「広島・長崎、原爆の日。」(DW English、ロシアの声、AFP - France24、BBC):阿修羅♪

「広島・長崎、原爆の日。」(DW English、ロシアの声、AFP - France24、BBC):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/14/warb13/msg/739.html





(Japan marks 69th anniversary of US bombing of Hiroshima: DW English)

http://www.dw.de/japan-marks-69th-anniversary-of-us-bombing-of-hiroshima/a-17833712





日本





日本は米国による広島爆撃69年目の記念日を迎える





日本は米国による広島の原爆投下69年目の記念日を迎えた。広島市長はバラク・オバマ大統領などの指導者たちに、この前例なき破壊の結末を自分自身で見るよう呼びかけた。









水曜日の現地時間8時15分(協定世界時23時15分)、米国の原子爆弾がこの都市の上空で爆発して、推定140,000人が死亡した瞬間を知らせる鐘が鳴り響いた。被災者や親族、安倍晋三首相を含む政府高官など45,000人が、式典のために爆心に近い広島の平和公園に集まった。



松井一實・広島市長はバラク・オバマ米大統領など世界の指導者を、4月に同市で開催された軍縮・不拡散イニシアティブ閣僚会議に招待した。同市長は彼らに、広島と、その3日後に米国が投下した原子爆弾によって70,000人以上が死亡した現地・長崎を訪問するよう促した。



オバマ大統領や核武装国の全ての指導者は、原爆の爆撃を受けた都市をできるだけ早く訪問して、何が起きたかを自分自身の目で見て欲しいとの呼びかけにどうか応えて頂きたい」と、松井氏は語った。「そうすれば、核兵器がもはや存在を許されない絶対悪であることを納得するだろう。」





エノラ・ゲイが広島上空に原爆を投下したとき、70,000人もの人々が即死した





1945年8月6日、米軍の爆撃機エノラ・ゲイが「リトルボーイ」と呼ばれた原子爆弾を落とした。犠牲者140,000人の約半数は即死だった。8月9日、「ファットマン」が港町・長崎の上空で爆発した。原爆が戦闘で使用されたのは、歴史上いまだにこの2度の爆撃の時だけだ。



先週、エノラ・ゲイ乗員の最後の生存者セオドア・ヴァンカーク氏が米国で93歳で亡くなった。



原子爆弾は、ソビエト連邦の対日宣戦布告と並び、第2次世界大戦を終結させたと見なされている。しかし、日本本土上陸作戦計画よりも多くの犠牲者をこの爆撃が未然に防いだかどうか、議論は続いている。





「凄惨な経験」



キャロライン・ケネディ米国大使が参加した水曜日の式典の間、松井氏は、被爆者と日本で呼ばれる原子爆弾の被災者たちの声を人々は聞くべきだと語った。





広島の大部分が原爆により破壊された





「『水をください』という死の淵からの声が、15歳の中学生だった少年の記憶に今も残っている」と松井氏は語った。広島市長は被災者の表現を引用し、「焼けただれてグロテスクに腫れ上がった顔や眉毛や睫毛からうめき声が上がり、学校の制服はボロボロになっていた」と述べた。



松井氏は、多くの被災者が爆撃を生き延びたことへの極度な罪悪感を今も感じていると語ったが、「経験の凄惨さのために過去について殆ど語らなかった人々が、年老いてからやっと口を開き始めた。」





キャロライン・ケネディ米国大使





国の安全保障で攻撃的な姿勢を強めているために国内で批判を受けている安倍晋三首相は、世界唯一の原爆被災国として、核廃絶の道の先頭を進むのは日本の責務だと語った。



「日本には、核兵器のない世界を実現し、その残酷さを未来の世代と世界に伝え続ける責任がある」と、彼は語った。







dr/lw (dpa, AP, AFP)





