フクシマから10年、大事故は今なお進行中 (RFI)[2021.3.11]

フクシマから10年、大災害は今なお進行中 (RFI)[2021.3.11]









(Fukushima : 10 ans après, une catastrophe toujours en cours: RFI)

https://www.rfi.fr/fr/asie-pacifique/20210310-fukushima-10-ans-apr%C3%A8s-une-catastrophe-toujours-en-cours





フクシマから10年、大事故は今なお進行中





発表 2021年3月11日 00:08







Reuters/NTV via Reuters TV





アルノー・ジューブ






福島第1原発の大事故から10年経ったが、日本はこの大事故との戦いを続けている。発電所の原子炉3基がメルトダウンを起こした。放射能が大量に放出され大気中と太平洋に広がった。発電所は本当の解決策のないまま危機的な状況にずっと取り組んでいる。海洋と土地は持続的な汚染状態にある。住民の健康は常に脅かされている。放射能に関する調査および情報提供の独立委員会・クリラッド(CRIIRAD)研究所長の原子力物理学技術者、ブルーノ・シャレイロン氏にインタビューを行った。





ブルーノ・シャレイロンさん、2011年3月11日に日本の福島第1原発で何が起きたか?



この日、地震により非常に大きな津波が発生し、このため太平洋沿岸に位置する福島第1原発の設備の一部が水没し、原子炉1・2・3号機の冷却システムが機能を失った。一般的な地震の場合、そして、福島でもそうだったが、原子炉は自動的に停止した。核反応を止めるために、非常停止棒が炉心に自動的に挿入された。問題は、これが行われたとしても炉心内の放射能が非常に大きいため、核反応中の燃料集合体から大量の熱が常に放出され、停止した場合でも原子炉は常に冷却を続ける必要がある。この期間、燃料は非常にゆっくりとしか冷えて行かないからだ。



このため、実用に耐え得る冷却システムを持つことが極めて重要だ。ところが、津波によりこれらの冷却システムは機能を失い、原子炉の炉心の温度が上昇した。



これにより、化学反応による水素の発生が始まった。炉心内の圧力を下げるために、東電(発電所を運営する企業)は、一定量のガスを大気中に放出することにした。これにより、非常に大量の放射性物質が容器の外に放出された。しかし、水素爆発も発生し、これにより特に1・2・3号機で原子炉建屋の一部が損壊し、炉心の溶融も発生した。核反応中の燃料は、当初は格納容器の集合体の中に収納されていたが、熱の影響でその大部分が溶けて、コリウム炉心溶融物]と呼ばれるもの、つまり、高放射性の溶岩を形成し、格納容器の下部を貫通し底の部分にこぼれたが、その正確な場所は分かっていない。



このために、一度に太平洋と大気の両方に極めて重大な放射能の大量放出が発生し、この事故は1986年のチェルノブイリ事故や1957年のチェリャビンスクソ連)事故に並ぶ、歴史上最も大きな原子力災害になった。





チェルノブイリでは、当局は一時期キエフ市からの避難を検討していた。日本でも、福島第1原発の大事故で、更に劇的な展開が発生する恐れがあったのか?



福島の状況は実際に悲惨なものだったが、大規模な放出のあった期間に風が一定の方向に吹き続けていたならば、事態は更に深刻だった可能性がある。大抵、風は陸から太平洋に向かって吹くので、そこで大気中に押し出された放射性物質は海洋に向かうが、風が南の首都の方角に向かって吹いた時があり、この時は放射能の大部分が東京の街やその更に遥か南方に達した。また、風が北北西に吹いた時もあり、その時は放射性粒子が福島以外の街や県に達した。風が絶えず陸に向かって吹いていたならば、放射性降下物の規模は更に深刻だったろう。



