トランプ大統領のアメリカはこれからも世界に関与せざるを得ない。(『日本の情報・戦略を考えるアメリカ通信』メルマガ):阿修羅♪

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http://www.asyura2.com/17/kokusai17/msg/331.html











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(投稿規定に基づき本文のみ転載)





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├ 2017年1月16日|トランプ大統領のアメリカはこれからも世界に関与せざるを得ない。



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おくやまです。



先日の放送でもとりあげた、

ロバート・カプランの意見記事の要約です。





ストラトフォーの若手研究者である

ゼイハンの本でも指摘されてますが、

アメリカの国内の地理状況の有利さを

今度はカプランも指摘してきました。



ただしこの記事でカプランが言っているように、

フロンティアでの経験がそのままアメリカの

国民文化につながったのかという点は、

その決定的な因果関係という面では

証明することはむずかしいですね。



その代わり、アメリカの兵站重視の戦略文化は

ウェイグリーの著作でも指摘されていたわけで。



ちょっと長いですが、「地政学」という意味では

とても参考になるものです。



( おくやま )





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トランプはなぜ米国を世界から撤退させられないのか





ロバート・カプラン





アメリカはどれほど世界に関与すべきかという問題は、われわれの歴史においても常に議論の的となってきた。たとえば1821年には、ジョン・クインシー・アダムスは、海外に出かけて行って「怪物を探して倒す」ようなことをすべきでないと忠告している。



ところが彼の想像をはるかに越えたレベルで世界が相互接続されている現代の世界では、われわれは彼の忠告の真逆のことを行わざるを得ないし、ときにはそれを行いたいという魅力にとりつかれる。その結果が、バルカン半島アフガニスタンイラク、シリアであり、おそらく近々それに北朝鮮が加わることになるかもしれない。



トランプ次期大統領が世界から撤退(これは米国史では極端な立場だ)をほのめかしている状況から考えれば、アメリカの関与の「適切なバランス」はどのようなものなのだろうか?



皮肉なことに、この議論にはいままで一度も議論されなかったが、それでも最も役立つ要因がある。それはアメリカの「地理」(geography)である。



アメリカが実質的に「島国」であり、二つの海と、ほとんど人の住んでいない北側のカナダの北極圏に守られていることは広く知られている。



ところがこれは単なる議論の前提であり、アメリカの物理的な位置関係や地形の質は、われわれの対外政策の精神面での方向性を教えてくれるものだ。そしてこれは、トランプ氏でも変えることはできない。



1919年にイギリスの地理学者であるハルフォード・J・マッキンダーが書いたように、北米大陸の温暖な地域を占有するアメリカは、アフリカとユーラシア大陸で構成される
「世界島」の最も重要な「付随物」なのである。



アメリカは、旧世界からの脅威や複雑な問題から物理的に離れ、鉱物から石油までの天然資源に恵まれているだけでなく、航行可能な内陸の水路については世界のほとんどを合わせたものよりも長い。



そしてこの河川システムは、グレートプレーンズからロッキー山脈までの人口の少ない地域までカバーしているわけではないのだが、それ以東の耕地となる農作地帯、つまり土壌の肥えた中西部はカバーしているのだ。そのおかげで、19世紀にはこのシステムは人口の集まる地域を結びつけ、内陸で生産された物資や農産物の動きを絶え間ない運搬を可能にしたのだ。



この河川システムは、木の葉の静脈のように最終的にミシシッピ川に流れ込むのだが、ここからさらにメキシコ湾からカリブ海につながっている。したがってこれは、アメリカの人口が多い地域に点在する農場や都市を、グローバルな海上交通路につなげているのだ。



よって、アメリカは「旧世界」から物理的に守られていながら、それと完全に決別したことは一度もない。大カリブ地域からミシシッピの河川システムまでがもつ重要性のおかげで、アメリカにはいわゆる「アメリカの地中海」(the American Mediterranean)と呼ばれる海域を戦略的に支配する必要が出てきたのである。



ちなみに「アメリカの地中海」とは、地政学的に大カリブ海地域が西半球全体にとって中心的に位置することを教えるものだ。



ここの支配のプロセスは、モンロー・ドクトリンが宣言された頃から始まり、パナマ運河の完成とともに終わっている。



支配的な「半球勢力」(hemispheric power)となってから、アメリカは別の半球のバランス・オブ・パワーを決する立場になったのであり、それが20世紀の歴史そのものとなった。



アメリカが二つの世界大戦と冷戦を戦った理由は、いかなる国や同盟勢力に「旧世界」を支配させないことにあり、これはアメリカが「新世界」を支配した延長線上にあったものだ。



ところがカリブ海を支配する前に、アメリカはまず自身の存在する北米大陸を支配しなければならなかった。その最大の障害となったのが、19世紀当時には「アメリカの大砂漠」と呼ばれていた、グレート・プレーンズであった。水の便の良く、豊かな農地のある中西部というのは、結局はアメリカ東部の延長でしかなかったのだが、その反対に「アメリカの大砂漠」は乾燥しており、そのほとんどが平地で、中西部に比べると水が枯渇していたのだ。



川のそばにあるアメリカの東半分は個人主義をはぐくみやすい土地であったのに対して、西半分は水資源の適切な分配を行うために、地方自治主義(communalism)を必要とした。その証拠に、アイオワ州はほぼ100%の割合で耕地にできるのだが、ユタ州の荒れ地ではたった3%なのだ。