発表 2014年8月6日

関連する話題 第2次世界大戦, ナチス

キーワード 広島長崎原子爆弾第二次世界大戦核兵器












(ロシアの声)

http://japanese.ruvr.ru/2014_08_06/275575166/





8月 6 , 17:19





広島・長崎に原爆を投下したのが誰か、日本人が覚えようとしないのは何故か





© Photo: AP





1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。人類のかつて経験しない出来事に、世界は震撼した。





米国は原爆の使用について、今でも謝罪していない。原爆攻撃は必要性に基づくものではなかった、と歴史学者たちは証言している。米国はただ、自らの力を誇示したのだ。戦争末期のあの時期、日本政府は戦争からの出口を模索していた。最新・最恐兵器の使用は無用な酷薄というものであった。



にも関わらず、日本はいまに至るまで、強く謝罪を迫ることをしていない。原爆投下についても、増え続ける犠牲者名簿についても。ロシア科学アカデミー極東研究所日本研究室長ワレーリイ・キスタノフ氏はそう指摘する。



「パラドキシカルだ。日本国内の報道や文献でこのテーマをたどってみても、そこには『誰が』原爆を落としたのかということについての記述が欠落している。『米国が』原爆を落としたのだ、とはどこにも書いていない。ただ原爆が落とされた、と書いてあるだけだ。どこからともなく原爆が飛んできたかのような印象だ。何故このようなことが?単純な話だ。日本は戦後長らく、事実上、米国の占領下に置かれ、経済的にも米国に依存した。西ヨーロッパの戦後復興計画『マーシャル・プラン』の日本版が、米国によって策定された。ほとんどそれのお陰を蒙って、日本の奇跡の経済復興は成ったのだ。米国はむろん、慈善事業でそれをやったのではない。ソビエト連邦が勝者の側で第二次世界大戦を終えるや、世界は新しい戦争の季節に入った。冷戦。『熱い』戦争に劣らず、長期間に及び、かつ金のかかる『戦争』である。米国は、アジアにおいて、第二次世界大戦の廃墟の中から、日本を筆頭とする『反共の防波堤』を早急に構築しなければならなかった。大戦末期における広島・長崎の原爆は、米国による、冷戦における最初のオペレーションとなった、と見なせる。米国は日本を、『敵国』からアジア太平洋地域における『戦略的パートナー』へと変貌させた。そうした既成事実の積み重ねの中で、日本の政治家たちは、もはや『誰が』爆弾を落としたのかということを明記することが出来なくなっていった。被爆地では毎年、追悼式典が行われてはいるが、日本人の意識からは、段々と、『誰が』この犯罪を行ったのか、ということの記憶が失われていっている。それは日米関係にとって、間違いなく、歓迎すべきことだ。米国は現在も、経済・政治・安保・プロパガンダいずれの分野においても、日本に支配的な影響を及ぼす国なのだ」



日本は歴史を忘れっぽい。他の東アジアの国々が、歴史に関して記憶力抜群なのとは、好対照だ。中国も韓国も、日本の軍国主義の過去を忘れてはいない。再びキスタノフ氏。



「日本は近隣諸国の結んだ統一戦線に直面している。日本が大陸における自らの侵略行為を正当化し、自らの過去の行為への評価を見直すことには、声を合わせて厳格に反対する、そうした統一戦線である。韓国との関係改善は、米国が手取り足取り仲立ちしてもなお、捗々しくない。植民地支配の過去がネックになっているのである。日本人自身は次のように考えている。植民地支配の時代、のちの米国と同様に、日本は朝鮮半島の社会経済的発展に大きく寄与したではないか、と。いわく、鉄道を建設し、企業を設立し、教育制度を整え・・・・・・。しかし、それら施策は、日本自身の利益のために行われたことだ。日本はより快適に資源を運び出すために植民地を開発する必要があった。教育制度だって、地元民を日本化する目的で整備されたのだ。さらに従軍慰安婦の問題がある。うら若い朝鮮女性が売春宿で日本人兵士の慰みものにされていた、という問題。韓国はこの恨みを今も覚えている。世代は移れど、日本の軍国主義の記憶は、朝鮮半島から拭い去られることがない。いま、日本の侵略行為を肯定的に再評価しようという気運がある。中国も韓国も、これを非常に注意深く見守っている。最新の動向としては、韓国と中国が、反日の一点でタンデムを組んだ。日本が再び軍国主義に走り、第二次世界大戦の結果を見直すことに反対するタンデムだ」