福島では原子炉3基の炉心が溶融した他に、不活性化プール[使用済燃料プール]に貯蔵される核反応中の燃料についての問題もあった。原子力発電所では燃料を定期的に交換する必要がある。こうして放射性の非常に高くなった使用済燃料は取り出され、不活性化プールに移されてこの期間に放射能と熱をある程度低下させる。これには数年掛かることもあるが、その後取り出されて他の装置に移される。この期間中に燃料が置かれるプールは地下シェルターのような構造でない。ところが、原子炉が爆発した影響でプールも大変な影響を受け、特に原子炉3号機の爆発により4号機のプールは深刻な損害を受けた。1・2・3号機とは異なり、4号機は地震の時には休止しており、燃料は全て取り出されて不活性化プールに入っていた。プール内の水が完全に空になり核反応中の燃料が外気に接触し、加熱されて放射能を放出することが強く懸念された。このため、当時の菅直人首相が公に認めたように、東京からの避難を検討するような更に劇的な状況を生む可能性があった。







菅直人首相はフクシマの大災害に直面した。REUTERS/Kim Kyung-Hoon





大事故から10年経つが、発電所はどのような状態か



10年後の現在、発電所は極めて劣化した状態にあり、まだ安全ではない。事業者・東電は、1・2・3号機のコリウムの高放射性物質を冷却するために、1日あたり200 立方メートルの水の注入を常に続ける必要がある。この水は注入されてコリウムの周囲を循環するが、コリウムの金属製被覆管が溶融したために最早保護されていないため、水は強く汚染されている。さらに、この水は発電所の地下に注入されるために流水や地下水と混ざり合うが、東電はこれらの水の全量を常に汲み上げねばならない。これを行うために、土壌の温度を非常に低く保ちつつ、発電所の上に位置する小山から流入する水が浸透して原子炉に流入することを食い止めるために、事故に遭った原子炉3基の周囲に凍土壁を配置するなど、様々な対策を取っている。これにより、非常に強い雨が降る場合を除いて、水の汲み上げ量を抑えることが出来る。このため、東電は常に水を注入しているが、これが高い放射能を帯びるため、これが染み込んで太平洋に向かって流れる前に回収し全量を処理する必要がある。現在、東電は解決のほぼ不可能な問題に直面している。現在、1000基を超えるタンクに120万立方メートルを超える放射能汚染水が貯蔵されている。このため、東電は日本政府の合意を得て、これらのタンクを少しずつ太平洋に空けていくことを検討している。



さらに、東京電力は爆発により深刻な被害を受けた不活性化プールから核反応中の燃料の取り出しを完了していない。これはプールの安全を確保するためだが、それでもコリウム、つまり、原子炉1・2・3号機の底部にこぼれた溶融した炉心について、最も複雑な問題が残っている。東電は、これらのコリウムの状態とその位置についての情報を得るために何度かロボットを送る試みを行った。しかし、放射能が非常に高いため何台かのロボットが動作不能になった。最近新しい検査により、原子炉のスラブの上では、放射能が1時間あたり10シーベルトを超える非常に高いレベルであることが明らかになった。これは人が即死するレベルだ。目の前にあるのは前例のない状況だ。東電は、恐らく2050年までにこれらのコリウムを回収すると表明したが、このことは誰にも分からないし、これを取り出せたとしてもその後どうすれば良いかが分からない。恐らく政府は、最終的には神の国が到来するまでそれらをそこに残し、恒久的なポンプシステムを備えた石棺で全体を覆うことを決めるだろう。これらのコリウムをどうすれば良いのかが分からないのだ。チェルノブイリのコリウムは、いまなお石棺の下で核反応を続けている。そして、チェルノブイリでもこれ以上の解決策はない。





放射線は日本やその先の場所にどのような影響を及ぼしたか?



福島の場合、大気への放出と太平洋への放出という2つの汚染の形があった。大気については、福島県だけでなくその南や北に位置する他県でも常に強い放射性降下物があり、それほど強くないものの放射性降下物は東京まで来た。フランスでもローヌ渓谷のクリラッド観測局で、2011年3月末から4月末に掛けて日本からの放射性ヨウ素で汚染された気団の到着を測定できた。今日、日本には酷く汚染された場所があり、その場所には少なくとも100年、あるいは、それ以上経つまでは人間が住むべきでない。しかし、日本の当局はこの汚染の深刻さを甘く考え、住民たちにこれらの土地に戻ることを盛んに奨めている。



