リアルとネットいじめ:「ポストコロナ時代にニューモラルが求められる」(Sputnik日本)

リアルとネットいじめ:「ポストコロナ時代にニューモラルが求められる」(Sputnik日本)









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リアルとネットいじめ:「ポストコロナ時代にニューモラルが求められる」







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ルポルタージュ





2020年06月10日 18:10(アップデート 2020年06月10日 23:40)






筆者 : エレオノラ シュミロワ





プロレスラーでNetflixのリアリティー番組「テラスハウス」に出演していた木村花さん (22)の悲劇的な死は世論を騒然とさせた。原因は木村さんがネットでの中傷を浴びたことだった。事件はインターネット空間での中傷と有効に戦い、同時に基本的人権を侵さないための法規制の必要性を浮き彫りにした。一方で日本の教育学者の多くはこの問題は法規制だけでは解決できない、日本社会の質的な変化が要されると考えている。





芳しくない統計



日本が公式的に発表しているいじめ件数は急速な勢いで増加しており、2013年、学校にいじめに対処し、それを防止するためにいかなる措置を講じたかを報告する義務を負わせることを記した「いじめ防止対策推進法」が発効した年から記録を更新し続けている。文部科学省は、こうした結果はいじめの実態を明らかにし、教育機関の抱える問題を認識する上で成果があがっていることを示したものと指摘している。







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日本ではいじめ問題への関心が高まっているにも拘らず、最新のデータである2018年の時点からいじめの早期発見、警告の試みは功を奏していない。自殺のレベルと同じく小中高校生に心の傷、身体的な外傷をもたらす深刻な事件の発生レベルも相変わらず上がっている。しかもこの件で最も憂慮を呼んでいるのが小学生の状況だ。



サイバーブーリング(ネットいじめ)の件数はいじめの総数のわずか3%だが、一方でこの数値の低さはネット空間のいじめをあぶりだす明確なメカニズムがないことと関係している。匿名で行われるという要因が加害者への責任追及を極めて複雑にしている。





昔からあるのに、なぜ未だに解決策はないのか?



佛教大学の原清治教授はなぜいじめが無くならないかについて、次のような見解を持っている。



「いじめられるということがすごく悪いことのようなイメージがまだ子ども達にも社会の中にも強いです。実はいじめられている人は、勿論、何も悪くないです。しかし、自分に悪いところがあるので、いじめられているのではないかなと思うような傾向はまだすごく強いです。そうすると、いじめられていることをできるだけ隠そうとする部分がどうしてもあります。」







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日本の世論は主に学校でのいじめにくぎ付けになっているが、実は深刻な中傷の例は大人の間でも起きている。



東京学芸大学教育学部の杉森 伸吉准教授は、第2次大戦後の日本では国民全体が飢えており、その時代には犯罪や暴力は日常茶飯事で起きていたと回想する。こうした時代は「弱肉強食」の原則がまさに大手を振っていた。子どもは、脅す者の犠牲になるくらいなら、自分が相手を脅かす側にまわれと諭された。なぜなら犠牲になったら同情を買うより罪を問われるのが関の山だったからだ。



戦後の苦しい時代の論理ははるか昔に置き去りにされているのが道理だが、杉森准教授 は、1980年代のバブル経済であまりにもひどい格差が際立った後、それが崩壊し、この時代になってもなお、社会経済要因は主要な位置を占め続けており、未だに日本は「弱肉強食型の社会」に傾いた状態にあると指摘する。まさにこの弱肉強食型の攻撃、つまり弱く、持てぬ者を圧するという原則が、2011年10月に大津市で起きた当時中学2年生の男子の悲しくも、あまりにも有名なあの自殺を引き起こした。この事件がきっかけとなって日本政府は法的措置に乗り出した。



今、いじめは多種多様で、それが起きた条件も加害者の動機も大きく異なることがわかってはいるものの、日本に育まれてきた社会経済的な特性、また歴史的文化的特性がかなりはっきりした形でこれに影響していることも見えてきた。







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日本社会の歴史的文化的特性について千葉大学の藤川大祐教授は、いじめの多くは日本社会の特性である「空気を読む」に関係しているのではないかと考察している。