しかし、それでも日本は、近隣諸国に対し、長きにわたる植民地支配を詫びる試みを行ってきた。その点、米国はどうか。米国政府の公式代表が初めて広島の被爆者追悼式典に出席したのは2010年になってやっとのことである。しかも、その時、多くの米国市民が、そのことに批判の声を挙げたのだ。5年前に米コネチカット州クイニピアック大学が行った世論調査によれば、米国市民の61%が原爆投下を「正しいことだった」と評価している。「正しくない」と評価したのはわずか22%であった。







日本関連タチヤナ フロニ歴史日本関連











(Nagasaki marque le 69e anniversaire de la bombe atomique: AFP - France24)

http://www.france24.com/fr/20140809-nagasaki-marque-le-69e-anniversaire-bombe-atomique/





2014年8月9日 - 10:45





長崎は原子爆弾69年目の記念日を迎える





AFP





1945年8月9日、長崎の原子爆弾69年目の日を記念する式典で、平和の像の周りで鳩が放たれる





被災者を含む数万の人々が、土曜日の午前、原子爆弾から69年目の日を記念するために集まった。広島の原子爆弾の3日後で、長崎では70,000人が死亡した。



現地時間11時02分(グリニッジ時間02時02分)に、1分間の黙祷の開始を知らせる鐘が鳴り響いた。1945年8月9日のこの時刻に、その爆弾がこの都市を火の海に変えた。



台風の接近による激しい風にもかかわらず開催された式典は、「ファットマン」の異名を持つプルトニウム爆弾が米軍機によって投下された地点から遠くない場所で開催された。この6日後に日本が降伏し、第2次世界大戦が終結した。



高齢の被災者やその家族などの一般参加者、政府高官、安倍晋三首相、キャロライン・ケネディ駐日米国大使といった参集者たちを前に、長崎市長は日本政府に、第2次世界大戦終結以降日本が守り続けた平和主義路線を捨てる計画を断念するよう呼びかけた。





「日本が戦争を放棄した憲法の誓いは戦後日本と長崎の根本原則だ」と、田上富久市長は明言し、先頃の集団的自衛権をめぐる議論のために「この原則が危機にあるという危惧を与えている」と悲嘆の思いを述べた。



政府は先月、これまで専守防衛の役割しか認められなかった自衛隊に、同盟国防衛のための戦闘を容認することにした。



戦争に際して使用された原子爆弾は、長崎と広島の爆弾2発だけだ。



死者は広島で140,000人、長崎で70,000人が確認されている。これは即死者と、爆弾爆投下の瞬間から1945年12月までに爆発や放射線などのために死亡した人の合計だ。



原子爆弾の使用について米国はこれまで謝罪を行っておらず、また、犠牲となった2都市を訪問した現職の大統領は1人もいない。しかし、漏洩した外交電文には、米国政府から、2009年にバラク・オバマ大統領が広島を訪問し、その時に公式に遺憾の意を表したいとの提案があったが、日本側がこの訪問を拒否したと仄めかされている。





最初の発表:2014年8月9日











(Japan military move causes concern in Nagasaki: BBC NEWS ASIA)

http://www.bbc.com/news/world-asia-28723872









日本の軍事的な動きが長崎に懸念をひき起こす





2014年8月9日 最終更新 イギリス夏時間14:00





長崎市長は日本政府に、軍により大きな行動の自由を与える決定をめぐって、一般国民の懸念が高まりつつあることに留意するよう促した。



田上富久市長は1945年の米国によるこの都市への原爆記念式典で語り、日本の平和憲法の拙速な解釈変更と呼んでこれを批判した。



マイケル・ブリストウが報告する。





(環境によって元記事のページから動画を見ることが可能です。また、一般の方がYoutubeに同じ記事を投稿していますので、貼り付けておきます。:投稿者)









(上手く聞き取れなかったのですが、だいたい次のようななことを言っています:投稿者)



