基地負担で沖縄の怒りは沸騰している(BBC):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/09/news8/msg/378.html







(Anger simmers over Okinawa base burden: BBC NEWS ASIA-PACIFIC)

http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-11390281





2010年10月4日 最終更新02:15GMT





基地負担で沖縄の怒りは沸騰している





フィリッパ・フォガーティ

BBCニュース、那覇








沖縄中部の米軍基地、背後に住宅区域を控えている





日本・沖縄島は、十数カ所もの米軍基地嫌々抱えている。そして、一飛行場の移転騒動がやり場のない怒りに火を付けた。



首里城は、沖縄県都・那覇を見下ろす丘の上に立つ。



かつてそこには琉球国王の王座があり、日本の南、台湾の北に位置する島々を統治した。



城は赤い優美な建物で、王はそこで使節と会い、アジア各地との貿易を指揮した。



いまその城は、日本最南端の県の、魅力的な観光地となっている。そこからは、密集した集合住宅地やオフィス群を見下ろすことができる。



城から北へ向かうと、道路は渋滞している。20kmの間、ほとんど切れ目なく、米軍基地が道路の右側か左側に立つ。



「立入禁止」と表示された高い塀は、その区域に沖縄県民が立ち入れないことをはっきりと示している。



基地の反対側はバーや店が並び、車やメキシコ料理を売っている。貨物機や戦闘機が頭上を飛んでいる。



基地は島のほぼ5分の1を占めている。在日米軍基地全体の74%が、国土の1%に満たない沖縄に存在する。



沖縄県民は、これは公平でないと、数十年間言い続けている。4月には9万の住民が抗議のために集まった。この15年で最大の抗議集会だった。



沖縄県民は、基地が国の安全保障上、必要であることは理解している。しかし、なぜこれだけ大きな割合の米軍基地が沖縄にあるのか、理解していない。」県基地対策課のイジュウ・ナオヤ氏は語る。



「『我々はみな日本人なのに、なぜ沖縄県民だけがこのような負担に耐えなければならないのか。』と考える人は多い。」





混雑する島





沖縄は、19世紀末、強制的に日本に併合させられた。最後の琉球王で首里城の主だった尚泰は、1901年に東京で死んだ。日本化のプロセスが始まった。



第二次大戦の終わり、日本が降伏した後、日本政府は沖縄を一時的に米国の統治に委ねた。



米国は基地のために土地を奪い、これが日米軍事同盟の基礎となった。簡単に言うと、日本が米軍のために土地とお金を出すなら、米国は日本を守るのだ。



今日、26,500名の米国軍人が、沖縄の30以上の基地で勤務している。











それには、巨大な嘉手納空軍基地と、北部のジャングルの演習場が含まれる。さらに、当然だが、海兵隊普天間飛行場宜野湾市のど真ん中にある。そこでは、住宅や学校がびっしりと塀の外側を取り囲んでいる。



日米両政府は、沖縄の米軍基地は、不安定で競争が激化している地域で、安全保障を維持するために不可欠だと言う。



基地の恩恵はあると、支持派は言う。沖縄は日本で最も貧しい県で、基地関連の所得が県民所得の5%を占めている。



9,000人以上の住民が基地で雇用されている。土地を貸与する家庭には、優遇された地代が支払われる。基地を抱える自治体への補助金も同様だ。



しかし、反対派は航空機の騒音と交通遮断を指摘する。基地を迂回して車を走らせなければならないのだ。彼らは基地が関わる犯罪の多さに不満を抱いている。彼らは、日本で最も出生率の高い沖縄の県民には、そこで生きるために、土地を返還してもらうことがどうしても必要だと言う。



また彼らは、基地のために沖縄の文化的アイデンティティは失われつつあり、補助金は依存の文化を生みつつあると訴える。基地の土地が返還されれば、より生産的な経済活動に使えるのに、と言う。





間違った希望





基地問題の抗議行動には波があった。一つの波は、1972年、米国から日本への沖縄返還が、基地問題の解決をもたらさないことを、沖縄県民が知った時に来た。



別の波は1995年、3名の米兵が12歳の少女を暴行した事件の後に来た。








沖縄の年表



■1429年:尚巴志王琉球王国を建国。

■1609年:南日本の薩摩藩が侵攻。

■1872年:日本、琉球王国を領国化。1879年に直轄化。

■1945年:沖縄戦で推定100,000人の沖縄人文民が死亡。日本降伏。米国が沖縄を統治。

■1972年:沖縄の日本復帰。米軍基地は残留。



概要:沖縄









最近の波は、2009年6月(原文通りに書きます:投稿者)に首相に選ばれた鳩山由紀夫氏が、普天間飛行場は、当初合意されていた沖縄島北部ではなく、沖縄県外への全面移転が可能と示唆したことにより、引き起こされた。



「それまで、沖縄から基地が移転していくことを示唆した政治家はいなかった。」移転先の候補地となっている、名護市の稲嶺進市長は言う。「実際は、普天間の県外移転によって、人々に希望がもたらされるかもしれないと、民主党は言ったのだ。」