グレート・プレーンズとロッキー山脈の西部は、アメリカ史においても断絶した場所であり、だからこそアングロ・サクソン文化を根本的に変え、アメリカ独自の文化を生み出したのである。



このアメリカ文化は、個人がリスクを取るようなカウボーイの伝統から影響を受けた部分は小さく、むしろ自分たちの限界を知り、悲劇を避けるために悲観的に考えるという極めて注意深い考えに影響を受けたものだ。



これこそが驚くほど敵対的で乾燥させた土地と対峙するのを可能にする心理学と戦略だった。アメリカ西部での入植こそが、パイオニアたちに対していかに征服しようとも世界は常に思い通りになるわけではないことを教えたのである。



アメリカの西部への拡大について解釈した者としては、ここで三人の偉大な人物を挙げることができる。ウォルター・プレスコット・ウェブ、バーナード・ディヴォート、そしてワレス・ステグナーである。彼らはまだ西部への入植が現在よりも実感をもって感じられていた、20世紀の半ばに主著を書いたのだ。



もう一つ挙げるとすれば、ドイツと日本のファシズム、そして後のソ連共産主義を打ち負かすために、アメリカは北米大陸のすべての資源を必要としたという点だ。つまり「明白な天命」(Manifest Destiny)がなければ、第二次世界大戦での勝利はなかったのである。



ところがこの大陸での入植には、奴隷と原住民に対する民族虐殺が伴ったこともあり、アメリカの歴史は道徳的に解決不可能だ。したがって、われわれの罪を究極的につぐなうための唯一の方法は、世界で「善」をなすことになる。



ところが善をなす時に常に必要になってくるのは、その過程で失敗する可能性を考えるということだ。そしてこれらはすべて根本的に、アメリカ人がその地形と直面した時に得た教訓なのである。



もちろんテクノロジーは距離を克服しつつあるが、それでも地理は消滅していない。むしろそれは、より混み合って激しく争われ、相互作用的な地球において、狭苦しいものに変わっていったと言える。壁をつくっても止めることのできないメキシコや中央アメリカからの人間の流入のエピソードからもわかるように、アメリカが外の世界と直面しなければならない地理的・人口的に明白な状況は、強まることこそあれ弱まることはないのだ。



孤立主義というのは、客船で大西洋横断に5日間かかった時代には深刻な議論を巻き起こしたものであるが、地理がこれほどまでに圧縮され、しかもネットをつかった通信手段が存在する現代の世界においては、無意味なものでしかない。



もちろんいまだに大陸内部の多くの問題をかかえた広大な地域からみれば、その外の世界は現実味のないものと感じられるのかもしれない。よって、軍事介入というのは大陸内の問題解決の必要性や、パイオニアたちの限界へのリスペクトを無視しているという時点で、孤立主義と同じように無意味なものと感じられるのだ。



ところが孤立主義はアメリカの戦力投射の必要性、つまり大カリブ地域と出会うわれわれの河川システムから始まる必要性を裏切るものであり、アメリカの多様性のある地勢的な状況そのものが「リアリスト的な国際主義」を支持する土台となるのだ。



リアリズムは孤立主義ではない。われわれは単にユーラシア大陸の「付属物」であり、われわれの同盟国はわれわれから遠く離れた超大陸のリムランドの、ロシアや中国のような独裁的な国家の近くに位置しているのだ。



そのような同盟国を守ることによって、われわれは「旧世界」のどこかの勢力がわれわれが「新世界」でもったような支配的な立場になることを阻止できるようになるのだ。われわれはこのようなことを道徳的観点から行うのだが、それでも戦力投射の後にわれわれの価値が続くことは事実なのだ。



ここでわれわれが常に覚えておかなければならないのは、侵攻すればその土地を統治することにつながるということだ。土地を征服すれば、そこを統治する責任を持つことになるからだ。これも困難な地理の危険を知っていた西部の開拓者たちが、経験から得た教訓の一つである。



フロンティアは、われわれに自分たちのアセットを倹約することを教えた。土地を拡大させてもいいのだが、それは自分たちの実力にあった時だけである。また、フロンティアはいくら時間がかかったとしても補給線を維持することを教えた。とどのつまり、フロンティアはわれわれにプラグマティズムを教えたのである。



これこそがミシシッピ川の遥か向こう側の乾いた土地に入植する際に必要なことだったのであり、これがアメリカにとって敵対的な環境下における最初の「国家建設」の試みとなったのである。そしてこの原体験による記憶が薄れれば薄れるほど、われわれの外の世界との遭遇は悪化したのである。



実際のところ、われわれの地理が教えたのは、バランスの必要性であった。つまり国家建設には注意しつつも、海洋国家としてのグローバルな責務を忘れるな、ということだ。



結局のところ、われわれがシーパワー国家になれたのは、大きな砂漠を征服した後であった。太平洋に到達できなければ300隻におよぶ海軍を建造できなかったからだ。核兵器は使用不可能であり、同盟国たちのエネルギーのアクセスに必要な長大な海上交通路を守ることを考えれば、われわれの戦略ツールはこの海軍であり、これによって世界秩序をなんとか保つことができているのだ。



アメリカはまさに地理的な理由から、主導的な立場に立つ運命にあるのである。





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