「私は、いじめや(木村花さんのような)SNSでの中傷が起きる背景には、日本人の『空気を読む』という特性があると考えています。みんなが『空気を読んで』感染防止につとめている中で感染した者を責めるとか、テレビ番組で態度が悪く見える出演者を叩いてよい空気に多くの人が同調するといったことが、いじめや中傷につながっていると考えています。」



原清治教授も類似した考えを表している。



「周りがみんなで木村さんを非難し始めると、そうすると自分がその集団の中にいよう、自分も木村さんのことを非難しないといけないような、同調圧力という、みんな同じでいなければならないような圧力がネット空間では特に働きます。



さらに、若者たちは乗って、その場の雰囲気をすごく大事にするので、自分だけ違うとか、みんなで意見が違うとかということを人の前で言ったり、したりすることはすごく苦手です。日本人ってみんな同じでいることがとても美しいと言われ続けてきた民族ですから。」







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興味深いのは原清治教授によると、日本型のいじめというのは実際に特性を持っている。「東アジア型のいじめ」というタームが存在するのもちゃんと訳がある。



ネットいじめに関して明治大学内藤朝雄准教授は、ネット中傷など新しい現象ではなく、インターネットが出現して発生したものでもないという見解を持っている。



「インターネットに限りませんが、嫌がらせ電話でも、嫌がらせ手紙でも、加害者は自分が相手から見えない透明人間になる魔法のマント(隠れ蓑)をはおって、安全なところから何でもできるような、ちょっとした全能の気分を感じてしまっていると思います。インターネット、電話、手紙といったものが、そういう全能の気分にスイッチが入ってしまう魔法のアイテムになってしまうことがあります。そうすると普段は立派そうな大人も、子ども地味たことをしてしまいます。



女子プロレスラーの方は、そういうスイッチが入った人々の群に、なぶり殺しといってもようような被害にあわれたと考えられます。ただ、こういうことは電話や手紙や集団陰口などで、昔からえんえんと繰り返されてきた悲劇でもあります。今に限ったことではありませんし、インターネットによって出現したことでもありません。」





出来ることは何か?







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藤川教授は、質的に状況を変えるには長い時間がかかると指摘する。だが、短期でよい結果を導く、いい方法もある。



法規制は有効とは考えられませんし、恣意的に運用される恐れもありますので、望ましいものとはいえません。本来、空気を読むことを最優先することをやめ、異質な他者を尊重することが定着する必要がありますが、短期的にそうした変化は望めません。当面有効だと考えられるのは、『みんなで中傷するのは恥ずかしい』『感染症いじめは卑劣だ』という空気をつくることです。テレビやTwitterで多くの人がこうしたことを言うようになれば、短期的には中傷やいじめを抑えることができると考えられます。日本人はよくも悪くも空気を読むので、空気によって生じている問題への短期的な対応策としては、空気を変えることしかないと考えられます。」



内藤准教授もネットいじめには法規制が効果を発揮しうると考える一方で、こうした手法は別のリスクも伴うとくぎを刺している。



「学校のいじめでも会社のいじめでも、大人のネット中傷でも、法規制は有効です。というのは、加害者は自分が損をすると判断したら、行動を止めるからです。加害者にとって被害者は虫けら同然の存在ですから、その虫けら同然の存在のために、大切な自分の人生を破壊してもよいとは判断しません。この残酷な事実を前提に、現実的に考えれば、法規制は利害構造を劇的に変化させるので、加害を抑止するのに大きな効果があります。







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ただし、注意しなければならない重要ポイントがあります。今回の女子プロレスラーの自殺をきっかけに世論がもりあがったことを利用して、政府が、政府や有力政治家を批判する人たちを黙らせるための法律をつくってしまう可能性があります。ですから、法規制は、政府、政治家、大企業、高官といった、社会的に大きな権力を有する対象を、政治的な話題においては除外する必要があります。」



新潟青陵大学碓井真史教授は、今、コロナウイルスの拡大時期にあって人々の間にある相手への不寛容さは増す一方であり、これがいじめ状況をエスカレートさせる危険性をはらんでいると指摘している。学校のいじめではすでにコロナウイルスに感染してしまった児童についての危惧感が表されている。感染した場合、自分は「罪を犯した」側に立つことになり、それがその子への深刻な心理的圧力になりうる恐れだ。



