1945年5月9日は我われの1つの旧ソ連国民の勝利の日=プーチン大統領(Sputnik日本)/【解説】 プーチン氏、今後の手がかりをほとんど示さず 戦勝記念日の演説 (BBC NEWS JAPAN)

1945年5月9日は我われの1つの旧ソ連国民の勝利の日=プーチン大統領(Sputnik日本)/【解説】 プーチン氏、今後の手がかりをほとんど示さず 戦勝記念日の演説 (BBC NEWS JAPAN)









(Sputnik日本)

https://jp.sputniknews.com/20220509/194559-11210144.html





1945年5月9日は我われの1つの旧ソ連国民の勝利の日=プーチン大統領





2022年5月9日, 16:48 (更新: 2022年5月9日, 21:11)







© Mikhail Metzel/POOL





ロシアのプーチン大統領は5月9日の「戦勝記念日」のパレードで演説し、その運命が決まる重要なとき、祖国防衛は常に何にもまして大切なものだったと述べた。





またプーチン氏は、国際関係ではあらゆる意見のくい違いがあるものの、ロシアは常に平等と不可分な安全保障の構築を支持してきたと述べた。





「昨年12月、我われは安全保障に関する条約の締結を提案した。(しかし)すべて無駄だった!NATO加盟国は我われの話に耳を傾けようとしなかった。そしてこれは実際のところ彼らには全く別の計画があったことを意味している。そして我々はそれを目にした。公然とドンバスでの懲罰作戦、クリミアを含む我われの歴史的な土地への侵攻に向けた準備が進められ、北大西洋条約機構NATO)ブロックは我われに隣接する地域の活発な軍事的開発を開始した。このようにして我われにとって全く受け入れがたい脅威が生まれた。すべてがネオナチとの衝突は避けられないことを物語っていた」




プーチン氏は「世界大戦の惨禍が繰り返されてはならない」と述べた。



ロシア連邦ウラジーミル・プーチン大統領は2022年2月24日の演説で、ロシアは1940年後半から1941年初頭にかけたソビエト連邦指導部の過ちを繰り返すことを「許さない」と述べた。



当時、ソ連は戦争の勃発を未然に防ぐ、または遅らせようとしたが、1941年6月22日の侵略者の攻撃に向けた準備が整っていなかったため、その結果、ソ連は莫大な損失を被った。





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ウラジーミル・プーチン ロシア ロシア軍





―参考―





















(BBC NEWS JAPAN)

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-61389326





【解説】 プーチン氏、今後の手がかりをほとんど示さず 戦勝記念日の演説





2022年5月10日





ティーヴ・ローゼンバーグ、ロシア編集長、モスクワ







AFP via Getty Images

戦勝記念日の軍事パレードが終わり、赤の広場を後にするプーチン大統領とショイグ国防相(右)






モスクワでは第2次世界大戦の戦勝記念日を前に、うわさと憶測があふれていた。



ウラジーミル・プーチン氏は、ウクライナへの攻撃について重大な発表を準備しているのか? 何らかの勝利を宣言するのか? それとも攻撃の激化を示唆するのか?



結局、そのいずれもなかった。



赤の広場でロシア軍およびロシア国民に向けて行われた演説で、プーチン氏はこれまで何度も口にしてきた、ウクライナ攻撃の正当化を繰り返した。現在起きていることについて、ロシア以外のすべてに責任があるとするような主張だ。



彼は(いつものように)アメリカ、北大西洋条約機構NATO)、ウクライナ政府を批判した。それらの行動が、ロシアの安全を危険にさらしたと訴えた。また(いつものように)ウクライナの「ネオナチ」に言及した。ロシア当局者からもよく聞く主張だ。そうした人たちは、ウクライナ全体主義者や過激な国粋主義者、ナチのシンパに牛耳られているという根拠のない言説を定期的に発している。



プーチン大統領は、ロシアが軍事的損失を被ったことは認めた。だが、詳細は明らかにしなかった。ロシア国防省の直近の発表では、ロシア兵の死者は1351人だった。ただそれは6週間前の人数だ。その後の更新はない。



不思議なことに、プーチン氏はロシアの攻勢を説明するのに、おなじみの「特別軍事作戦」という言葉を使わなかった。「戦争」と呼ぶこともなかった。それでも、現在の敵対行為と第2次世界大戦を並列に置こうとした。おそらく、ヒトラー打倒をめぐってロシア国内に存在する愛国心を利用し、ウクライナ侵攻に対するロシア国民の支持を高めようとしたのだろう。







EPA

戦勝記念日の軍事パレードでは多くの兵器も披露されたが、昨年よりは少なかった






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演説の後、数千人のロシア兵が赤の広場を行進した。ただ、昨年の戦勝記念日のパレードより人数は少なかった。兵器も披露された。だが、予定されていた軍用機の飛行は中止された。公式発表では天候不良のためとされた。



ロシア政府はウクライナでの迅速な勝利を望んでいた。軍隊を送り込んでから数日以内に勝つと想定していた節がある。しかし、そうはならなかった。



プーチン大統領の「プランB(次善策)」は、戦勝記念日の5月9日までに勝利を手に入れることだったと、ロシアの多くの人が考えている。だが、それも実現していない。



プーチン大統領はこれからどこに向かうのか。9日の演説に、その手がかりはほとんどなかった。同時に、敵対行為を終わらせるというサインもなかった。まだしばらくは、続くことになるだろう。





(英語記事 Putin gives few clues in Victory Day speech





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