原子力の不確かな未来に向き合う日本(BBC):阿修羅♪

原子力の不確かな未来に向き合う日本(BBC):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/12/genpatu23/msg/460.html





(Japan facing uncertain nuclear future: BBC NEWS ASIA)

http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-17934648





2012年5月4日最終更新00:48GMT



原子力の不確かな未来に向き合う日本





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日本にある原子炉54基の最後のスイッチが、週末に切られる



(この画像は、次の動画記事にリンクされています。クリックすればご覧になれます。:投稿者)



(What now for Japan's nuclear stations?: BBC NEWS ASIA)

http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-17949409






日本で運転中の最後の原子炉が、点検のために送電を止めることになっているが、原子力の未来について日本で進行中の議論を、BBCのローランド・バークは見ている。



柏崎刈羽発電所が建設されたとき、日本は原子力発電の未来を信じていた。



延々と伸びる海岸線に沿って7基の原子炉が広げられ、遥か遠く日本の反対側、東京まで延びる送電線に電気を供給している。



この発電所は、広大な首都とその近隣地域の電力需要の、5分の1まで供給が可能だ。



ビジターセンター内には、ここが世界最大の発電能力を持つ原発であることを確認した、ギネスブックの証明書が展示されている。



しかし、その非常に高価な建物も、いまでは景観を損ねているに過ぎない。





巨大な雇用主



中央司令室の時計の下にある、電気の出力表示はゼロを示している。



柏崎刈羽発電所は送電を止めている−そして、日本にある原子炉54基の最後のスイッチが、週末に切られる。



2011年3月11日の地震津波が発生するまで、原子力は日本の電力需要の30%を供給していた。いまは、その穴埋めのために、LNGと石油の輸入が増えつつある。



原発を擁する柏崎市は、いま、原発の恩恵を受けてきた他の地方自治体と同じ選択に直面している−雇用は必要。でも、福島原発の周辺住民のように、大災害による破壊は怖い。



発電所は巨大な雇用主だ−請負作業者を含めれば、1万人までならどんな日でも働くことができていた。



周辺地域では雇用機会が限られる。この町に住む親々の世代が原発をここに誘致したのは、当初はこのためだ。



主要な産業は他になく、街の主要な企業である東京電力の名前にちなんだ、TEPCOプラザを除けば、大通りに人の姿はない。





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福島第1原発の事故のあと、信頼は粉々になった





「信頼は粉々」



「私たちは原発と共存してきており、原発は安全とされてきた」と、会田洋市長は語った。



「しかし、事故が起き、そうでないかも知れないと、私たちは気づいた。だから、私たちは、原発が全く安全ということが当然とは思えなくなっている。」



「私たちはこの街の市民として、そのことを考える必要がある。ここでは、それが私たちにとって最大の心配事だ。政府と発電所を運営する人々への私たちの信頼は、粉々になっている。」



