「袴田氏に再審無罪、事件から58年目」(RFI・BBC NEWS JAPAN)

「袴田氏に再審無罪、事件から58年目」(RFIBBC NEWS JAPAN)









(Japon : Iwao Hakamada acquitté à 88 ans après 46 ans passés dans le couloir de la mort)

https://www.rfi.fr/fr/asie-pacifique/20240926-japon-iwao-hakamada-acquitt%C3%A9-%C3%A0-88-ans-apr%C3%A8s-46-ans-pass%C3%A9s-dans-le-couloir-de-la-mort





日本:袴田巌氏が死の廊下で46年間を過ごした後に、88歳で無罪判決を受ける





1968年に一家4人を殺害した容疑で死刑判決を受けた88歳の日本の元ボクサーが無罪判決を受けた。彼は46年間死の廊下で過ごした後、2014年に釈放された。裁判所は彼の有罪性について疑念を認めていた。しかし、無罪までの道のりには紆余曲折があった。本日、静岡地裁袴田巌氏の無罪を宣告し、彼の弁護士たちは司法制度の改革を求めている。





発表 2024年9月26日 11:13





記者 RFI






袴田巌氏は日本の検察の執拗さの犠牲者となった。この元プロボクサーは、小さな味噌工場で働いていた。1966年、彼は上司とその妻、そして2人の子供を殺害した容疑で起訴された。9月26日木曜日、彼は無罪判決を受けた。



彼は20日間に亘り昼夜を問わず尋問を受けた。彼は殴られ眠ることを妨げられた。20日目、精根尽きた彼は自白に署名したが、公判が始まると撤回した。袴田巌氏は警察から虐待を受けたと述べた。その後、彼は死刑を宣告されたと、RFI日本特約記者のフレデリック・シャルルは述べる。





日本の警察が捏造した証拠



2014年、遺伝子検査により犯罪の証拠が揺らいだ。血液が付着した衣服のDNA鑑定を行ったところ、容疑者のものと一致しないことが確認された。



元ボクサーは釈放されたが、死刑判決を受けたままでありメンタルな機能を失っている。日本の死刑囚は、外部との接触が無く1日24時間明かりが点される小さな独房でじっと過ごす。



その後、静岡地裁は彼の再審を認めた。警察が彼を有罪にするために証拠を捏造した可能性があると、裁判官の1人が認めた。袴田巌氏は恐らく自分が無罪であることを理解していない。最も長い年月を死の廊下で過ごしたこの被拘置者は、住んでいる場所から遠くない静岡で行われた公判にも出席しなかった。正義を得るための闘いの全ては、91歳の姉・秀子氏が主導した。



世論調査によれば列島全体で死刑支持派よりも数が少ない日本の死刑廃止派にとって、この事件は1つの象徴だ。地元のマスコミは司法制度を強く批判している。日本では、有罪の認定は、何よりも、多くの場合に身体的・精神的拷問を濫用する警察による長時間の取り調べの最後に得られた自白に基づいている。





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(BBC NEWS JAPAN)

https://www.bbc.com/japanese/articles/czeglyr5xjeo





世界で最も長く拘置された死刑囚、袴田巌さんに再審無罪判決 事件から58年







Getty Images

袴田巌さんと姉のひで子さん(右)。袴田さんは2014年に釈放された(2019年撮影)





2024年9月26日






1966年6月に静岡県で一家4人が殺害された事件で強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審(やり直し裁判)で、静岡地方裁判所は26日、無罪判決を言い渡した。



静岡地裁(國井恒志裁判長)は、「自白」した供述調書など、捜査機関による三つの証拠捏造(ねつぞう)が認められるとした。



複数報道によると、判決言い渡し後に國井裁判長は袴田さんの姉ひで子さん(91)に対して、「ものすごく時間がかかっていて、裁判所として本当に申し訳なく思っています」と謝罪した。



複数報道によると、閉廷後に弁護団と記者会見したひで子さんは、集まった支援者に感謝を繰り返した後、「裁判長が『主文 被告人は無罪』と言うのが神々しく聞こえました。私はそれを聞いて、感激するやら、うれしいやらで涙が止まらなかった。1時間ばかり涙があふれ出てきていました」と話した。



袴田さんは半世紀以上にわたり死刑囚として過ごした。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、袴田さんは世界で最も長い期間、拘置された死刑囚だった。



