日本経済の将来について、まだ陽は落ちていない(The China Post):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/09/news8/msg/502.html







(The sun has not set on Japan's economic future: The China Post)

http://www.chinapost.com.tw/commentary/the-china-post/special-to-the-china-post/2011/02/18/291516/p2/The-sun.htm





日本経済の将来について、まだ陽は落ちていない





2011年2月18日金曜日

Kwan Weng Kin、ストレーツ・タイムズ/アジア・ニュース・ネットワーク






東京−−日本経済は正式に順位を一つ下げて第三位となり、中国の後塵を拝することになった。しかし、日本人は落胆していない。落胆するはずがない。



中国のダイナミックな成長を考えると、国内総生産(GDP)の観点では、中国は遅かれ早かれ日本を抜くことになっていた。



しかし、見出しの文字だけで、物語の全体を伝えることはできない。



日本には誇れるものがたくさんある。GDP競争で日本が中国に負けた日、初めて4人もの日本人が米国のグラミー賞を受賞した。



これは、音楽であれ、経済であれ、日本人が忘れ去られることはないと、タイミング良く思い知らせた出来事だった。



今年グラミー賞を受賞した日本人は、ギタリストの松本孝弘氏(人気ロックデュオ・B'z)、クラッシックのピアニスト・内田光子氏、ジャズ・ピアニストの上原ひろみ氏、琴奏者の松山夕貴子氏だ。



さらに、レゲエとブルーグラスの部門で、2人の日本人音楽プロデューサーがノミネートされた。



どのように見ても、これらは世界基準でのすばらしい進歩だ。



こうした才能ある個人に、世界レベルの成果を追求するように、その心を駆り立てたものは、日本を第二次世界大戦の廃墟から引き出し、過去40年以上にわたって世界の経済大国に押し上げたものと、日本社会に内在する同じ要因であることは、間違いない。



これらの要因は、日本がGDPの順位を下げたというだけの理由で、一夜で消えるものではなかった。



それらは、過去において、競合する国々に対して日本を優位に立たせることに寄与してきた。今後も数年間は、日本が隣国と別格たらしめることに寄与し続けることは間違いない。



例えば、日本人の仕事への献身、そして彼らの見事な技能は、ほとんど伝説といってもいい。



他のどの社会でもあるように、日本人の労働者にも、我慢できない上司や協調性のない同僚への不満は山ほどある。しかし、そうした不満は、まずは酒や寿司でまぎらわされることになる。



しかし、成果が問題となる場面では、その質に妥協はない。これはどの職業でもそうだ。



ジェットエンジンや自動車に必要な、非常に微細な程度まで研磨された精密部品の一部は、熟練した職人たちの小さな工場で作られる。職人たちにすれば、挑戦せずにはいられないのだ。



日本では、ゴミ回収業者や宅配労働者までもが、生真面目な姿勢で仕事に取り組む。



日本人の仕事に対する誇りを、何かもっときちんと証明する必要があるって?日本のトイレの清潔さは世界で断トツではないか。



そういったあらゆる仕事熱心さの唯一の欠点は、海外の同業者たちと比較して、日本の父親は家で家族と一緒にいる時間が短いことが多く、また一般的に、日本の労働者は休暇をあまり取らない。



日本人の職業倫理のすばらしさは羨ましいが、細部へのこだわりもすばらしい。



この日本人の特質によって、ただの良いサービスと一流のサービスの間に明確な違いが生じる。



旅館と呼ばれる日本の伝統的な宿泊施設で泊まったり、近所の天ぷら屋で食事を取るだけでも非常に満足できるのは、この特質のおかげだ。ラーメン屋や喫茶店でさえ、手際のよいサービスは普通で、サービスが完璧であることも度々だ。



勿論のことだが、日本人の卓越した美的感覚を忘れてはいけない。それは、寺院から木版画・商店の陳列・料理に至るまで、日本のどこででも見ることができる。



この同じ芸術的感受性が、近年世界を席巻している、日本の映画・アニメ・漫画の快進撃の背景にある。



贈り物の包装は、日本人の優れた美的感覚が日常生活に表れたものだ。包装紙は贈り物そのものとほぼ同じだけの重要さを持つまでになり、その包みがあまりにも美しいために、受け取った人には捨てがたい結果となることがよくある。