この希望の波が押し寄せている間に、沖縄県民は4名の基地反対派議員を選出して国会に送った。その同じ波が、1月、基地反対を訴えた稲嶺氏が名護市長選を戦い、勝利するのに寄与した。



4月には大きな集会が開かれた。沖縄県議会も、普天間基地の県外移転を求める意見書を全会一致で採択した。1万7千の人間の鎖普天間基地を取り囲んだ。



しかし、米国の強い圧力の後、鳩山氏は寝返った。5月に同氏は、普天間基地の代替地を見つけることは不可能だったと語った。鳩山氏の「断腸の決断」とは、移転案を計画通りに進めるべきだ、というものだった。その後、同氏は辞任した。



沖縄県民は大いに怒った。地元メディアは、これは裏切りだと表現した。なぜ、日本の他のどの場所よりも、沖縄に基地を置く方がより受け入れられやすいのかと、人々は疑問の声をあげた。



それ以降、怒りは去っていない。車もバスも、「平和」な沖縄を求める表示を掲げている。いくつかのビルにもそれがある。地元メディアは戦闘的だ。





「差別」





琉球大学大学院・法務研究科長の高良鉄美教授は、これは、単なる移転案の問題よりも非常に大きいと語る。







沖縄県民たちは知事選挙で自分たちの怒りを感じて貰うのを待っていると、高良鉄美教授は語る





沖縄の声を日本政府は数十年無視してきたと、沖縄県民は感じていると、教授は言う。



日本の一部となってから、沖縄県民は自分たちの運命を自分たちで決められなくなった。第二次大戦中、沖縄は日本国内で唯一、地上戦の戦場となった。1960年、米国が沖縄に核兵器を配備した。1972年、米国の統治は終わったが、基地は残された。



教授の話しでは、沖縄県民の権利は一貫して、日本の安全保障上の関心事の下に置かれ続けた。「沖縄県民は差別されている。それが問題の根本だ。」と教授は語る。



教授は、この点が本土では正しく理解されていないと言う。



「4月に私たちが抗議したとき、米軍のことで抗議しているのだろうと彼らは考えたが、それは違う。」教授は言う。「私たちが日本政府から受けている問題ある扱いについての方が大きかったのだ。」



県職員のイジュウ・ナオヤ氏は、沖縄県民が二級市民の扱いを受けていると考える人は多いと言う。



鳩山氏の寝返りは、いままで基地のある沖縄しか知らなかった若者たちさえも、巻き込んでいるようだ。



「私の母は基地で働き、私も基地があるので英語を学んだ。」ある若い公務員は言う。「でも今は、ここでは何かが間違っていると考え始める人は、だんだん多くなってきた。」



抗議の波を激化させた移転案は、11月の沖縄県知事選挙を前に、現在行き詰まっている。



移転案を進めるのを認めるか却下するか、決めるのは知事だ。強固な基地反対論者の宜野湾市長・伊波洋一氏が現職に挑戦するが、移転案への同氏の立場はまだはっきりしない。



伊波氏が勝利すれば、日本政府は、市民と市民が民主的に選んだ知事を押さえつけるか、安全保障上の鍵となる外交関係を弱めるかの選択を強いられるかもしれない。



高良教授は言う。沖縄県民は毎日路上で抗議しているわけではない。しかし、県民は注目し、待っている。選挙は、自分たちの思いが影響力を持つ機会になると期待していると、教授は言う。











(投稿者より)



基地問題についての沖縄の県民感情をレポートした、東京ではなく那覇発の、イギリス・BBCのサイトに掲載された記事です。記事中の発言は、英語の原文から日本語に変えています。誤訳があるかも知れません。ご容赦下さい。



記者は沖縄を歩き、沖縄県民の声を聞き、基地問題だけではなく、日本と沖縄の微妙な関係まで掘り下げて伝えています。本土が沖縄を語るとき、欠落している感覚を上手に拾い上げていると思います。「日本は沖縄を差別している」、日本メディアがこのコメントを伝えることはできないでしょう。



沖縄取材のレポートですから当然のことですが、原文では"Okinawan"という言葉が多用されます。ところで、同様の表現で、"Osakan"、"Hokkaidoan"などは辞書でも見ません。言葉の上だけは、沖縄は日本と同格の存在なのかもしれません。



この問題では、ほぼ同じ時期に、フランスの国際ニュース局・フランス24が同じ沖縄の基地問題をテーマにレポートしています。基地がもたらすさまざまな問題と、経済的な恩恵との間で揺れる県民感情を伝えていますが、問題と恩恵を並列させる視点は、多少、東京目線なのかもしれません。日本語ではありませんが、興味がありましたらご覧下さい。











(Okinawa: fed up with the US military presence : France 24 English)

http://www.france24.com/en/20100924-2010-09-24-1010-wb-en-reporters-japan-okinawa-us-military-bases





最終更新 2010年9月24日−日本





沖縄:米軍の存在はもう御免





沖縄、色鮮やかな日本の島々。どこへ行っても、砂浜、観光客、、、そして、米軍基地。地元住民は騒音、事故、犯罪率の上昇にいら立つ。彼らの望みは、1945年の日本敗戦以降、沖縄に居座り続ける米国人が去ることだ。