「重信房子氏―『日本赤軍』を創った元活動家、刑期満了により釈放」(RFI・DW English・Pars Today)

重信房子氏―『日本赤軍』を創った元活動家、刑期満了により釈放」(RFI・DW English・Pars Today)









(Japon: Fusako Shigenobu, la fondatrice de l'Armée rouge japonaise, libérée de prison: RFI)

https://www.rfi.fr/fr/asie-pacifique/20220528-japon-fusako-shigenobu-la-fondatrice-de-l-arm%C3%A9e-rouge-japonaise-lib%C3%A9r%C3%A9e-de-prison





日本:日本赤軍創始者重信房子氏が刑務所から釈放された





発表 2022年5月28日 14:28







2022年5月27日、、日本赤軍創始者重信房子氏が1人娘の重信メイ氏に伴われ、釈放される。AFP - CHARLY TRIBALLEAU





RFI






日本赤軍創始者であり、1970年代と1980年代に世界中で複数の攻撃を実行し、パレスチナ大義のためにレバノンに移住した重信房子氏は、20年の懲役刑に服した後、東京で釈放された。





報告 RFI東京特約記者、フレデリック・シャルル





現在76歳の重信房子氏は中東に30年間住んだ後で密かに帰国し、2000年に日本で逮捕された。その1年後、彼女は刑務所の独房からテロリズムの放棄と赤軍の解散を宣言した。



彼女は世界で最も大きく追跡されたテロリストの1人だった。警察の写真から見える70年代初頭の彼女は、長く滑らかな髪をした謎めいた顔立ちの可愛らしい女性だ。「彼女は夫や愛人たちを冷たく死に追い遣った」と、『血と憤怒―日本赤軍の物語』[Blood and rage, the story of the Japanese red army]の著者ウィリアム・R・ファレル氏は述べている。



今日、彼女は病身の老婦人となったが、刑務所から出た彼女の視線はまだ決然としている。彼女は、1973年にPFLP活動家との関係によりレバノンで生まれたジャーナリストの1人娘・重信メイ氏に伴われていた。彼女に共鳴する人々30人も駆け付けた。





複数の攻撃の元となった日本赤軍



日本赤軍平壌日本航空機ハイジャック事件のために日本で指名手配となり、1971年にレバノンに拠点を移しパレスチナ過激派組織と提携した。その1年後、赤軍はテルアビブ・ロッド空港での死者26人・負傷者百人を出した虐殺行為で悪名を上げた。この殺戮行為は重信房子氏の計画とされている。



その後、赤軍派は1974年にオランダのフランス大使館で人質を取るなど、他の複数の攻撃を行った。赤軍がカルロスとして知られるイリイチ・ラミレス・サンチェス氏と組んでいたことは間違いない。ハーグでの事件の最中に、カルロスはパリのピュブリシス薬局に攻撃を行い、死者2人・負傷者34人を出した。



また、赤軍は1977年にバングラデシュダッカ日本航空機をハイジャックし、1975年にはクアラルンプールで外交官を人質に取っただけでなく、ナポリの米軍クラブの襲撃も実行した。



ル・モンド東京特派員のフィリップ・ポンズ氏によれば、日本赤軍は1960年代後半の日本の学生運動に内在した恐怖主義が具現化したものだった。彼らは火炎瓶を手放し機関銃を取ったのだ。重信房子氏は2000年に逮捕されたが、これについて朝日新聞は既に「1つの時代の革命的ユートピアへの弔辞のように聞こえる」と書いている。





►これも読む:日本・1968年:学生たちによる世界で最も長くそして最も暴力的な反乱





日本







―参考―

  • Japanese Red Army founder Shigenobu freed after 20 years (BBC NEWS) [2022.5.28]


  • Japan terrorist group founder freed after serving time(AP NEWS) [2022.5.28]


  • 日本赤軍の重信房子元最高幹部 20年の刑を終えて出所(Sputnik日本)[2022.5.28]












    (Japan: Founder of terrorist 'Red Army' group freed after 20 years: DW English)

    https://www.dw.com/en/japan-founder-of-terrorist-red-army-group-freed-after-20-years/a-61961645





