間違った希望:福島地域での放射線モニタリング(Greenpeace International):阿修羅♪

間違った希望:福島地域での放射線モニタリング(Greenpeace International):阿修羅♪
http://www.asyura2.com/12/genpatu28/msg/351.html





(False hope: radiation monitoring in the Fukushima area: Greenpeace Internatioanl)

http://www.greenpeace.org/international/en/news/Blogs/nuclear-reaction/false-hope-radiation-monitoring-in-the-fukush/blog/42696/





間違った希望:福島地域での放射線モニタリング



ブログ投稿者 グレッグ・マクネビン - 2012年10月23日9:06





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先週、グリーンピース放射線モニタリングチーム3組が福島市の街路や汚染の激しい飯舘地域を訪れ、汚染の脅威について改めて記録・評価を行った。



前回の旅行のように、いくつかの地域では被曝線量の下降が分かったが、人口が密集した福島市内のあちこちにホットスポットがたくさん残っている。しかし、より懸念されることは、市内のあちこちで見られる政府の公式なモニタリングポストだ。



今月初め、市民と科学者の内部被曝研究会は、日本政府がこうした公式なモニタリングポストの計測値を操作しているとの懸念を表明した



今年3月、渡利郊外の公園内の放射線量を計測中、私たちが新設された公式なモニタリングポストに出くわした時のことがあったので、私たちには、これは聞き慣れた話だ。そのポストは、これまで計測してきた地点の数値よりも、比較的低い汚染レベルを示していたが、それが設置された場所を中心に、狭い範囲がきれいに除染された気配がある。新しい土が古い土と入れ替えられていたが、そのきれいな範囲を出るやいなや、汚染レベルは急上昇し、公園のどこでもずっと高い数値が続いた−公式なモニタリングポストの周囲を除いて。











あのときの訪問で私たちが測定したのは、そのポスト1カ所だけだったが、そこが最近設置されたばかりだとするなら、これは、人口密集地域の広範囲な除染と、放射線の危険性についての一般市民への広報活動の強化に、当局が率先して新たに取り組み始めたことのしるしであって欲しいと願った。



不幸にも、いま、それが期待外れだったことが分かった。



10月16日から19日まで、グリーンピース福島市内各所のモニタリングポスト40カ所を計測した。その75%で、ポストに近い場所の放射線計測値が、そのすぐ周囲の計測値よりも低かった。ポストから25m離れない場所で、汚染の数値はポストの数値の6倍まで上がった。



当局は、ポストの周辺のどの範囲を除染したかについての情報は発表していると述べ、モニタリングポストに誤計測させることを意図したものでないと主張する。しかし、その地域に住む人々やそこを通行する誰でもに、汚染レベルはポストからたった数メートルよりも低いかも知れないという印象を、当局は確かに与えている。



それだけでなく、除染作業の展開は点状のままだ。一部の公園や校庭など、結果を出しやすい場所に当局は気を配ってきたが、街のあちこちにホットスポットがたくさん残っていることを私たちのチームが発見しており、それら全部をきれいにするために、ほとんど何もなされていない。



私たちが滞在していた週に、福島市では何組かの除染作業者のグループを見ただけだった。それと対照して、飯舘地域では多くの除算作業者を見た。ここは山がちの森が深い地域で、環境から汚染を全て取り除くのは非常に面倒だ。作業者が家屋や職場の除染に成功したとしても、風が吹く度に、また、暴風雨や春の溶けた雪が丘の上から汚染を集めて来るので、再び汚染される危険性が高い。当局は楽観的だという言い方は、過小表現だ。飯舘の壊れた村々に当局が与えられるのは、間違った希望だけだ。



今回の旅行で、私たちはかつて飯舘に住んでいた6人にインタビューしたが、彼らは共通して、公的な情報に明らかな不信感を抱き、また、彼らが日々甘受している放射能汚染の問題について、政府に収める能力があるとほとんど信じていない。 ありありとした喪失感がそこにあり、人々は何よりも帰って生活を立て直したいと切望しているが、その一方で、かつての生活は戻って来ないことを、多くの人は心の中で分かっている。家屋・職場・田畑は汚染され、村々は散り散りとなり、彼らはいま、生活を畳み、どこかでやり直すための適正な補償を貰うことを模索している。



私たちは、お金も人手もなければ、政府から何の指示も約束も得られず、身動きがとれないと嘆いている地元当局とも対話した。



これは、日本政府が、この原発の大事故の深刻さや範囲を無慈悲にも過小に扱っていることを改めて強調しているだけでなく、人々の健康や安全を政治の前に置く能力が欠如していることを改めて物語っている。原発作業員が適切な健康診断を受けられないのに、日本政府はフクシマの復興予算を捕鯨のために浪費した。いま、福島市内でも人々がいまだに危険にさらされているのに、日本政府は、避難区域に人を再び住まわせるという見当違いの試みから、無人の農村地域を除染することで資源と時間を浪費している。



政府はいまだに全てをコントロールしているふりをしているが、明らかにそうではないし、不幸にも、そこから抜け出す道は容易ではない。政府にできることは、事態の現実を認め、値するだけの注意を向けることだけだ。



そうして初めて、政府は、人々が自分たちを守るのに必要な情報を与えることができる。



そうして初めて、政府は、生活に打撃を受けた人々に、この悲劇にケリを付けてやり直すために、適切な補償を与えることができる。



そうして初めて、政府は、日本にとって原発とは祝福でなく呪いだったことを本当に理解し、将来のための正しい決定をすることができる。













(投稿者より)



フォロー元のRFI記事のリンク先になるブログ記事です。誤訳があるかも知れません。ご容赦下さい。



記事にあった、市民と科学者の内部被曝研究会の件のプレスリリースです。

(放射能モニタリングポストの実態調査:内部被曝問題研)