福島の避難者の一部は故郷に戻らないだろう(DW English):阿修羅♪
http://www.asyura2.com/13/genpatu30/msg/775.html
(Some Fukushima evacuees won't go home: DW English)
http://www.dw.de/some-fukushima-evacuees-wont-go-home/a-16664145
原子力
福島の避難者の一部は故郷に戻らないだろう
福島の大原発事故から2年、費用のかかる除染の取り組みにも係わらず、被災地住民の多くは戻りたがらない。
小さな街・川内の小学校校庭にある電子表示板は、0.09マイクロシーベルト毎時を示している−それ以上は外遊びには危険すぎるとされる、1ミリシーベルト毎年をずっと下回る放射線レベルだ。
しかし、避難命令が解除されて以降、学校に戻った児童は114人中たった16人。13人の教師は皆戻っているのにだ。ただ、高島仁校長は、原発事故がまた発生することを心配している。「原子炉がどれだけ近いか、私は忘れることができない」と、同氏は語る。
「私は、放射線は心配じゃない」と、10歳のマリコが語る。
川内は谷合いに位置し、海のような水田の中にある。1年のこの時期、丘の頂上はまだ雪に覆われている。
2年前、地震と津波が引き金となり、20km離れた福島第1原発で放射能事故が発生した。いくつかの原子炉が爆発し、大量の放射線微粒子が、目に見えないマントを被せるように、この地域一面を覆った。
谷の住民たちは何世代もここで土地を耕してきたが、地域を離れることを強いられた。
実生活を取り戻す
今日、街はゆっくりと実生活を取り戻しつつある。車で20分の距離にある、5年間の帰還禁止を宣言した富岡などといった他の街ほど、放射能レベルは高くない。
遠藤雄幸氏は、川内のためにすばらしいプランを持っている
遠藤雄幸村長は、人々が戻れるようできる限りのことをしている。「川内は私の遺伝子の中にある」と、彼は語る。「故郷は人生の物語と同じだ。」
ウクライナ・チェルノブイリ近郊に住む人々に対して行われたように、2年前に避難した160,000人の人々を再移住させることは、選択肢にないと彼は語る。「ここでの生活の中に誇りがあり、私たちがそれを失うことはあり得ない。」
費用のかかる除染の取り組み
しかし、川内の除染には既に8300万ユーロ相当の費用がかかっている。福島県全体を再び居住可能にするために、総額80億ユーロが投入された。誰もがそれを欲しているわけではない。戻るか否かを決心するのはその人次第だと、村長は語る。
今のところ、川内の住民2,800人のうち、4分の1が帰還を拒否している。500人ほどが戻っており、700人が毎日働きにここに来る。
「放射能の恐怖があり、壊れた原子炉はまだ制御不能だ。そして何よりも、川内には大都市の楽しさがない」と、遠藤氏は理由を挙げる。
帰還した人の大部分は、別の土地で改めてスタートするリスクを背負いたくない年金生活者だ。「ここで子どもたちの声をもう聞けないのはとても悲しい」と、シライ・ケイコ氏(64)は目に涙を浮かべて語る。それでも彼女は、娘と2人の孫に戻ってこいと言うつもりはない。「もし放射線のために孫が病気になったら、娘は私を責めるだろう。」
災害が襲ってから、多くの住民が家に戻ることが全くできなくなった
それでも帰還を選択したという人全員には、放射線レベルを測定する線量計が与えられた。
しかし、4月1日以降は、村から離れて生活することがあまり容易でなくなるかも知れない。当局はその日から、特定区域の除染を済ませた土地から避難した人たちの家賃補助を、打ち切ることになっている。樹木や灌木が切り倒され、一部の区域で放射線レベルが3分の2減少したが、全域でそうなったわけではない。
「玄関や勝手口などの前でまだ1マイクロシーベルト毎時が計測される」と、除染作業を担当するイデ・ジュンイチ氏は語る。これは法定上限値の4倍で、そのために第2の除染運動を求める人たちもいる。
戻る理由
それでも、今年は再び田植えができると、農業委員会のワタナベ・カズオ会長は安堵する。「これでやっと、若い農家が戻る理由ができた」と、彼は語る。「政府が収穫物の全量買い上げに同意したので、この地域で穫れた米を誰も買わないだろうという恐怖が和らいだ。」
汚染された土の一時保管場所はわずかしかない
それでもやはり、ワタナベ氏はまだ怒っている。「この災害の責任は、エネルギー企業の東電にある。」
それにもかかわらず、東電がなければ、ここの若い人たちは副業となる米を栽培するだけで、職を得ることができないだろうと、彼は認める。
農作業もせず、福島第1・第2原発の10基の原子炉で働くこともない人々は、学校・病院・老人ホーム、そして、現在立入禁止になっている海岸の火葬場で働いてきた。
原子力でなく太陽で
そのため、遠藤氏は他の避難者を川内に引き寄せるような、新たなインフラを創りたいと考えている。福島第1の原子炉から12km南にある第2原発の運転再開に向かうような安直な解決策を、彼は拒否している。「もし、私たちがここで原子力エネルギーの生産を再開すれば、私たちは世界の笑いものになるだろう」と、彼は語る。「私たちはこの災害から教訓を学ぶべきだ。そうでないと、災害が無意味になってしまう。」
9ヘクタールの敷地で4月に運転開始することになっている、4.5MWの太陽光発電プラントを、彼は支援してきた。食糧生産を優先させるために、耕作地での太陽光エネルギープラント建設は、日本の法律によって通常禁止されているにも係わらず、日本で日照時間が最長の地域の1つでの、この日独合同プロジェクトは例外的に認可された。
「この太陽光プラントは、耕作地の3%しか占めていないが、プラントはもっと増えるかも知れない」と、ハムに本拠を置く独エコセンター社のCEO、マンフレッド・ラウスヘン氏は語る。
2040年までに、福島県全体が「グリーンな」電気によって運営されるよう、遠藤氏は望んでいる。
それでも、原子炉から放出されたセシウムは依然として問題となっている。現在、汚染された土や枝を入れた巨大な青い袋は35,000袋あり、村境の人里離れた谷で緑色のシートの上に並べられて放置されている。
村長の話では、この廃棄物は3年以内に除去されることになっているが、一時保管場所がないことから、当局がこの約束を果たすことはなさそうだ。
発表 2013年3月11日
執筆 Martin Fritz, Tokyo / act
編集 Sarah Berning
(投稿者より)
ドイチェ・ヴェレの英語サイトに掲載された記事です。誤訳があるかも知れません。ご容赦ください。
3.11以降、他の方々と同様に、私も情報を出してきました。「逃げろ」とも言ってきました。「『食べて応援』など、とんでもない」とも言ってきました。そして、2年が経ちました。結局のところ、どこでどのように生きるか、決めるのはその方自身です。
住民の生命や健康にとって重要な事実を隠しながら、「戻れ」と捲し立てるような手合いは論外ですが、そこで生きるとお決めになった方々には、できる限り豊かな人生をそこで過ごせますよう、願うばかりです。それでも、放射能の脅威は厳として存在しますので、それぞれの方がそれぞれの生命と健康を守ることができますよう、賢くあっていただきたいと願っております。
ドイチェ・ヴェレのドイツ語サイトに、これと同じ話題の記事が掲載されています。切り口は変えてあるかも知れません。私には読めないのですが、ドイツがおできになる方は、お読みになってもいいかも知れません。