日本:次の年号は「令和」となる (RFI):阿修羅♪

日本:次の年号は「令和」となる (RFI):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/278.html









(Japon: la prochaine ère impériale s'appellera «Reiwa»: RFI)

http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20190401-japon-ere-reiwa-imperiale-Akihito-nahurito





日本歴史





日本:次の年号は「令和」となる





記者 フレデリック・シャルル





発表 2019年4月1日・更新 2019年4月1日17:41








新年参賀での皇太子徳仁親王(右)と父・明仁氏(左)

Kazuhiro NOGI / AFP






日本政府は次の年号を明らかにした。時代の名は「令和」、「調和」を重んじる漢字2字の組み合わせだ。調和は希望をもたらす。明仁天皇は4月30日に退位する。息子・徳仁氏の治世が始まり、新たな時代が開かれる。新たな時代の名の選定には数ヶ月の極秘の議論を要した。





記者はRFI東京特約記者





日本は1868年、将軍の体制を廃止し近代に転換する時に西洋のグレゴリオ暦を採用した。それでも、中国から受け継いだ年号の制度は維持した。



この国では天皇の治世に合わせて時代を仕切り直す。そうすると、2019年は現在の平成(「平和を達成する」)時代の31年目だ。戦前は天皇が治世の名を自分で付けていたが、今日では政府がこれを決める。





引退の動き





体調の優れない現在の明仁天皇85歳の引退が認められたという事実により、今回の時代の変更は複雑なものとなった。皇室典範天皇の退位(投稿者による和訳を想定していなかった。



4月30日、明仁氏は近代以降で初めての2世紀ぶりに玉座を降りる君主となる。そのため、同氏の退位を承認するための特別法を制定(投稿者による和訳しなければならなかった。原則として時代の変更は天皇の死のみにより行われ、存命中にはない。天皇の役目は自身の息が絶えるまで日本の歴史の持続性を体現することだ。





数々の変化





新たな時代とその名前の選定は日本に数々の変化をもたらしている。公的な文書は年号により日付が記される。カレンダー製造業者・学校・病院・企業は4月30日に始まる時代の変更に適応しなければならない。



2000年の変わり目の時のようにプログラムのバグを心配する人たちがいる。硬貨には新たな刻印が打たれる。日刊紙は利便性を考慮して二つの紀年法が併用され、グレゴリオ暦と共に年号を括弧付けで記している。



日本人は「年号を使うと過去を思い出しやすい」と考える。例えば30年続く現在の平成時代は、1995年の神戸の地震や、2011年の東北の地震とそれに続く福島の原発事故、30年間のいわゆる「失われた」経済成長と結び付けられる。新しい時代は新しい考え方でもある。









(投稿者より)



明治維新は1868年のスタートですが、日本の太陽暦導入1873年でした。当時の暦法では19年に7回閏月が来ますが、政府は13回目の給与を節約するために月の数を削りそれを制度化したようです。



新年号は「令和」、「りょうわ」ではなく「れいわ」です。その意味は「和を令(れい)じる」ではなく「令(うるわ)しき和」とのことです。出典は、公式には国書『万葉集』に記された大伴旅人の歌会の記事とされていますが、実は漢籍『文選』に載せられた張衡の『帰田賦』じゃないか?という議論が出てきました。一筋縄では行かない時代を予感させます。



「令」という字に冷たさや押しつけがましさを感じる方がおられるようです。ただ、「律令」でも「令」とは行政法ですから、上から目線で「和を言いつける」、というよりは、平和なり調和なりを成就するための制度なりメカニズムなりを組み立てる、という考えの方がしっくりきそうです。



論語』に述べられた「巧言令色鮮なし仁」、その字義を考えたとき『令』は年号に相応しくない、という意見がありました。確かにそうかも知れませんが、「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたい」、という首相の談話を額面通り受け取ってもいいと思います。



もっとも、そこには落とし穴が一つあります。年号の出典は歌会の記事でした。当然ですが、そこは歌を詠めない人の参加できない場です。つまり、足切りがあります。希望は叶う、ただし、資格や力のある人のみにだ、ということでしょう。「令和」の世は必ずしも全ての人にとって無条件に明るい時代にはならないようです。