求めるようになった。



しかしバブル経済が崩壊すると、日本の若い世代は一戸建てへの興味を失っていった。今や30歳以上の自立するはずの年代の日本人でさえ、持ち家率は下降の一途をたどって10%に低下し、平屋を自分で建てる人の割合はさらに低い。バブル経済で今の多くの若者の親世代が資産を失い、当時子どもだった彼らの心に暗い影を落とした。また若い世代はお金を住宅に使うのではなく暮らしの質を高めるのに使いたいと考えている。



つまるところ、問題の最も根本にあるのはお金がないという現実だ。



日本社会では終身雇用と年功序列が普及し、年長の社員が長らく企業の中位・上位のポジションを独占し、若い社員を出世の道からはじき出してきた。若い社員は発展チャンスもなければ、出世の可能性もないまま、長らく職場の最下層に押しやられ、賃金は安い。そこで家を買わず、結婚もしなくなり、結婚率は低下を続け、ひいては高齢化問題を深刻化させている。



21世紀になると、日本の若者は両親と同居する割合が高まり、上昇ペースもさらに速くなった。自分の家を買えないため、2010年以降、30歳前後で両親の家に住んでいる人の割合が約3分の1に達した。20代で結婚した人の5分の1が両親と同居している。何年も家から出たことのない「引きこもり」も登場した。



家を買って独立するという社会的観念が、家を買えない現実によって徐々に崩れてきている。こうした時代に呼応するように二世帯住宅が登場。これはバージョンアップした一戸建てだといえる。これまでのような成人すると家を出て独立した生活を営むという観念は、高齢化の波の中で徐々に崩壊している。



日本では持ち家率は低下してもなお高水準を保ち、一戸建ての中産階級のシンボルとしての位置づけには何の変化もない。一戸建ては標準的な日本人の暮らしの象徴であり、日本経済の勃興発展の歴史を今に伝えるものでもある。これと同時に、高まる空き家率は高齢化を迎えた日本の人口減少の写し絵でもある。(編集KS)





人民網日本語版」2019年4月30日