「露、クリルのマトゥア島(松輪島)を調査。基地建設検討のため。」(Suptnik日本):阿修羅♪

「露、クリルのマトゥア島(松輪島)を調査。基地建設検討のため。」(Suptnik日本):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/16/warb18/msg/140.html











http://jp.sputniknews.com/opinion/20160609/2273691.html





マトゥア島(松輪島)、太平洋艦隊の基地へと再生







© Sputnik/ Roman Denisov





オピニオン





2016年06月09日 00:07(アップデート 2016年06月09日 18:09)





リュドミラ サーキャン





トピック 南クリル諸島:不和あるいは協力の島?






ロシア軍はクリル諸島中部に位置するマトゥア島(日本語名で松輪島)に太平洋艦隊の基地建設を検討し始めた。東軍管区司令官のセルゲイ・スロヴィキン大佐が明らかにした。大佐はサハリンおよびクリル諸島は間違いなく安全と領土保全を保証する「ロシアの東方警備拠点」と指摘した。5月半ば、マトゥア島には国防省およびロシア地理学協会の合同調査隊総勢200人が訪れ、キャンプを張って、工事を行なった。





東軍管区広報官のアレクサンドル・ゴルデーエフ大佐はマスコミに対し、第2次世界大戦中、マトゥア島には日本の守備隊がおかれ、飛行場、防御施設が建設されていたとして、次のように語っている。





「丘の斜面やサルィチェグ火山のふもとが調査され、日本軍の地下防御施設のバリケードが除去された。それぞれの地下施設で作業開始前に空気サンプルが採取され、有毒物質の有無が調べられた。詳細な調査の結果、地上および地下の防御施設、また防御地区全体の詳しい見取り図が出来上がった。この島には地下壕、3本の滑走路、ヘリポートがあるほか、9つのトーチカが残されていた。アイヌ湾付近の調査が終わったが、ここはおそらく第2クリル守備隊司令部と大隊の拠点が置かれていたとされている。現在、ドヴォイナヤ湾で沿岸部に空挺部隊の大きな船が寄港する際の開けた場所を準備するため、工事が行われている。沿岸部にある巨礫や崖から落ちた岩などを除去する作業はこれからだ。調査を行った沿岸部の全長は300キロあまりに達した。」





ロシア国防省はこの地域軍人が家族と常駐できる前代未聞の軍事インフラ展開策をとり、東方部隊の再軍備、再生を図ろうとしている。今年の計画では地域にはおよそ軍事機器700基のほか、さらにミサイル、大砲、地対空ミサイル、60機にのぼる軍機、ヘリ、レーダー、軍用ドロンなどが投入される。ショイグ国防相によれば、クリル諸島には沿岸用ミサイル複合体「バル」と「バスチオン」が配備される。2015年9月、カムチャッカ半島原子力潜水艦基地には弾道ミサイルを搭載した最新型潜水艦「アレクサンドル・ネフスキー」が仲間入りした。そして今年、ロシア艦隊にはさらにもう1隻、潜水艦「ウラジーミル・モノモフ」が軍備される。このほかカムチャッカではミサイル複合体S-400が展開され、スホイ35Sを軍備した航空部隊が作られる。この地域には現在、スホイ34が投入されているが、これはシリアでの戦闘で高い戦闘能力を見せ付けた戦闘爆撃機だ。



イトルゥプ島、クナシル島では466の軍事施設の建設が予定。同時に住居、学校、保育園、スポーツ施設、文化施設、銀行、郵便局、カフェ、様々なサービスセンターといった社会インフラも作られる。この他イトゥルプ島では気象ステーションを備えた港湾施設も建つ。これら全ては地元の気象的特徴を考慮したもので、震度9の地震にも耐えられ、100年以上はもつという。ショイグ国防相によれば、クリル諸島および北極の諸島での軍事インフラ建設は今年中に終わる。情報サイト「ポリトルシア(PolitRussia.com)」はロシア東部における軍事力強化の必要性について、次のように説明している。





「ロシアの西の国境に比べ、東方のアジア方面の地政学的状況は複雑でより多くの紛争を内包している。西ではほぼ全てがロシアとNATOの対立に集約されるのに対して、アジア方面ではほぼ全ての国が隣国に歯をむいている状態だ。つまり紛争が引き起こされる原因はずっと多い。しかもこの地域では大型プレーヤーの米国と中国の対立がますます目立ってきている。」







トピック 南クリル諸島:不和あるいは協力の島?