内藤准教授は、子どもが育つ環境である学校教育が根差している原則が変わらない限り、現実的な成果を出すのは難しいと考えている。







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「日本の学校は、世界の学校の中で、極端なまでの集団主義教育を採用しています。学校でのいじめは、狭い空間にとじ込めて強制的に生活全般を集団化することが、その蔓延とエスカレートの主要原因になっています。そのような環境条件のなかで子ども達は、ありとあらゆる運命が、その場その場の不安定な人間関係に左右される不安と恐怖のなかで生活しなければならなくなります。だから、学校の集団生活では『空気を読む』『周囲の有力者たちの顔色をうかがう』ということが、動物の習性のようにたたき込まれることになります。日本の学校を知らない諸外国の人々にとって、それに類似するものは、軍隊の生活です。加害者被害者は、オフラインでつきあいのある者たち、特に、クラスや部活でいっしょの者たちです。インターネットを用いたいじめがある場合でも、それは、クラスや部活での人間関係のいじめに、プラスアルファで加えられた手段にすぎません。この環境条件を変えなければ、何をしても効果はありません。」



こうした例は学校で道徳教育の科目が教えられたところで、それが十分な措置となりえてはないことを示している。



内藤准教授は「いじめによる自殺が近年大々的に報道された大津市の中学校は、道徳教育のモデル校でしたが、それは道徳教育、心の教育、心理教育などが無意味であることの典型的な例です」と指摘している。



原清治教授によれば、日本の学校では新しい学習指導要領を導入するところが増えてきている。この新指導要領は時間がたてば、手ごたえのある結果をもたらすかもしれない。







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「これまでの日本での学校教育というのはクラスに30−40人の子供たちが入っていて、先生が子供たちに向かって一方的にお話をする、どちらかというと知識を注入するような教育が一般的だったんです。これからは自分の考えていることや相手の思いを授業中に沢山こう発言させて、それを聴きながら、自分の学びや考えを深めていこうとそういう授業が新しい学習指導要領でとられていくことになります。以外の人がどう考えているのかということをしっかりと聞くことができるようになってくると思います。」 原清治教授はこう語る。



原清治教授 はまた 「アサーション」という実践にも大きな期待が持てるという。 この方法はいくつかの学校ですでに導入されている。



「やっと、日本でもアサーションという言葉が学校の中でずいぶん言われるようになってきました。アサーションというのは日本語で言うと『自己主張をする力』とよく言われます。自己主張は自分の意見を言うばっかりではなくて、人の意見も聞くと同時なんです。だから日本人は一番不得意なのは『沈黙は金』なんですから、それはやっぱりダメなのです。自分の意見をちゃんと人に言う、その代わりに相手の意見もちゃんと聞く。そうすると、両者の間に意見の違いがあったとしても、それをお互いに認め合って、どこかその真ん中辺にお互いの妥協できるところを見つけていく。そう言うのがアサーショントレーニングと言うんですけれど、そういう自分の意見を言うと言うのはアクティブラーニングの授業の中でもずいぶんと先生方が大事にされるようになってきました。」







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原清治教授はこうした方法論の上でさらにネット上のリテラシーの教育の重要性を力説している。



「また、ネット上のリテラシーの教育も非常に必要です。そのリテラシーの中に『みたくない情報は見ない』、つまり自分に撮って嫌だなと思う情報を敢えてアクセスしないという、そういうスルーする力、見ない力、気にしない力というものはとても重要だと思います。」



原清治教授は、コロナウイルスパンデミックのおかげで日本人には結束し、いじめ問題を解決するために自分の価値観を見直すという今までにない可能性が生まれたと考えている。



「寛容性が生まれる社会になっていくとは思わないですけれど、やはり、ポストコロナの時代の中で新しいそのニューモラルみたいなものが求められていく時代ですから、これまで日本人の子供たちと若者たちの考え方や価値観をちょうど今変えていくチャンスだと僕は思っています。この状態の中でつながると言うことが大事だと思うことを多くの人が再認識したと思います。いきなり大人が社会のあり方を変えると言うことは難しくて、したがって、法律的規制することによってよくなることではないです。法律的な解決にはならないと思います。やはり、時間かけても少しずつ社会のあり方が変わっていかない限り、日本のいじめみたいなものはなくなっていかないと思います。」原清治教授はこう語っている。





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