日本:残骸と後遺症の中、津波と原発の大事故から1年(RFI):阿修羅♪

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(Japon: un an après le tsunami et la catastrophe nucléaire, sous les décombres, les séquelles: RFI)

http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20120309-seisme-tsunami-catastrophe-nucleaire-fukushima-tokyo-decombres-sequelles





日本−記事発表:2012年3月11日日曜日−最終更新:2012年3月11日日曜日



日本:残骸と後遺症の中、津波原発の大事故から1年



記者 ジョルジュ・アブー





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福島県いわき、小さな女の子が3・11の犠牲者に祈りを捧げる。

REUTERS/Kim Kyung-Hoon






2011年3月11日の大惨事から1年、日本は開いたままの傷口を手当てしようとしている。苦悩・悲嘆・怒り・諦め・衝撃の中、政府による不規則な発表に直面する日本国民は、自分たちが投げ込まれた、社会・医療・エネルギーについての試練に、日々立たされている。



2011年3月11日金曜日、世界時間5時46分(現地時間14時46分)、リヒター・スケールでマグニチュード9という異例の大地震が、太平洋の深さ海底から24kmの断層で発生した。



その震央は、仙台市(日本の東岸、宮城県)の130kmに位置した。これが、数時間のうちに日本を試練に引きずり込んだ、3度に連なる大災害の1度目となる、最初の大災害だ。日本だけでなく、全世界にとって、この大災害の結末はまだ予測不可能だ。



地震が観測された3分後、津波警報が発令された。震央から発生した波は、宮城県の海岸に押し寄せた。これが2度目の大災害だ。防潮堤は粉々にされ、村々・インフラ・産業設備など、波は全てを押し流した。



数十分のうちに、20,000人近くの人々(死者15,846人、行方不明者3,317人)が巨大な波に呑み込まれ、家屋は破壊され流された。6,000人以上が負傷することとなる。



第3幕。14mの高波が、東京の北東220kmに位置する、福島第1原発を叩き壊した。冷却装置の給電設備はこれに耐えられず、そのため、6基の原子炉のうち3基で燃料が溶け始め、制御不能となった。



その48時間後、3基の原子炉はメルトダウンを起こし、金属マグマ(コリウム)の状態を生んだ。連鎖反応は不可避となった。3月12・14・15日の3度の爆発により、発電所施設の損壊は終わり、放射性核種の雲が大気中に解き放たれた。格納容器は破壊され、冷却装置の効果はなかった。



原子炉は制御不能となった。3月12日、当局は避難区域を、さらには、立入禁止区域を、発電所の周囲20kmに設定した。3月14日、深刻な事態に窮した運営会社・東電は、メルトダウンした原子炉に海水の注入を始めた。これが3度目の大災害だ。大気と海洋に放出された大量の放射性微粒子から、その凄まじさが伺える。





画像による大災害



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マグニチュード8.9の非常に激しい地震が、本日、日本の東北沿岸を襲い…

Reuters/NHK






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…10mの津波を引き起こし、道路・家屋・自動車・農場・船舶を全て洗い流した。

Reuters/NHK






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北日本では、地滑りの犠牲となった人々がいた。

Reuters/Kyodo






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地震のために、東京近郊・千葉の製油所で貯蔵タンクが火災を起こした。

Reuters/NHK






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仙台空港の様子。

Reuters/NHK





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太平洋沿岸一帯に、津波警報が発令された。

Reuters/Kim Kyung-Hoon





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2011年3月11日、岩沼の海岸を乗り越える津波

Reuters/Kyodo





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東北地方・名取で、浸水して炎に包まれる家屋。

Reuters/Kyodo





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日本を襲った地震は、140年ぶりの激しいものだった。

Reuters/Fabrizio Bensch





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新宿駅では交通機関が止まり、人々が足止めされた。

Reuters/Yomiuri






RFI特集

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日本の地震と津波





温度を安定させる



1年が経ち、国内の各地に移動し再出発した人々は、341,111人を数える。その中には、もう住むことのできない故郷に、2度と帰ることのない人たちも多い。日本国民は、大災害の影響により3県(宮城・岩手・福島)で発生した、2,200万トンの瓦礫の山に対処することが迫られている。