タグ クリル諸島, ロシア













http://jp.sputniknews.com/opinion/20160629/2387226.html





地下都市に何が遺されたか? マトゥア(松輪)島の日本軍の遺物調査が終了へ







© 写真: Russian Geographical Society / Andrey Gorban





オピニオン





2016年06月29日 00:09





リュドミラ サーキャン






クリル諸島の中心部に位置するマトゥア(松輪)島でのロシア国防省とロシア地理協会の合同調査隊は終盤を迎えている。調査では多くの発見があったが中でも最大級のものは日本の軍機だった。東軍管区のアレクサンドル・ゴルデーエフ広報長官は「機体は翼もありよい保存状態で第2次世界大戦時代の三菱のゼロ戦だったものと思われる。ゼロ戦の中隊はマトゥア島に置かれていた。シャシーには漢字がくっきり残されており、製品番号の1733と製造年の1942の数字が読み取れる」と語っている。





今年5月、ロシア国防省クリル諸島の中心部に位置する無人島のマトゥア島に注視。専門的な検査機、設備、地質学者、化学者、生物学者から成る最強の調査隊が負った目的は2つあった。1つが太平洋艦隊のベースの一部を移すのにこの島が適切かどうかを知ること。もう1つがこの島を前の主の遺物を調査することだった。



マトゥア島についての最初の記述は1711年。ここにアイヌの村があった時代のことだ。つづいて日本の軍部が島に興味を持った。第2次世界大戦開戦前にはマトゥア島は強力な城砦、地下には塹壕が張り巡らされ、大小さまざまなトーチカ、空港、港湾設備を有していた。島での上陸戦は展開されなかったが米軍は定期的に海上からの爆撃を繰り返していた。



日本が全面降伏を宣言すると1945年8月下旬には日本軍守備隊は無抵抗でソ連のパラシュート降下隊に島を明け渡した。この際あらかじめ岸壁に掘られていたトンネルを爆破している。



第91歩兵師団の司令官、ツツミ・フサキ中将への尋問録には次のような一節が残されている。



クリル諸島のなかでは松輪島(マトゥア島)が最大の意味を持っております。島は中間的な航空基地であり、同時に船舶の停泊基地でもあります。この島を奪取すれば北海道に対抗する行為とる場合の良好な基地が出来、また北方の島々との連絡を切断することも可能となるでしょう。米国はこの島に関心を抱いていました。このため日本は多くの軍事力を投入し、堅牢な防衛を築いたのです。この島には第5戦線本部に直属する第41混成大隊が駐屯しておりました。」



20世紀の半ば、マトゥア島にはソ連の対空防衛が置かれ、その後国境警備隊が駐屯していたが、そうした者たちは調査は行っていない。2001年、警備隊は退去されられ、島は無人化した。だが日本軍の残したあまりに強力な軍事設備は歴史家らの胸を騒がせ続けた。これらの背後に歴史家らは一種の超越した軍事課題または機密があったのではないかとふんでいた。カムチャッカ半島のそうした研究者らが初めて独自の調査を開始したのは2003年だった。



研究者らは実際に目にしたものに驚愕し、その結果行われた調査回数は実に15回にも及んだ。そうした調査の全て参加した学術指導員のイリーナ・ヴィテル氏はスプートニクからのインタビューに次のように語っている。





「この島を丹念に調査したのは私たちが初めてであり唯一だ。国防省と地理学協会の調査の計画段階では我々が集めた資料は最も完全で客観的な情報源となった。



島には縦横に壕、塹壕、人工的な洞窟が掘られている。島の北方は火山という自然の地形が防御壁となっていたが、後は全て日本の工兵らの手で強力な守備城砦が作り上げられている。マトゥア島の縦方向の沿岸は全て石または岸壁から掘り出された岩で密に組まれたトーチカが数珠繋ぎに環状に続いている。これらすべてのシステムは枝分かれした網目状の地下道を有していた。



ある丘の下にはおそらく司令官の官邸が置かれていたのか、地下の風呂場まであった。完全なる地下都市だ。その機能がなんであったのか、我々は結局明らかに出来ずじまいだった。



ここの地下には日本軍の細菌兵器ラボがあったとか、または原爆製造のベースキャンプだったなど様々な噂は流れたが、そのどれも証拠は見つけられていない。それはまず地下設備の全てには到底潜入することはできなかったし、それに今回の調査隊のようなすごい機器は我々は持っていなかったからだ。



その代わり我々は空港の滑走路を見つけていた。よい保存状態で機体の昇降のためのコンクリート製のスロープが設けられている。この数年で我々の発見したものは兵器から兵靴、台所用品まで枚挙に暇がない。マトゥア島に日本軍が残した遺物を並べたら博物館が数軒建ってしまうほどだ。島自体、野外の自然状態での戦争博物館といえる。」






カムチャッカの調査隊は日本人研究者らと何度も連絡を取ろうとしてきた。だがこうした照会にはほとんど回答が得られなかったという。





「ある時我々は日本の胸章かメダルのようなものを見つけた。磨いてみると文字が出てきた。下関市の幼年学校卒業とある。我々は外務省を通じて日本政権に対し持ち主を明らかにしてくれるよう要請し、もし親戚が生きておられたならば、その方々にお渡ししたいと伝えた。ところがそれに対する回答は『名前の解読は不可能』。こんな例は唯一ではなく、日本人とコンタクトしようとするとその度になぜかきまって無理解の壁に阻まれ続けてきた。」





イリーナ・ヴィテル氏は全ての調査が終わった結果、手元に残ったのは回答よりも疑問のほうが多くなったと語っている。日本の歴史家らとの協力が実現すれば、第2次大戦の歴史の新たなページが明らかにできるだろう。この調査の結果の続きについては今後の発表を待ちたい。









−参考−





「ロシア24」のニュース動画3本。何を言っているかは分かりませんが、何をやっているかは分かります。





















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