「77年目のヒロシマ・ナガサキ:ウクライナでの戦争による核の脅威の中で」(DW English・Sputnik日本)

「77年目のヒロシマナガサキウクライナでの戦争による核の脅威の中で」(DW English・Sputnik日本)









(Japan: Hiroshima marks 77th anniversary of the first atomic bomb attack: DW English)

https://www.dw.com/en/japan-hiroshima-marks-77th-anniversary-of-the-first-atomic-bomb-attack/a-62730657





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日本:広島は最初の原爆攻撃から 77周年を迎える





広島出身の岸田文雄・日本首相は、1945年の原爆投下の犠牲者を追悼する式典に出席した。この攻撃により140,000 人を超える命が奪われた。







米国が第2次世界大戦の終結時に原爆を投下したことを記念する毎年の式典に参加した国連指導者としては、アントニオ・グテーレス国連事務総長はまだ2人目だ





土曜日、世界初の原爆投下から77周年を記念して、日本の都市・広島に鐘が鳴らされた。





広島中心部の平和公園では、米国が原子爆弾を投下したその瞬間を記念するために集まった指導者の中に、アントニオ・グテーレス国連事務総長がいた。この原爆は1945年末までに14万人の死をもたらしたが、その多くは爆弾の影響による即死だった。この毎年の行事に国連事務総長が参加するのは、今回でまだ2 回目だ。



広島出身の岸田文雄・日本首相も出席した。





沈黙の瞬間と平和を求める鳩



指導者や外交官を含む多数の出席者は、爆弾が爆発した正確な時刻に黙祷を捧げた。平和の象徴である鳩が数百羽放たれた。



1945年8 月6 日午前8 時15 分、米国のB-29戦闘機エノラ・ゲイ号が、「リトル ボーイ」との渾名を付けられた原子爆弾を投下した。その3日後の8月9日、2発目の原子爆弾が長崎に投下されて75,000 人が即死し、これにより日本は戦争に無条件降伏した。



当時の人口35万人だった広島市は即座に破壊し尽くされ、原爆の影響で死亡した人々に加えて、その後に無数の人々が怪我や放射線障害により死亡した。





グテーレス氏:「ハルマゲドンは遠い」と考えるのは間違いだ



この記念日は核拡散への新たな懸念の最中に迎えることになった。2月24日のロシアによるウクライナ侵攻の決定を受けた軍拡競争に対し、グテーレス氏は警告を発した。



ロシアが3月にウクライナザポリージャ原発を占拠し、それ以降に軍事作戦の基地として使用していることも、民生用原子力発電の安全性についての懸念を高めている。



グテーレス氏は「ハルマゲドンは遠いと私たちが考えるのは、間違いであり、誤解であり、誤算だ」と述べた。



「あれから4分の3世紀が経ったが、私たちは1945年にこの都市の上空に立ち上ったきのこ雲から何を学んだかを問う必要がある」と、彼は付け加えた。



グテーレス氏は挨拶の中でロシアについて直接言及しなかった。



松井一實・広島市長は、モスクワに対して更に批判的だった。



松井氏は「ウクライナに侵攻する中で、国民の生命と財産を守るために選ばれたロシアの指導者は、彼らを戦争の道具として利用し、別の国の民間人の生命と生活を奪っている」と、松井氏は述べた。



「世界中で、平和は核抑止力により決まるという考えが勢いを増している」と、松井氏は述べた。



公式声明によると、岸田首相は先日の中国による弾道ミサイル発射について、「日本の安全保障と日本人の安全に係わる深刻な問題」としてこれを強く非難すると、グテーレス氏に語った。



木曜日、ミハイル・ガルージン駐日ロシア大使は公園内の記念碑に献花した。ガルージン氏は記者団に対し、ロシアは核兵器を使用しないと語った。ウクライナ戦争が始まって以来、ウラジーミル・プーチン氏は、ロシアは「主権を守る」ために核兵器を使用すると述べ、国営テレビの司会者たちは日常的にこの問題について好戦的な語調を取っている。





ar/dj (AP・ロイター)