原爆攻撃に唯一苦しんだ国・日本。米国が落とした爆弾2発のうち1発が長崎に。そのため、この都市は毎年ここで亡くなった7万人のことを思い出す。



今年はとりわけ痛切だ。安倍晋三政権が日本の平和憲法の解釈を変え、軍隊が敵と交戦する自由を拡大したのだ。



しかし、この変化に立ち上がるべきと応じた人は多い。長崎市長もその1人だ。そうしたあまりにも多くのスピーチに並び、市長は首相を見据えて、1945年以降日本の戦争放棄を導いた平和原則が脅威にさらされていると述べた。



「平和原則に懸念と不安が増している。自らの辛い経験を語ることで原爆の被災者がこれを伝えてきたが、拙速な議論の中で揺れ動いている。私は日本政府に、こうした懸念に誠実に注意を払うよう強く促す。」



広島と長崎に投下された原爆は第2次世界大戦は速やかに終結させ、戦後の日本思想の形成にも影響を与えたが、現政権は、中国が軍事力を強化して攻撃性を増しつつあるため、軍隊をもっと自由に活動させたいと考えている。日本は過去の教訓を忘れつつあると考える人もいるのだが。











(投稿者より)



ドイチェヴェレ、ロシアの声、フランス24(AFPの配信)、BBCの各サイトに掲載された記事です。誤訳があるかも知れません。ご容赦下さい。特に、BBCの記事は聴き取り切れない箇所がいくつかあったため、訳も相応になっています。何かにお使いになるならご自身でも確認をお願いします。



広島長崎の平和宣言のリンクを付しておきます。都市名をクリックして下さい。ただし、長崎平和宣言は1年でリンクが切れますので、その場合は改めて長崎市サイトのアーカイブを探して下さい。過去の平和宣言は広島市サイトにもあります。



DWはサイトに記事を掲載しましたが、私の知る限り、6日も9日も定時ニュースではこの話題をスルーしていました。RTも9日夜の定時ニュースを見ましたが、やはり伝えていません。ウクライナやガザの紛争と西アフリカのエボラ禍で、世界は69年前を振り返るほど暇でないのかも知れません。ただ、これは風化が進んでいるということの表れでもあります。



一方、フランス24は、6日は「戦争と平和、そして憲法」という特集を組み、元特攻隊員の方の当時と現在の思い、それに、解釈改憲をめぐる政府・市民双方の動きを絡めて、日本が今どれだけ平和を真剣に考えているかを探る取り組みをしていました。同局は、9日も「米国は一度も原爆の使用を詫びたことがない」としっかり伝えていました。



ロシアの声の記事は明らかに、ウクライナ情勢を踏まえた米国への当てつけでしょうが、米国の責任については、DWの記事にもAFPの記事にも、何らかの形で言及があります。ここに、ウクライナをめぐる米国の姿勢への欧州大陸の苛立ちを感じました。



また、AFPとBBCは、安倍氏集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更を行ったことの影響として、政府が平和原則を放棄したことに対して、長崎市長が戦争被害者の立場から疑義を唱えたと伝えています。



こうした「風化」「米国の責任」「平和原則放棄への疑義」の3つが、今年強調された点になるでしょうか。ただその反面、この数年の流れだった、福島の事故と関連づけて原子力そのものの恐ろしさに焦点を当てる見方が、今年は弱まったようにも思えます。



散漫なコメントですが、思いつくまま書いてみました。フランス24サイトに掲載されたAFPの記事と、BBCの動画記事の書き取り(下手ですが)はフォローアップ投稿しておきます。











☆ 以下、そのフォローアップ。



http://www.asyura2.com/14/warb13/msg/740.html







(投稿者より)





元記事より、フランス24サイトに掲載されたAFPの記事と、BBCの動画記事の書き取り(下手ですが)はフォローアップ投稿しておきます。フランス24サイトの記事は、数ヵ月でリンク切れになるはずです。BBC記事の書き取りは、検証のためにの残した方がいいと思いました。













(Nagasaki marque le 69e anniversaire de la bombe atomique: AFP - France24)

http://www.france24.com/fr/20140809-nagasaki-marque-le-69e-anniversaire-bombe-atomique/





09 août 2014 - 10H45





Nagasaki marque le 69e anniversaire de la bombe atomique





AFP





Lâcher de colombes autour de la Statue de la paix durant une cérémonie marquant le 69ème anniversaire de la bombe atomique sur Nagasaki, le 9 août 1945





Des dizaines de milliers de personnes, dont des survivants, se sont rassemblées samedi matin à Nagasaki pour marquer le 69e anniversaire de la bombe atomique qui, trois jours après celle d'Hiroshima, allait tuer 70.000 personnes dans cette ville.