    ニュース





    日本:テロ組織「赤軍」の創始者が20年を経て釈放された





    重信房子氏は、1970年代と1980年代に世界で最も悪名高い女性の1人だった。彼女は釈放後、自身の組織が多くの人々に損害を及ぼしたことを認めて、謝罪を行った。







    重信房子氏は、1970年代に大使館占拠事件を首謀したとして20年の懲役刑に服した後、謝罪を行った





    土曜日、テロ組織・日本赤軍の共同創始者重信房子氏は、宣告された20年の懲役刑を終えた後、東京を自由に歩いた。



    76歳の元活動家は、1970年代と1980年代に世界で最も悪名高い女性の1人だった。日本赤軍は、過激派組織・パレスチナ解放人民戦線PFLP)と緊密に協力して世界中で複数の攻撃を実行した。





    フランス大使館占拠事件の首謀者



    2000年に逮捕され、その1年後に悪名高いこの組織を解散した重信房子氏は、1974年のオランダ・ハーグのフランス大使館占拠事件について、現場にはいなかったがこれを首謀したとして2006年に有罪判決を受けた。







    過激派組織・日本赤軍は、パレスチナ大義を支持して世界中で一連の攻撃を実行した





    占拠は約100時間程続いたが、その間に日本赤軍の活動家3人が大使館に突入してフランス大使と職員10人を人質に取った。フランスが収監中の日本赤軍活動家を釈放し、事件はやっと終わった。



    大使館の占拠とは別に、日本赤軍は1972年にイスラエル・テルアビブ近くの国際空港を攻撃し、26人を殺害したと考えられている。機関銃と手榴弾を使った攻撃者2人も死亡した。





    「罪のない人々を傷つけたこと」を謝罪



    土曜日、重信房子氏は刑務所を去る時に謝罪を行い、現在では解散している自身の組織が「私たちの戦いを優先することにより」、非常に多くの人々を傷つけたことを認めた。



    「私は、私たちの闘争を最優先することにより、私の知らない無実の人々を傷つけた。それは違う時代のことだったが、私はこの機会を借りて深くお詫びしたい」と、彼女は述べた。



    1971年に結成された日本赤軍は、パレスチナの過激派と密接な関係があった。 25歳で日本を離れた重信房子氏自身もPFLPの活動家と結婚し、1973年に彼との間に娘を得た。



    重信房子氏は、収監中に結腸癌と腸癌と診断され、手術を何度か受けた。



    パレスチナのスカーフ・ケフィエを身に着けた彼女は釈放の後、先ずは自分の治療を行いたいと述べた。



    彼女は「(過去を)振り返り、好奇心を持ってもっと生きていきたい」と述べたが、身体が弱っているので「社会に貢献」できないだろうと説明したと、AFP通信は引用した。





    rmt/rs (AP, AFP)





    発表 2022年5月28日





    関連テーマ 日本, ファタハ, イスラエル














    (Pars Today)

    https://parstoday.com/ja/news/japan-i98608





    東京からパレスチナまで 元日本赤軍重信房子の物語





    May 29, 2022 21:30 Asia/Tokyo







    重信房子





    日本赤軍の創設者・重信房子氏が20年の刑期を終え、昨日28日、出所しました。重信氏は出所の際、カフィエと呼ばれるパレスチナのスカーフを首に巻き、支持者らの歓迎を受けました。





    重信房子氏は現在76歳。1970年代から80年代にかけて、パレスチナ解放の理想を求め各国でゲリラ活動を行いました。彼女の理想のひとつが、日本の帝国主義打倒でした。



    重信氏はパレスチナのために自らの命を危険に晒すことも厭わず、女性も抵抗運動や人々の生活を守る運動の前線に立つことができることを証明しました。帝国主義体制との闘いを信条とし、地理的国境をものともせず、自らの目標を達成することに成功しました。







    生い立ち



    重信氏は終戦間もない1945年9月に生まれました。父親は右翼団体のメンバーでしたが、重信氏自身は左翼・反帝国主義に傾倒し、大学では学生運動に参加して名を馳せます。



    彼女の最初の反帝国主義運動は、ベトナム反戦運動と日本の資本主義・保守政治に対する抗議でした。日本がアメリカのベトナム戦争を支持したことは、1960年の学生運動の発端となりました。しかし警察により鎮圧されたことで、活動家らは日本国内での革命は不可能と悟り、国外に活動拠点を求めるようになります。







    日本赤軍創設



    日本赤軍は革命思想を持った組織で、学生運動から派生して1969年に創設されました。メンバーは、自らが地域および世界的な覇権を握れると信じていました。日本の警察に国内拠点を襲撃されると、西アジアや欧州に移りました。ドイツやイタリアでは現地の同様の組織と関係を構築しました。日本赤軍は、1967年のいわゆる「第三次中東戦争」で、シオニスト政権イスラエルパレスチナの占領を拡大したことに怒りを表明し、パレスチナ抵抗戦士や解放運動との協力を開始します。