発表 2022年8月6日





関連テーマ 日本アントニオ・グテーレス








―参考―













(Sputnik日本)

https://jp.sputniknews.com/20220806/12358444.html





広島の平和記念式典 広島市長がロシアの文豪トルストイの言葉を引用





2022年8月6日, 11:18







© AFP 2022 / Jiji Press





6日、原爆が投下されて77年を迎えた広島市では平和記念式典が行われた。広島市の松井一實市長は、平和宣言の中でロシアの文豪レフ・トルストイの言葉を引用した。





午前8時に始まった平和記念式典には、被爆者や遺族の代表をはじめ、岸田文雄首相や広島市長のほか、98カ国の代表、そして国連アントニオ・グテーレス事務総長が出席した。



広島市の松井市長は、平和宣言の中で「核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考えが勢いを増している」と指摘し、「国民の生命と財産を守るためには、核兵器を無くすこと以外に根本的な解決策は見いだせないことを確信してほしい」と訴えた。







「広島、長崎の悲劇は繰り返されてはならない」ロシア大使が原爆犠牲者を慰霊し、欧米の煽動による悲劇的結末を明言

8月4日, 13:30






また松井市長は、『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイが残した次の言葉をかみ締めるべきだと呼びかけた。





「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」




このほか、松井市長は、核保有国の為政者に向けて、被爆地を訪れ、核兵器を使用した際の結末を直視すべきだと訴えた。



これに先立ち、ミハイル・ガルージン駐日ロシア大使は4日、原爆による犠牲者を追悼するため広島を訪れ、慰霊碑に献花した。ガルージン大使は、ロシアはこれ以上、原爆の使用を許さないという立場を堅持していると強調した。





関連ニュース







国内 広島 ロシア











(Nagasaki's mayor warns of 'tangible' crisis on nuclear anniversary: DW English)

https://www.dw.com/en/nagasakis-mayor-warns-of-tangible-crisis-on-nuclear-anniversary/a-62751870





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長崎市長原爆記念日に「実体ある」危機を警告する





長崎市長は、この都市を壊滅させた原爆攻撃の記念日に核戦争の脅威を強調した。彼は、ロシアによるウクライナ侵攻は抑止力による平和が脆いことを示したと述べた。







長崎は原爆攻撃から77年目の記念日を迎えた





火曜日、南日本の都市・長崎は、77 年前の米国による同市への原爆投下の犠牲者を追悼した。



同市の田上富久市長は、現在の出来事核兵器の廃絶が人類の未来を守る唯一の方法だと示していると述べた。





長崎市長は何を言ったか?



田上氏は長崎平和公園での挨拶で、核兵器は存在する限り使われる可能性があると述べた。



国連安全保障理事会の5常任理事国は1月に声明を出し、核戦争は決して行ってはならないと誓約したと、彼は指摘した.



しかし、その1当事国ロシアは僅か1ヵ月後にウクライナを侵略したウラジーミル・プーチン露大統領は、第3国が干渉した場合には「見たことのない結果」をもたらすだろうと警告したが、この発言は核による脅迫の可能性があると広く解釈されている。



核兵器を使用するという脅迫が行われ、世界中を震え上がらせた」と、田上氏は述べた。



核兵器の使用は『根拠のない恐怖』で無く、『実体ある現存する危機』だ」と彼は付け加え、核の大惨事は誤った判断・機能不全・テロ攻撃により起こり得ると述べた。







広島で最初の原子爆弾が爆発した僅か数日後に、長崎が原爆に襲われた





市長は、人類は戦争を始めるのではなく、「信頼を広め、他者を尊重し、対話を通じて解決を求める平和の文化」を育む必要があると語った。



また、岸田文雄・日本首相もこの式典で挨拶を行った。



岸田氏は「安全保障上の厳しい環境に直面していても、私たちは核を使わないという歴史を追い求め、長崎を最後の核攻撃の地にしなければならない」と述べた。



日本は核兵器保有・生産・保有を放棄したが、一部の議員はドイツと同様の協定により米国との核の共有を可能にする提案をしている。





「長崎の教訓を生かす」必要がある



火曜日の式典では、1945年8月9日に長崎上空で原爆が爆発した丁度の時刻・午前11時2分 (グリニッジ標準時02:02) に、生存者・外国の高官・一般市民が黙祷を捧げた。



