「日本の天皇がパラオの戦死者を追悼する」(宮内庁・BBC):阿修羅♪

「日本の天皇パラオの戦死者を追悼する」(宮内庁BBC):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/424.html











宮内庁

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h27e-palau.html#AIRPORT





平成27年4月8日(水)





パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港





<英文>





本年は戦後70年に当たります。先の戦争では,太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ,数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き,帰らぬ身となった人々のことが深く偲(しの)ばれます。



私どもはこの節目の年に当たり,戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ,パラオ共和国を訪問いたします。



パラオ共和国は,ミクロネシア連邦マーシャル諸島共和国と共に,第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが,戦後,ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により,我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ,我が国から多くの人々が移住し,昭和10年頃には,島民の数より多い5万人を超える人々が,これらの島々に住むようになりました。



終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで,この戦いにおいて日本軍は約1万人,米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で,このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います。



この度のパラオ共和国訪問が,両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の,更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは,この機会に,この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに,パラオ国の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に,慰霊碑や墓地の清掃,遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し,大統領閣下始めパラオ国民に,心から謝意を表したいと思っております。



この訪問に際し,ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり,パラオ国大統領御夫妻と共に,ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。

















(Japan emperor marks Palau war dead: BBC)

http://www.bbc.com/news/world-asia-32229358





日本の天皇パラオの戦死者を追悼する





2015年4月9日





アジア






天皇夫妻がペリリューの戦死者に拝礼した





日本の明仁天皇が太平洋の島・ペリリューを訪問し、第2次世界大戦中の熾烈な戦闘で死亡した人々を追悼した。



パラオの国の一部になっているこの島での3カ月間の激しい戦闘で、10,000人程の日本軍部隊と1,600人の米軍軍人が死亡した。



彼は声明で「悲惨な歴史」を忘れてはいけないと語った。



裕仁天皇を父とする81歳によるこの訪問は、終戦70年後に実現した。



彼は10年前、その戦争が終結に向かう頃に壮絶な戦闘が見られた太平洋の別の島・サイパン−現在は米国の一部だ−にも同様の訪問も行った。



ペリリューの戦闘は、米軍部隊がこの島に飛行場を得ようとして1944年9〜11月に行われた。





明仁天皇−ここでは美智子皇后も共に見られる−は人々に戦争の歴史から学ぶよう呼び掛けてきた





「現在のパラオ共和国を含めたこの地域で米国と日本の間でいくつもの熾烈な戦闘が行われ、その結果、数え切れない人の命が失われた」と明仁天皇は水曜日の晩餐会で語った。



「私たちは第2次世界大戦で命を失ったすべての人々を追悼して敬意を表し、あわせて、残された家族が受けた苦難を省みるために、ここパラオに来ている。」



明仁天皇は機会を見ては、日本は歴史から学ばなければならない、起こったことを決して忘れてはいけないと語っていた。









しかし、国家主義者の安倍晋三氏が率いる日本の現政権が戦時の行動について反省していないのを諸隣国が懸念している最中に、彼の訪問が行われることとなった。



今週に入ってから、中国と韓国は新たに認可された学校教科書をめぐって抗議を行った。彼らは、学校教科書が南京大虐殺などの出来事を軽く扱っていると述べている。



BBC・東京のルパート・ウィングフィールド・ヘイズは、現政権は日本によって作り込まれた恐怖を人々に忘れさせようと熱心になっているかも知れないが、その一方で、明仁天皇は彼なりのさりげない方法で別のメッセージを送っているのだと語った。