現在、主な問題はセシウム137によるものだ。この放射性金属は非常に細かい塵の形や時には更に大きな粒の形で、外気に接した有らゆる表面(屋根や土壌)の上に積もった。汚染は降水(雨や雪)により拡大した。この放射性物質はいまなお存在しており、半減期は30年で、姿を消して危険性を失うまでに数百年掛かる。問題は、このセシウム137は崩壊する時に極めて強力で透過性のあるガンマ線を放出することだ。この放射線は家の壁を通過し、空中を数十メートル移動し、移動距離が100メートルを超えることさえある。したがって、これは除染が非常に困難だ。日本の当局は数百ヵ所の地区で除染プログラムを開始したが、住宅の周囲数メートルの地表を剥ぎ取っただけで、近くで放出されて家の中の住民に達する放射線による被曝を防ぐことが出来ない。ここまで広い範囲の土地の除染は技術的に不可能だ。福島ではチェルノブイリと異なり、土壌の汚染レベルが通常より相当高いのに、当局は住民を帰らせるために問題が解決したかのように振る舞っている。







汚染された牛乳を投棄する酪農家 ®Reuters / Yomiuri Shimbun





当局によって集められたこれらの汚染土はどうなるか?



当局が実施した地面の表層を削り取る除染プログラムには、いくつかの問題が認められる。先ず、作業を実際に行い一定量放射能を浴びた人々の被曝の問題がある。次に、これらの土は袋に入れた後どうすれば良いのか?ここに安全に保管するという問題が生じる。これについては、空き地、分譲地の脇、学校から遠くない場所など、ほぼ至る所にこれらの袋の保管場所を目にする。この部分的な除染により1700万立方メートルを超える量の放射性廃棄物と汚染土の袋が発生した。この一部は、30年後まで用意される一時保管場所に再び集められているところだ。ところが、この期間は十分でなく、これらの袋は100年間、また、その一部は更に長期間保管される必要がある。したがって、この土の問題は解決されていない。同様に、有機廃棄物の問題も解決されていない。例えば、木の葉などのこの廃棄物も収集され、戦略としては焼却される。焼却炉のフィルター設備は決して完璧でないため放射能は大気中に再び拡散するが、放射能の非常に高い灰を保管する方法は分かっていない。



この大事故の管理を可能にするために、当局は基準を変更した。人間の最大許容線量は通常、年間1ミリシーベルトだ。しかし福島では、日本の当局はこの線量を年間20ミリシーベルトに引き上げた。そのため、市民はそれまで容認できないと考えていたものよりも20倍高い発癌リスクに晒されることになるが、これが受け入れられ始めた。汚染土の管理については、日本では1キログラムあたり100ベクレルであるため、特別な管理形態を実施する必要がある。ところが、この基準が1キログラム当たり8,000ベクレルに引き上げられた。これらの廃棄物は、例えば道路の地盤として再利用が可能になるため、拡散されて他の人に放射能を照射していく。最後に、汚染水の問題がある。これは放射能濃度についての基準を満たしていないが、東京電力はこれを太平洋に放出したいと考えている。



原子力災害は本質的に対応が不可能であり、当局は管理コストを抑えるために住民の安全や衛生保護について概念の枠組みを変更し、それまで容認できなかったことを受け入れている。汚染された土地で経済活動を再開するために、例えば、被曝線量が高すぎる状態のままなのに住民の帰郷が奨励されている。福島で非常に衝撃的なことはこの平凡化であり、全てが順調に進んでいると信じ込ませるためのリスクの過小評価だ。





住民の汚染について何が分かっているか?