総額2,000億ユーロ以上の、度重なる追加予算にもかかわらず、被災者たちの境遇はおしなべて不安定・不確実だ。様々な証言から、今回の危機対応への印象として、混乱、思いつき、そして、人々に不安を与えず、進展を続ける事態の深刻さを隠し通そうとする思惑が強く感じられる。その結果、見捨てられたという感情が生じる。



さらに深刻なこと。事態が進展にするにつれ、発電所の運営会社(東電)が、この原子力事故を特徴づける主要な情報を不完全に伝えたり、誤って伝えたフシがあり、その後、各ステージで、結果を過小評価しながら、こうした情報は伝えられた。



1年が経過し、放射線を直接の原因とする犠牲者が本当に誰もいないとしても、その代わりに、福島第1原発から200km以上まで、人々、特に子どもたちが放射能汚染の影響を受けたことを、独立の研究者たちの研究結果から示されている。人々の健康と、水・農産物・食肉や乳製品の汚染の問題は、大きな心配事だ。10年後・20年後・30年後にガンが流行することを、科学者たちは憂慮している。



この憂鬱と疑念の文脈の中、施設の解体作業が順調に進むと市民に知らせることを目的に、当局はいつも通りの発表を続けている。注目できる発表の一部としては、当局は11月、福島で生産された米の販売を禁止し、そして12月、今度は損壊した発電所を解体する工程の作業に40年との見通しを出し、あわせて、原子炉の「冷温停止」、つまり、摂氏100度以下の維持を宣言した。



言葉は特徴的だが、今回の場合、「冷温停止」とは、原子力業界で通常使われているような、プールに浸された燃料が無力化されたという意味ではなく、原子炉内の温度を安定させるために、発電所の作業員が絶え間なく注水作業を行っている、という意味だ。





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東京・東電本社前、母親たちのデモ。

RFI/Arnaud Jouve






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鉢呂吉雄経産相は、福島関連の発言が失礼と判断され、辞職を強いられた。
REUTERS/Toru Hanai






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福島の大事故から6カ月、食物連鎖の中で放射能が濃縮し、今回は米が問題に上がった。

REUTERS/Samrang Pring






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福島原発の事故以降、水の放射能計測が毎週行われている。

RFI/Lagarde






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福島原発の周囲20kmの避難区域内にある町、富岡の商店街。

REUTERS/Stringer






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2012年2月28日、福島発電所内の特別司令室で、報道陣に応対する高橋毅所長。

REUTERS/Kimimasa Mayama






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福島原発の作業員は、出入りのたびに放射能測定を受ける。

REUTERS/Issei Kato






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福島原発から20km圏の境界にある大熊の町では、放射能メーターが6.40マイクロシーベルト毎時を示した。

REUTERS/Kim Kyung-Hoon






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南相馬市内の、原発から最も近い学校が2011年10月に再開したが、戻ってきた生徒は、205人のうち91人だけだった。

REUTERS/Toru Hanai






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この南相馬の児童は、放射線量を測定するガイガーカウンターを携帯している。

REUTERS/Toru Hanai






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大熊町からの避難者、クロダ・ヒトシ氏は、町への一時帰省で日用品を取りに戻った。

REUTERS/Kim Kyung-Hoon






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大熊で、フクオ・ミノオ、クニコ夫妻は、先祖の壊れた墓の前で祈る。口と鼻をマスクで覆い、放射性微粒子をできる限り吸い込まないようにしている。

REUTERS/Kim Kyung-Hoon








(投稿者より)



RFIサイトに掲載された記事です。誤訳があるかも知れません、ご容赦下さい。