「ロシアの誇り」軍合唱団のほぼ全員が航空機事故死 約90年の歴史を振り返る【写真、動画】(Suptnik日本):阿修羅♪

「ロシアの誇り」軍合唱団のほぼ全員が航空機事故死 約90年の歴史を振り返る【写真、動画】(Suptnik日本):阿修羅♪

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「ロシアの誇り」軍合唱団のほぼ全員が航空機事故死 約90年の歴史を振り返る【写真、動画】







© Sputnik/ Vladimir Vyatkin





災害・事故・事件





2016年12月26日 07:01(アップデート 2016年12月26日 17:58)





トピック 露軍機ツポレフ154墜落






12月25日、ソチ沖で起きた航空機事故で、ロシア軍合唱団のメンバーほぼ全員が死亡した。航空機には合唱団のソリスト3人を除くメンバー65人が搭乗していた。



スプートニク」が、ロシア軍合唱団の歴史を振り返る。



ロシア軍合唱団は約90年の歴史の中で、ソ連およびロシアの最も輝かしいシンボルの一つとなった。 合唱団の初舞台は、1928年10月に「赤軍中央会館」で行われた。当時合唱団の名称は、「M.V.フルンゼ記念赤軍中央会館赤軍の歌アンサンブル」だった。







「M.V.フルンゼ記念赤軍中央会館赤軍の歌アンサンブル」





アンサンブルの創始者は、モスクワ音楽院の教授で指揮者、そして作曲家のアレクサンドル・ヴァシリエヴィチ・アレクサンドロフ氏。当時アンサンブルのメンバーは、歌い手8人、踊り手2人、バヤン奏者1人、語り手1人だけだった。だがメンバーは次第に増え、1935年には135人、1937年には274人となった。



1941年夏、アンサンブルはベラルーシ駅から前線へ向かった。その時にはロシアで有名な歌「聖なる戦い」が響き渡った。











1943年、アレクサンドロフ氏は、ソ連国家を作曲した。この曲は後にロシア連邦の国家にもなった。



1946年にアレクサンドロフ氏が死去した後、同氏の息子のボリス・アレクサンドロフ氏がアンサンブルの指導者となった。そしてボリス・アレクサンドロフ氏がアンサンブルの団長職を退いた後、8人の指導者がアンサンブルを率いた。最後の指導者は2016年5月にアンサンブルに加わったヴァレーリー・ハリロフ氏。だが同氏は12月25日、航空機事故で帰らぬ人となった。





ソ連人民芸術家で、「ソ連軍歌と踊りのアンサンブル」の責任者兼芸術監督のボリス・アレクサンドロフ氏





アンサンブルは定期的にロシア軍の軍管区や部隊を訪れてコンサートを開き、戦地にもよく赴いた。また日本を含む70カ国以上でコンサートを開いた。







「アレクサンドロフ記念アンサンブル合唱団」のパリ公演





モスクワ市文化局のアレクサンドル・キボフスキー局長は、アンサンブルを失ったことを深く嘆き悲しみ、「この悲劇の穴をどうやって埋めたらいいのかを考えるとぞっとする」とし、「まだ損失の規模を把握するのは難しい。アンサンブルはただの団体ではなく、私たちの誇りだった。西側のコメンテータたちはアンサンブルをだてに『クレムリンの歌う武器』と呼んでいたわけではなかった」と述べた。







「アレクサンドロフ記念アンサンブル」の女性グループによる踊り「招き」







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