経済・芸術での日本の世界的な成功に直接寄与する要因ではないが、それでも、指摘せずにはおけない要因として、日本社会の秩序感覚が挙げられる。



この秩序感覚のおかげで、日本人の書道家や茶道家は、自己の芸を行うための心の平安を得ることができるが、同様に、新進の起業家や世界を股にかけるビジネスマンも、これのおかげで、次の勝利の戦略を立てるための、心の平安を得ることができるのだ。



日本は、ナンバー2だった42年間の時代を終え、今は世界第3位の経済大国だが、いまなお約5兆4000億米ドルのGDPを持つ。



日本は、第4位のドイツを約2兆米ドル上回り、まず間違いなく、今後数年間は第3位を保ち続けるだろう。



政策さえ間違えなければ、中国は前進を続けることが予想され、日本とのGDPの差も、今後数年間は開く一方だろう。



しかし、モノをつくる技術の分野では日本人の方が優れていると中国人が認めていることは、評価できる。



それを「ものづくり」と日本人は呼ぶが、日本人はこれに大きな誇りを持っている。



中国人観光客バスで乗り付けては、電化製品・化粧品・家族や友人のために持ち帰るおみやげを、熱心に買いあさる光景を、日本で目にすることは最近珍しくない。



その中でも目の利く人たちは、ハイテク炊飯器であれ、デジタル一眼レフカメラであれ、商品を物色するときは、決まって"Made in Japan"を求める。



最近、衣類から家電製品まで、多くの日本製品が海外で作られ、日本に逆輸入される。それでも、たとえ、そういった製品が厳格な基準に沿って生産されたものであっても、 超一流の品質の究極的な保証として、"Made in Japan"に優るものはない。



シンガポール国内でさえ、同じデジタルカメラのハイエンド・モデルでも、日本国内で生産された製品は、例えば、同じ企業のタイ工場で生産された製品よりも、高い値がつけられる。



日本のスクーターからiPhoneに至るまで、ヒット製品の実質的なコピー製品を市場に出したことで、中国人は度々バッシングを受けてきた。まさしく、バッシングである。



しかし、1960〜70年代の日本は、現代中国と非常によく似た、猿真似経済だった。



それでも、間もなく、技術革新が日本工業界の合い言葉になった。今日、日本は、トヨタソニーなどの、世界で最も革新的なグローバル・ブランドを持つことを誇りとしている。



中国の上に立つためには、日本はもはや規模に頼ることができないため、与謝野馨経済担当相は最近、日本経済は「技術革新主導」でなければいけないと明言している。



日本経済が技術革新を続ける限り、日本は永きにわたって、横目で見られるのではなく、見上げられる国であり続けるだろう。











(投稿者より)



『日本尊敬され続ける、くじけるな…シンガポール』というタイトルの記事が読売新聞に掲載されましたが、この元記事と見られる英文記事を見つけましたので、「阿修羅♪掲示板」に投稿させていただきます。



シンガポールのストレーツ・タイムズ紙のサイトから、この記事は見つかりませんでしたが、アジア・ニュース・ネットワークを通じて、その記事は各国の英文紙に転載されたようです。記事の英文タイトルでグーグル検索すると、多くのアジアの英文紙サイトでこの同じ記事がヒットします。



ここでは、台湾のチャイナ・ポスト紙のサイトに掲載された記事を、日本語に直しました。誤訳があるかも知れません。ご容赦ください。



先ほど紹介させていただいた、読売新聞の記事は下記のリンクのものです。



(日本尊敬され続ける、くじけるな…シンガポールYOMIURI ONLINE)

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110218-OYT1T01110.htm



日本が世界から尊敬され続けるということ自体を、日本が国として追い求めることがいいとは思いませんが、職業倫理・細部へのこだわり・美的感覚・秩序感覚など、記者が指摘した日本人の長所については、それを守り、育てていく努力が必要なのだと思います。



「技術革新」についても同様です。日本人が創造性を持ち続けるためには、相応の教育が必要です。同様に、ものづくりや、様々な産業の現場を支える方々のことも考えなければなりません。当然のことですが、少数の天才を育てるためには圧倒的多数の知的水準は下がってもいい、という意図で設計された、「ゆとり教育」の再来は論外です。



「日本人は豊かな自然と四季に恵まれ、神道や仏教などに根ざした高度な精神文明を持ち、和を重んじる安定した社会を営んでいる」という伝統にぶら下がるだけではだめなのだ、ということでしょう。



記者が「今後」というとき、その言葉が期間限定の「今後」であることに注目したいです。日本人がその長所を守り育てる努力を怠れば、日本は世界から取り残されることを示唆している、そのように読めました。