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死刑反対は日本にほとんどない(DW English):阿修羅♪

死刑反対は日本にほとんどない(DW English):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/12/social9/msg/323.html



(Little opposition to death penalty in Japan: DW English)

http://www.dw.de/little-opposition-to-death-penalty-in-japan/a-16638607





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司法



死刑反対は日本にほとんどない






国家が人を殺すことの倫理的な是非について、他国では死刑制度に熱い議論が沸き上がっているが、日本には、このような議論は存在してこなかった。今日、法廷の判決がこの処置を許可しているにも係わらずだ。



日本の最高裁は、2004年に4人の死に関連して有罪判決を受けた男性の上告を棄却し、伊藤玲雄氏(38)が死刑となるべきことが確定した。



伊藤氏は、詐欺グループの仲間だった2人の男性が、グループが不法に入手したお金を盗もうとしていたことが分かると、彼らを殴り、窒息させた。彼はその後、別の2人の男性に、死に至るに十分な酷さの怪我を負わせた。



この事件を担当した裁判官は判決で、伊藤氏の犯罪は「残酷かつ粗暴」で、「人命無視」を示したものだと述べた。



伊藤氏は日本の死の行列に並ぶ131人目の人物となり、この数字は再び吊り上がった。その1週間前、3人の死刑執行により、この数字は減っていた。



小林薫氏(44)は、2004年に女子小学生を誘拐・殺害したことで有罪となり、死刑が執行された。金川真大氏(29)は、2008年の無差別殺人により有罪と認定された。また、加納恵喜氏(62)は、2002年3月に名古屋で酒場の経営者を殺害したために死刑が執行された。



この3人の死を受けて開かれた記者会見の話で、谷垣禎一法相は、12月の総選挙で中道右派自民党が政権に復帰して以降、初の死刑執行となる執行命令書になぜ署名したかを説明した。





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「これらの事件は極悪非道な犯罪に関連している」と、谷垣禎一法相は語った





「極悪非道な犯罪」



「これらの事件は全て、自己中心的な理由から貴い人命を奪った、極悪非道な犯罪に関連している」と、同法相は語った。



超党派の議員グループは政府に抗議を行い、法務省は死刑についての情報提供−死刑制度を廃止している国は増えている、など−を怠たり、この問題についての議論を抑え付けていると述べた。



地元メディアはこの抗議にほとんど言及しなかった。この3人の男性が行った犯罪の恐ろしい性質を考慮したのだ。



「この男性たちはみな命を奪ったわけで、日本ではこの処罰が法で定められているので、私はこれが正しいことだと思う」と、東京の北、埼玉県の主婦、ホソムラ・カナコ氏は語った。「私は母親であり、彼らの1人が少女にやったことを読んだとき、怒りがこみ上げた。」



「もし、私が少女の母親だったら、やはり、彼には死刑になって貰いたいと考える。」



日本では、死刑制度への支持は一貫して高く、最近の世論調査でも、一般国民の80%以上が、特に極悪犯罪で有罪判決を受けた人に対して、死刑執行を支持していることが示されている。



「この考え方に、あまり多くの日本人が悲しんでいるようには見えないし、極悪犯罪を犯したのなら、その人は死刑になるのが相応しいという意見を、日本人の多くが持っている」と、明治学院大学の人類学教授トム・ジル氏は語った。





人命の尊厳



「日本史の中で、死刑制度は廃止と復活を何度か繰り返した。しかし、人命の絶対的尊厳という考えがいくらか欠けているようで、特に、他者の命を奪った人にはそうだ」と、彼は語った。



「そして、その最たるものとして、何か恥ずかしい行いをした者を抹消する傾向も、日本社会にはある。」



日本には、死刑制度への支持が幅広く存在するにもかかわらず、これが政治的な課題であり続けるよう取り組んでいる市民団体もある。



「死刑モラトリアムを導入し、国民的な議論を促進し、死刑制度の運用についてより多くの情報を開示するよう、私たちは日本政府に求めてきた」と、アムネスティ・インターナショナル日本支部の活動家・川上園子氏は語った。