放射線に被曝した人の数は数百万人だが、続けてこの人々が浴びた線量を正確に算定することは非常に難しい。さらに、過小評価は現実にあった。例えば、世界保健機関(WHO)が、放射線を浴びたことによる発癌件数の算定を試みる報告書を発表したとき、同機関は実際の汚染レベルを考慮しなかった。大事故から数日後の食品の汚染についての最初の分析は悪評を買ったが、その時は福島原発から30キロメートル以遠を含めたいくつかの土地で、植物や食品に1キログラムあたり数百万ベクレルのヨウ素131による汚染が存在していた。当時、日本の一部の住民グループは鼻や口から放射能を取り入れたり、外部被曝と呼ばれるもの、つまり、汚染土壌から恒常的に放出される健康上の上限を大幅に超える放射線を浴びた。したがって、発癌件数の増加や、消化器系、心臓血管系、認知能力などの他の病気など、日本の住民たちの健康には明らかに深刻な影響が生じるだろう。また、チェルノブイリ事故後、ベラルーシの齧歯[げっし]類動物で観察されたような世代を超える影響があるかも知れない。例えば、福島県の大気中ではセシウム137の濃度は大事故前のレベルに戻ってない。



今日でも、日本人は汚染土壌から放射される放射線にずっと晒されている。数々の街で、地上1メートルの放射線レベルが通常の100倍を超えるレベルだ。今、健康への影響を評価するには厳密な研究が必要だが、実際は行われていない。現在行われている研究はこれに届かず、このため、大事故に関連する病気の全体像を掴むことも住民に補償することも出来ていないが、これは政治的意思によるものだ。







東京の反原発デモ、2015年3月8日。REUTERS/Thomas Peter





信頼できる独立した情報を得るために、市民社会はどのような活動を行ったか?



CRIIRADは大事故直後の最初の数日間から、日本の市民や日本に住むフランス人から訴えを受けていた。彼らは助言、独立した情報、測定器具を求めていた。私たちは物資や訓練についての技術的支援を行い、これが当時CRMS(市民放射能測定所)と呼ばれていた日本の市民による研究所のネットワークの発足に結び付いた。他のフランスやドイツの団体が提唱した他のイニシアチブも実施され、今日、日本には独立した情報センターのネットワークが存在しており、そこでは日本の土壌汚染の地図を作成などが行われた。これは、4,000人以上のボランティアが厳格な手順に沿って収集したサンプルを、31ヵ所の市民研究所が分析したものだ。地図は現在フランス語で利用できる。情報には最初の頃は強い需要があったが、それ以降は、多くの人々が放射能について与えられる以上の情報を望まなくなり、一部の独立研究所は仕事を続けることに経済的な困難を抱えている。





この大事故からどのような教訓が得られるか?



福島が私たちに示しているのは、人間が原子力を支配するのは不可能なこと、そして、大事故が発生した瞬間から、溶融したコリウムの回収、原子炉の冷却、汚染土の管理などについて全く対応できない状況になることだ。人々は不合理かつ無法な世界に、つまり、それまで存在した全ての防護基準や、それまで存在したすべての価値が倒壊したことに気付かされる。原子力産業は、運営により発生し得る損害が十分に担保されないにも係わらず政府が許可している、唯一ではないが数少ない産業の1つだ。日本経済研究センターが数年前に発表した福島の大事故による影響についての金銭的評価は、日本だけで6400億ユーロを超えた(解体・住民への補償・除染・廃棄物管理などの諸費用を算定したもの)。ところが、原子力の公共責任により、事業者の負うべき費用はほぼゼロに抑えられる(フランスでは7億ユーロ、つまりほぼ1,000分の1)。これは受け入れられないものだ。原子力施設の運転について同意が得られ、住民や政府・自治体がこれを受け入れる場合、彼らは正しい情報を得る必要や原子力災害のリスクを受け入れる必要がある。しかし、彼らは原子力災害が環境・健康・社会・経済にもたらす影響について正しい認識を持っているか?



フランスの推進の下で、国際原子力ロビーは、原子力災害後の許容可能な放射線レベルを上げることに成功した。日本と同様に、年間1ミリシーベルトの上限はもう効力を持たず、基準(もう上限ではないため)は年間20ミリシーベルトに引き上げられる。このレベルで汚染された土地に住むことを望まない人は補償を受けることが出来なくなるので、全ての結果を引き受けねばならなくなる。





Criiradが情報を伝えるウェブサイト









2012年3月にRFIが福島で作成した現地報告






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