柏崎刈羽発電所の新井史朗副所長は、安全は最優先の問題だと語った。



「電力の生産が発電所の目的だ。しかし、当社は事故を起こした福島発電所について責任がある」と同氏は語った。



原発にとって何よりも最も重要なことは、安全だ。発電所を動かす以前の問題として、安全は全てに優先される。私たちはみな同じように感じている。」



政府は−国が直面するエネルギーの問題の困難さを十分認識しており−信頼を取り戻すべく、懸命に取り組んでいる。



原子炉は、地震津波といった自然災害への耐性の検査のために組まれた、一連のストレステストを課されている。



運転再開について地方自治体の役員に話をするために、大臣たちが派遣されてきた。



しかし、大臣たちは、1基も運転を再開できないまま、定期点検のために北海道・泊の原子炉の送電が止まるという、この週末に起きることを、回避できないでいる。



40年以上ぶりに、日本は全くの原子力なしとなる。



法律では地元自治体に拒否権はないが、礼儀の問題として、常に地元の同意が求められてきた。



政府は強制よりもコンセンサスに基づいて、物事を進めたいと考えている−しかし、日本経済にとって、そのコストは高い。





「安価なエネルギー」が必要



ガスや他の化石燃料の輸入量が劇的に上昇し、これが原因の1つとなり、日本は昨年、過去最大の貿易赤字となった。



東京湾のガス基地は、これまで見たことがないほど活気があると、船員たちは語る。。



おかげで日本は停電を回避してこれたが、これは高くつく−産業用電力が値上げされる。



「日本経済は巨大で先進的な製造業に依存している。製造業界はもっと安価な電力を必要としている」と、日本エネルギー経済研究所の永富悠氏は語った。



「製造業界は、この状況のために、国内でのモノづくりがより難しくなると心配するかもしれない。彼らは、ビジネスを続けるなら外国に出たほうがいいと考えるかもしれない。」



柏崎刈羽では、新しい巨大な防潮堤が建設されている−関係者の話では、どのような津波にも持ちこたえるだけの、十分な大きさだ。



しかし、日本国民は、福島第一原発は安全だと教えられてきたのに、結局、傾いてメルトダウンを起こすのを見ただけだった。






津波の衝撃を語る、ハラコ・アキヒロ氏



(この画像は、次の動画記事にリンクされています。クリックすればご覧になれます。:投稿者)



(Fukushima worker on tsunami day: BBC NEWS ASIA)

http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-17934232






福島原発津波のあとに発生した危機を制御しようと格闘した作業員の1人、ハラコ・アキヒロ氏は、一般国民の信頼を取り戻す前に、学ばなければならない教訓があると語った。



「40年間、私たちは原発を安全に運営してきた。私たちはエネルギーの国内供給に貢献してきたと信じている。」



「しかし、残念な事故が発生した。国内・外国の運営事業者は、発電所を安全に運営するために、この事故から学ぶことが必要とされている。日本における原子力エネルギーの存在については、将来、幅広い議論が必要だと、私は考えている。」



いま、人々を納得させることは難しいだろう。





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世界の原子力の大事故



■レベル7:ウクライナチェルノブイリ(1986年)

 運転中の原子炉で爆発と火災、数千平方キロメートルに降下物、4000人にガンの可能性。



■レベル7:福島(2011年)

 設計強度を超える地震活動による津波のために損傷。地震そのものも原因となった可能性あり。長期的な影響は未知数。



■レベル6:ロシア・キシュチム(1957年)

 廃棄物貯蔵タンクの爆発により数百人にガン、数百平方キロメートルに汚染。



■レベル5:イギリス・ウインドスケール(1957年)

 運転中の原子炉で火災。地元に汚染物質の放出。240人にガンの可能性。



■レベル5:米国・スリーマイル(1979年)

 部品の不具合により大規模なメルトダウン、炉心に重大な損傷。



年表:原発事故









(投稿者より)



BBCサイトに掲載された記事です。誤訳があるかもしれません。ご容赦ください。



「『原発にとって何よりも最も重要なことは、安全だ。発電所を動かす以前の問題として、安全は全てに優先される。私たちはみな同じように感じている。』」("Above all what is most important for nuclear power plants is safety. Safety comes first before anything, before operating a plant. We all feel the same way.")



彼らは思っていただけです。それを行動で示したことはありませんでした。



「政府は−国が直面するエネルギーの問題の困難さを十分認識しており−信頼を取り戻すべく、懸命に取り組んでいる。」(The government - mindful of the energy challenges facing the country - has been working hard to try to get trust back.)



政府が懸命に取り組んでいることは、放射能を拡散し、国民を被曝させ、あわせて、福島の事故を利権に利用することであり、日本経済や国民生活のことではありません。時間は1年ありました。例えば、「関電エリアの電力が足りない」と言うのなら、それを手当てする施策はとれたはずが、政府はそれをしませんでした。



ただ、記事にそう書かれている以上、書かれているとおりに訳さなければ、翻訳になりませんので、そのようにしています。この点はご理解下さい。



一見、政府・東電を擁護し、いろいろな理由をつけて、原発の必要性を語っているようにも読める記事ですが、最後の一言「いま、人々を納得させることは難しいだろう。」(Convincing people now will not be easy.)が、この1年、被災地を見続け、日本人に会い続けてきた、記者の感触なのでしょう。