「また、冤罪による有罪が、最近これほどたくさん見つかったのはなぜかを検証するために、刑事訴訟システムをもっと幅広く見直すことも、私たちは求めている」と、彼女は付け加えた。有罪を確実なものとするために自供を利用するのは、システムに欠点があると、活動家たちは主張する−特に、警察が最大23日間、弁護士が付かない状態で被疑者を勾留できる点については。



「日本で、一般国民が死刑制度に非常に高い支持を続けているのは、いくつかの理由を総合して考えているのだと、私は思う」と、川上氏はドイヂェ・ヴェレに語った。「まず、被害者の遺族に同情を集めて、厳しい判決を促すよう、メディアが話を誇張している。」




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死刑反対を主張する人たちは、この問題が課題であり続けるよう取り組んでいる





一般国民は詳細を知らない



「また、日本の一般国民は死刑がどのように執行されるか、詳細を良く知らないのだとも、私は考える」と、彼女は語った。「さらに、70%以上の国々が死刑制度を廃止していることも、国連が死刑の慣行を非難する決議をしていることも、多くの日本人は知らないのだと確信している。」



先日の死刑執行に対して、欧州連合は厳しい反応を示した。駐日欧州連合代表部のハンス・ディートマール・シュヴァイスグート代表は、この死を非難した。



「2013年2月21日、3人の死刑囚に死刑が執行されたことに対し、私は深い遺憾の意を表する」と、代表は声明で述べた。「欧州連合は、あらゆる環境の下でのいかなる事件においても死刑の慣行に反対し、一貫してこの全面的な廃止を呼びかけてきた。」



「日本が死刑モラトリアムを検討し、その一方で、この問題について一般国民の間で包括的な議論を認めるよう、私は心から願っている」と、代表は付け加えた。



しかし、日本政府は世論の高い支持を受けており、また、一般国民も先日死刑が執行された3人の男性にほとんど関心を示していないことから、この問題での議論の呼びかけには、誰も耳を傾けないようだ。





発表 01.03.2013

執筆 Julian Ryall, Tokyo

編集 Gregg Benzow







(投稿者より)



ドイチェ・ヴェレの英語サイトに掲載された記事です。3月1日発表ですから、ひと月近く前の記事ですが、3月は3.11があるので、そちらの関連を優先させました。誤訳があるかも知れません。ご容赦ください。



この記者が上手いのは、死刑支持派は「感情」「感性」で死刑擁護を認め、一方、死刑反対派は「知識」「情報」を根拠に死刑廃止を訴えているという違いを、浮かび上がらせている点に思えます。



仏教は不殺生を説く一方で、因果応報も説きます。神道は穢れを嫌います。「恥」に宗教的な根拠があるかどうかは分かりませんが、いずれも、人間としての自然な感性や感情を土台にして、理論が築かれています。



キリスト教は違ったはずです。「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」とイエスは説きました。日本人の圧倒的多数にこの教えは浸透しませんでしたが、「愛」という日本旧来の教えにないこの思想に、ごく一部ですが、鋭く食らいついた日本人はいて、秀吉の禁教令から明治6年の解禁令まで、実に300年近く、隠れキリシタンは日本に根を張り、その上に日本のキリスト教の今日があります。このようなイエスの教えは、感覚的に分かるというより、その背景にあるイエスの愛を理解して感激し、だから信じる、という面が強調されます。



記事でも、「知識」「情報」といったものを、死刑に反対する人たちは根拠としており、やはりそういった違いがあるのかな、とも思ったりします。そもそも、「人命の尊厳」"Sanctity of human life" 自体が、欧州近代の自然権成立の中で浮かび上がってきた概念です。



私個人は死刑に反対です。人の生死を司るのは、あくまでも天であり、人にその権限はないと考えます。



ただ、やはり、私も「…と考え」ているわけで、だからといって、死刑制度を支持する人は感情的で知力が低いというわけでもないのです。やはり、文化の違いでしょうか。



以上、的はずれかも知れませんが、ちょっと愚考してみました。



ちなみに、天台宗サイトから、死刑制度に対する同宗の姿勢について、リンクを貼っておきます。「認めるわけにはいかないが、そのためには、条件がある…」。悩んでおられるようもあり、何かを乗り越えようとなさっているようでもあり、千年の歴史を以てしても難しい問題のようです。