ユネスコ世界遺産:日本のカミカゼ対南京大虐殺 (France24):阿修羅♪

ユネスコ世界遺産:日本のカミカゼ南京大虐殺 (France24):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/13/warb12/msg/443.html







(Patrimoine de l’Unesco : kamikazes japonais vs massacre de Nankin: France24)

http://www.france24.com/fr/20140213-lettres-kamikazes-unesco-massacre-chine-japon/





カミカゼ日本中国





アジア−太平洋





ユネスコ世界遺産:日本のカミカゼ南京大虐殺






© AFP





文 オードゥ・マズエ





最終更新:2014年2月13日





1945年、「太平洋戦争」の最後の数ヵ月間にカミカゼパイロットたちが書いた遺書を、世界遺産に登録してもらおうと、日本のある都市の責任者たちがユネスコに望んでいる。この求めが中国の激しい怒りを引き起こした。



「君たちが私に会うことができなくとも、私はいつも君たちを見守ります。お母さんの言うことを良く聞き、お母さんを心配させてはいけません。大きくなったら君たちが行きたい道を進み、立派な国民になりなさい。私は霊になっても君たち2人をしっかりと見守っているので、他の家のお父さんをうらやんではいけません。2人とも一生懸命仕事をして、お母さんの仕事を手伝いなさい。」第2次大戦の日本の飛行士クノ・マサノブ大尉は、1945年5月24日に実施した自爆攻撃の前に、このような最後の手紙の1通を2人の子供に宛てた。



日本のカミカゼたちの手紙と遺言の歴史的遺産としての価値の高さを自覚している、日本・南九州市の責任者たちは先週、第2次大戦の間に死亡した日本帝国陸軍の飛行士たちが書いた文書を、ユネスコの文書遺産に登録することを申請した。この都市にはかつて飛行場があり、1945年の「太平洋戦争」最後の数ヵ月に、数百人のカミカゼたちが自爆作戦のためにここを飛び立った。





立ち阻む中国



この求めは中国の好みに合わなかった。中国政府の諸当局は、カミカゼたちにはそこまで認められる価値がないと考えるとして、すぐにこの動きを非難した。「これには、軍国日本の攻撃を美化し、また、反ファシスト世界大戦に勝利した結果と、戦後の国際秩序を蒸し返す意図がある」と、毎日行われる記者会見で、中国外務省の華春瑩報道官は考えを述べた。



華春瑩氏は、日本が第二次世界大戦中に「数々」の人道に反する犯罪を行ってきたことに触れ、この登録申請は「国際社会の強い非難と断固とした反対」に直面するだろうと確言した。そして、「この意図は全ての面で、世界平和の維持というユネスコの目的に反しており、国際社会の断固とした非難を受けるに違いない」と締めくくった。





反撃する日出づる国



すでに1年以上険悪化している中国と日本の関係に、改めて寒波を運んだこの事件は、そこに止まることがなかった。中国はすぐ組織的な反撃に出た。今度は中国が、1937年に日本の軍人が犯した南京大虐殺に関する大量の書類を提出して、ユネスコの遺産登録を申請したのだ。これは新しい動きでない。「上海東方早報」によれば、その国連機関の記憶遺産にこの書類を登録を求めて呈示したことは、今回が3度目だ。



中日関係における緊張の別の1面である南京大虐殺に言及するだけなら、精神を宥めることについての危険は生じない。日本は事あるごとに、この歴史の主要部分を否定する命題をメディアを通じて伝えることに、中国は激怒している。





生々しい記憶



2月2日日曜日、今度は、日本の公共放送NHKのある高級幹部が、東京で開かれたある政治的集会の時、この帝国軍部隊が犯した虐殺を否定した。「日本が南京で虐殺を犯したとされているのに…中国国民党の指導者・蒋介石氏のプロパガンダに注意を払った国々はなかった。皆さんはそれがなぜか知っているか?それが決して存在しなかったからだ」と、百田尚樹氏は言い放った。



この問題の日本の文書は、ユネスコの最終的な承認を待ちながら、南九州(南日本)の知覧平和記念館で保管されている。「この手紙を、人類の宝として未来の世代に伝える」ために、2015年の登録を希望していると、この施設のウェブサイトから読める。この記憶の作業は、見た目より複雑だ。





最初の発表:2014年2月13日











(投稿者より)



フランス24サイトに投稿された記事です。誤訳があるかも知れません。ご容赦下さい。



"kamikaze"、そのまま「カミカゼ」としました。



神風」は本来「伊勢」にかかる枕詞でした。「神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の波の敷浪の帰する国なり。この国に居らむと思ふ」と天照大神が仰せになられたので、今の伊勢市宇治の地に神宮の内宮ができたのでした。



執権北条時宗の時代、元による2度の襲来が暴風雨のために2度とも失敗したので、国難の時は神様が日本を守るために風を吹かせる、という俗信のようなものができました。そして、第2次大戦末期、搭乗員の戦死を前提とした航空機による攻撃を行う海軍部隊に「神風特別攻撃隊」という名が付けられたのでした。



地元の護国神社に資料館があり、戦死した兵士が戦地から両親に宛てた手紙を読んだことがありますが、内容以前に、字が非常にしっかりとしていたことに驚かされました。伝票・回覧・メモなどに書かれた今どきの若者たちの下手な、と言うよりも、幼い文字が見慣れていた私は、その整った字に衝撃を受けました。失われたものの大きさに、気が遠くなるような思いがしました。



海外のニュースに接していると、「カミカゼ」という言葉が毎日のように聞かれます。英語にもフランス語にも「自爆テロ」という言葉は別にあるのですが、ニュース屋さんは「カミカゼ」という言葉を好んで使いたがるようです。世界のどこかで若い命が失われるたびに、「カミカゼ」という言葉が聞かれるのは悲しいことです。



陸軍・知覧基地のあった南九州市は、兵士たちの手紙・遺書の世界遺産登録を申請しました。海軍・鹿屋基地のあった鹿屋市は、沈黙を守っています。



南京大虐殺については、日本軍が投降した国府軍の捕虜数千名を処刑したこと、南京市内で便衣兵を捜索して処刑したこと、一部の部隊が一般市民に暴行・略奪・殺害を行ったことに、南京攻略を指揮した松井大将が激怒したことは知っています。松井大将と部隊の司令官は事件の責任をとる形で、軍事法廷で死刑となっています。また、犠牲者数には多様な見解があるのですが、その中で、一連の出来事により数千〜数万の死者があったという、実証的な研究があったことも知っています。



この事件について政府が公式見解を出しています。また、この事件については、2005年から2010年までの間、日中の歴史家による共同研究が行われています。



籾田NHK会長や百田委員の発言が世界的な問題になりました。ケネディ米国大使がNHKのインタビューに難色を示し、問題は尾を引いています。思想信条は個人の自由だと思いますが、発言はご自身が責任を取れる範囲にとどめて頂きたかったとも思います。







※ 2014.2.21 本文の一部を訂正しています。