26日の法廷に、袴田さんの姿はなかった。長年拘禁されていた影響で精神状態が悪化している袴田さんは、出廷を免除されていた。



日本で確定死刑囚が再審無罪となったのは、戦後5例目。



袴田さんは、1966年に勤めていた静岡県のみそ製造会社の専務とその妻、10代の子供2人を殺害したとして強盗殺人罪などに問われ、1968年に死刑判決を受けた。



弁護側は犯行着衣とされた5点の衣類に付着した血痕のDNA型が、袴田さんのものとは一致しないとする鑑定結果を提示。この信用性を認めた静岡地裁が2014年、再審開始と袴田さんの釈放を認めた。



静岡地裁は2014年のこの釈放決定で、「捜査機関が重要な証拠をねつ造した疑いがある」とした。しかし、検察が不服として即時抗告。東京高裁は2018年、再審決定を取り消した。



袴田さん側は上告し、最高裁は高裁に審理を差し戻した。2023年3月に東京高裁が再審開始を認め、計15回の審理を経て今回、無罪が言い渡された。



この無罪判決によって、日本で最も長く、最も知られた法廷闘争の一つに終止符が打たれた。



袴田さんは2014年に静岡地裁の決定で釈放された後、姉ひで子さんに支えられながら暮らしている。



弁護団や支持者たちは、検察に控訴しないよう求めている。



この事件は広く関心を集めてきた。静岡地裁前にはこの日、約500人の傍聴希望者が列を作った。無罪判決を受けて、裁判所前に集まった支持者たちからは「万歳」と歓声が上がった。





争点は「血痕のついた衣類」



元プロボクサーの袴田さんは1966年当時、静岡県のみそ製造会社で働いていた。同社専務の自宅で火災があり、焼け跡から専務と妻、その子供2人の刺殺体が見つかった。捜査当局は袴田さんが一家4人を殺害して家に火をつけ、現金約20万円などを盗んだとして、強盗殺人罪などで逮捕・起訴した。



袴田さんは当初は無実を訴えていたが、取り調べを受けて自白した。後に袴田さんは、1日約12時間にわたって尋問されたり殴打されるなどし、自白を強要されたと話した。



1968年に殺人と放火の罪で有罪となり、死刑を言い渡された。



数十年にわたる法廷闘争は、みそタンクから見つかった赤い血痕のついた衣類を証拠として否定することで無罪判決に至った。この衣類は、事件発生から1年2カ月後、袴田さんの裁判が進められている途中で「発見」された。この衣類の証拠としての信ぴょう性を、弁護側は争い続けた。



静岡地裁は26日の再審判決で、捜査機関による「証拠には三つの捏造がある」と結論した。「自白」調書が肉体的・身体的苦痛を与えて得たものであるほか、犯行着衣とされた「5点の衣類」は捜査機関によって加工・隠匿されたものだと認定。検察と弁護側双方による実験結果や複数の専門家証言を踏まえて、衣類が発見されたタンク内で衣類を1年以上みそ漬けすれば「血痕は赤みを失う」と指摘した。



地裁は加えて、5点の衣類に含まれるズボンと同じ素材の切れ端が、袴田さんの実家から押収されたのも、「捜査機関によって捏造されたもの」とした。



2014年の時点で袴田さんの釈放を決定した静岡地裁の村山浩昭裁判長(当時)は、袴田さんは「捜査機関によってねつ造された疑いのある重要な証拠によって有罪とされ、極めて長期間、死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた」と当時指摘。「無罪の蓋然性が認められるのに、このような過酷な状況に置かれてきたことは、これ以上の身柄拘束を正当化できなくさせる事情である」、「(袴田さんの)拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない」と結論していた。



袴田さんの弁護団や家族は、独房での何十年にもわたる拘禁生活には死刑執行の脅威が常につきまとい、袴田さんの精神状態に大きな打撃を与えたと話す。



日本はアメリカとともに、主要7カ国で唯一死刑を採用している。日本では現在、死刑の執行方法として絞首刑のみが定められており、死刑囚には執行の数時間前に告知される。





(英語記事 World's longest-serving death row inmate acquitted in Japan





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(投稿者より)



今回、無罪判決が出て良かったです。真実が認められ皆様の御苦労が報われました。



今後どうなろうと袴田氏の無実は世界の知るところです。後は、検察がどのように対応するかが見られています。