この港湾都市は爆発で壊滅し、80,000人もの人々が死亡した―その約半分は攻撃当日に、残りは火傷・放射線障害・怪我の結果、その後の数ヵ月間に死亡した。これは、病気と栄養失調の影響によって更に悪化したものだ。



この攻撃は、広島市への世界最初の核爆弾攻撃から僅か3日後に行われた。



その爆撃は更に多数の命を奪うもので、その影響で亡くなった人々を含め約140,000人が死亡した。



米国は2種類の爆弾を試験していた。広島上空で爆発したリトルボーイにはウランが充填されていた。長崎上空で爆発したファットマンにはプルトニウムが充填されていた。長崎に投下された爆弾は実際2発の中では強力な方だったが、長崎は起伏の多い地形のために被害が少なくなった。



長崎への攻撃から1週間に満たない1945年8月15日、日本は降伏を正式に発表した。協定は9月2日までに調印され、第2次世界大戦が終結した。



土曜日、アントニオ・グテーレス国連事務総長広島の記念式典で挨拶し、人類は核の大災害の危険が高まっているのに「弾を込めた銃で」遊んでいると警告した。



火曜日の式典で日本語で読み上げられたメッセージの中で、グテーレス氏は「緊張が高く、信頼の水準が低いこの時期に、私たちは長崎の教訓を生かさねばならない」と警告した。



長崎は、古都・京都の代わりに爆撃された。京都が目標のリストから外された理由の1つは、ヘンリー・スティムソン米陸軍長官がその数十年前に新婚旅行で訪問したからだった。京都について、彼は「爆撃してはならない」重要な文化の中心の1つだと述べていた。





rc/msh (AFP, AP)





発表 2022年8月9日





関連テーマ 日本, ディミトリ・メドベージェフ, ロシア, ウクライナ, ウクライナでの戦争








―参考―













(Sputnik日本)

https://jp.sputniknews.com/20220809/12393495.html





日本 長崎で平和祈念式典が開催される





2022年8月9日, 14:30







© AP Photo / Eugene Hoshiko





日本では9日、長崎市に原爆が投下されてから77年を迎えた。同市では原爆投下時間に合わせて、原爆犠牲者を弔う平和祈念式典が開かれた。





長崎市の田上富久市長は平和宣言で、「核兵器をなくすことが、未来を守るための唯一の現実的な道だ」と強調し、日本政府に核兵器の開発、保有、使用を禁止する核兵器禁止条約への署名・批准を求めた。



式典では、岸田文雄首相や、83カ国の駐日大使らが参列。岸田首相は挨拶で、「長崎を最後の被爆地としなければならない」と訴えたが、同条約については言及しなかった。



また岸田首相は9日午後、長崎原爆資料館を訪れた。現職の首相がこの資料館を訪れるのはこれが初めて。











ロシアとベラルーシの駐日大使は出席せず



今年はウクライナ情勢を理由に、ロシアとベラルーシの駐日大使は、6日に行われた広島と9日の長崎の平和式典に招待されなかった。ミハイル・ガルージン駐日ロシア大使は、被爆地当局のこの決定は「恥ずべき措置」だと表現している。ガルージン氏は4日、広島市平和公園を訪れ、原爆慰霊碑に献花を行った。同氏はその際に「この野蛮な行為、米国が犯した戦争犯罪の犠牲になった民間人の言葉にできない痛み、苦悩、苦しみを痛感している」と述べた。



またガルージン氏は、実際に核兵器を使用したのは米国の1カ国のみであることを指摘し、それが軍事的な都合によるものではなく、広島・長崎とその住民に対する「事実上の大量破壊兵器の実験だった」と強調した。





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国内 核兵器









(投稿者より)



「ハルマゲドンは遠いと私たちが考えるのは、間違いであり、誤解であり、誤算だ」"We are one mistake, one misunderstanding, one miscalculation away from Armageddon" 国連が発表した文書にはない記述です。念のため、記しておきます。