Les cloches ont retenti pour marquer le début de la minute de silence à 11h02 locales (02h02 GMT), l'heure à laquelle la bombe, le 9 août 1945, transformait la ville en une boule de feu.



La cérémonie, qui s'est tenue en dépit des vents violents provoqués par l'approche d'un typhon, a eu lieu non loin de l'endroit où un avion américain avait lancé la bombe au plutonium surnommée "Fat Man". Six jours plus tard, le Japon capitulait, mettant fin à la Seconde guerre mondiale.



Devant un partère rassemblant notamment des survivants âgés et leurs familles, des responsables gouvernementaux, le Premier ministre Shinzo Abe et l'ambassadeur américain au Japon, Caroline Kennedy, le maire de la ville a appelé le gouvernement japonais à renoncer à son projet d'abandonner la doctrine pacifiste suivie par le Japon depuis la fin de la Seconde guerre mondiale.



"Le serment de la Constitution par lequel le Japon renonce à la guerre est le principe fondateur du Japon d'après-guerre et de Nagasaki", a déclaré Tomihisa Taue, déplorant que le récent débat sur le droit à l'auto-défense collective fasse "craindre que ce principe est en danger".



Le gouvernement a décidé le mois dernier de permettre à l'armée japonaise, jusque-là au rôle purement défensif, d'aller se battre pour défendre des alliés.



La bombe de Nagasaki et celle d'Hiroshima sont les deux seules bombes nucléaires à avoir été utilisées en temps de guerre.



140.000 personnes trouvèrent la mort à Hiroshima et plus de 70.000 à Nagasaki soit immédiatement, soit du fait de l'exposition aux radiations, entre le moment du largage des bombes et le mois de décembre suivant.



Les Etats-Unis ne se sont jamais excusés pour les avoir utilisées, et aucun président américain en exercice ne s'est d'ailleurs rendu dans les deux villes martyres japonaises. Des cables diplomatiques qui ont fait l'objet de fuites laissent toutefois entendre que Washington aurait proposé en 2009 une visite à Hiroshima du président Barack Obama, qui aurait alors présenté des excuses officielles, et que cette visite a été refusée par le Japon.



Première publication : 09/08/2014











(Japan military move causes concern in Nagasaki: BBC NEWS ASIA)

http://www.bbc.com/news/world-asia-28723872









Japan military move causes concern in Nagasaki





9 August 2014 Last updated at 14:00 BST





The mayor of Nagasaki has urged the Japanese government to heed mounting public concern over its decision to give the military greater freedom to act.



Speaking on the anniversary of the US atomic bombing of the city in 1945, Tomihisa Taue criticised what he called the hasty reinterpretation of Japan's pacifist constitution.



Michael Bristow reports.





(The movie is viewable from the webpage of the original article . The same movie posted to Youtube by a viewer is embedded below. - Poster)









(dictation)



Japan is the only country to ever suffered with atomic attack. America dropped two bombs, one on Nagasaki. And every year they remembered 70,000 who were killed there.



This year, there's an adding poignancy. The government of this man, Prime minister Shinzo Abe, has reinterpreted Japan's pacifist constitution, giving the military greater freedom to engage an enemy.



But the change has been greeted with needful many, including the mayor of Nagasaki. In his speech with the so many, and in the eye of Prime minister, the mayor said the principle of peace that guided Japan since 1945 to renounce war was under threat.



"There are growing concerns or anxieties of the principle of peace, which the victims of the atomic bomb have been passing on by telling their own bitter experiences, has been shaken amid the hasty discussions. I strongly urge the Japanese government to pay sincere attention to these concerns."



The atomic bombs on Hiroshima and Nagasaki brought a swift end to the Second World War and help shape Japanese post-war thinking, but the current government in Tokyo believes China is growing strength and assertiveness as force it gives the military more freedom to act, even though some think Japan is forgetting the lessons of the past.