    パレスチナ解放への闘志



    シオニスト政権イスラエルへの抵抗は、世界的帝国主義への対抗の一環でした。そのため重信氏は1971年にレバノンの首都ベイルートに渡り、「マリヤム」という偽名を使ってパレスチナ解放のためPFLPパレスチナ解放人民戦線に加わります。重信氏はアラビア語が話せず、周りとの意思疎通ができなかったため問題にも直面しましたが、自らの目的の障害にはなりませんでした。



    重信氏は、PFLPのメディアセンターで、レバノンの著名な作家で当時PFLP報道官だったガッサーン・カナファーニー氏とともに働きます。そこで映像制作やメディア関連業務に従事します。また、PFLPの多くの文書を日本語に翻訳したりもしました。



    ベイルートに1年滞在した後、重信氏は日本赤軍が活動方針を転換し、革命思想から外れたことを理由として脱退し、パレスチナ支援とイスラエルへの抵抗のためレバノンで自らの活動を続けます。











    テルアビブ空港乱射事件



    重信氏が指揮した日本赤軍の活動のひとつに、1972年にテルアビブ近郊のロッド国際空港(現在のベン・グリオン国際空港)で起きた銃乱射事件が挙げられます。



    この事件は、日本赤軍岡本公三、安田安之、奥平剛士の3氏が、エールフランス機で同空港に到着後、手荷物から自動小銃を取り出し、ロビーにいたシオニストらに向けて乱射したものです。これにより26人が死亡、73人が負傷しました。また、3人のうち奥平・安田の2名は死亡し、岡本氏も逮捕され終身刑の判決を受けました。



    この銃乱射は、日本赤軍PFLPの協力により行われ、シオニスト政権に大きな打撃を与えました。両グループは事件後に声明を出し、この攻撃を1948年にシオニストらがパレスチナ人を虐殺したデイル・ヤシーン事件の報復であるとし、作戦名も「デイル・ヤシーン作戦」であるとされました。



    重信氏はこの事件で最大のパートナーを失ったことで、日本赤軍の唯一のスポークスマンとして知られるようになり、シオニスト政権による捜査対象となります。そのため潜伏生活を余儀なくされました。



    空港乱射事件と岡本公三氏の逮捕から1年後、PFLP日本赤軍と協力して、日本航空ボーイング747型機をハイジャックし、岡本氏の釈放を求めて乗客を人質にとります(ドバイ日航機ハイジャック事件)。しかし作戦は失敗に終わりました。



    1974年には日本赤軍のメンバー3人がオランダ・ハーグにあるフランス大使館を襲撃し、大使と外交官らを人質にとります(ハーグ事件)。しかし、ここでも岡本氏の釈放という要求は果たせませんでした。



    結局、岡本氏は1985年にPFLPイスラエルの間の捕虜交換により1150日ぶりに釈放されました。



    岡本氏はその後、レバノンに戻り、イスラム教に改宗しました。いまもレバノン国内で、「アフマド・ヤーバーニー」(日本のアフマド)として知られ、首都ベイルート郊外で暮らしています。日本の捜査当局は彼を指名手配しており、レバノン側にも再三身柄の引き渡しを要求していますが、レバノン側は拒否しています。



    一方、重信氏はその後、レバノン滞在中にPFLPの幹部と結婚し、娘の重信メイ氏をもうけます。メイ氏はあるメディアのインタビューで、両親の活動内容や反占領運動のため、特に空港乱射事件以降、イスラエル当局が日本人に対して目を光らせていたことから、自らの出自を隠さざるを得なかったと回想しています。





    逮捕と日本赤軍解散



    重信氏は2000年に大阪府内で潜伏していたところを逮捕され、ハーグ事件に関与したとして懲役20年に処せられました。翌年には獄中から日本赤軍の解散を正式に表明し、およそ20年の獄中生活の後、昨日刑期満了で出所しました。





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    タグ パレスチナ パレスチナ人 イスラエルの犯罪 重信房子







































    (投稿者より)



    1つの時代が終わったとの思いがあり、記事を御紹介しました。



    刑期を満了された方です。ここでは「テロリストは呼び捨てが当然」との批判は御遠慮くださいませ。