重要な論点の総括(「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」−「最終報告」−「Ⅳ 総括と提言」」より抜粋):阿修羅♪
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/850.html
http://icanps.go.jp/post-2.html
2 重要な論点の総括
(1)抜本的かつ実効性ある事故防止策の構築
当委員会は、福島第一原発の損傷状況や事故対処の実態、国や東京電力等による原発事故防止に向けた事前の取組状況等について調査・検証を行い、中間報告及び本最終報告において、それぞれについて多くの問題点があったことを指摘した。ここで、それらを再度取りまとめて列挙すると、まず、福島第一原発における事故対処に関して指摘した点は、以下のとおりである。
① 1 号機に設置されていたIC について、当直のみならず、発電所対策本部や本店対策本部に至るまで、その機能や運転操作に対する理解が十分でなかったために、断続的に入手される情報から正しくIC の作動状況を把握し得なかったこと
② 3号機について、バッテリー枯渇リスクを過小評価し、十分な減圧・代替注水手段が講じられていることを確認しないまま、当直においてHPCI を手動停止し、代替注水のための減圧操作に失敗するという手順の誤りがあったこと。また、これらの措置が当直等の一部の判断で、幹部社員の指示を仰ぐことなく行われ、発電所における情報共有体制に不備があったこと
③ 3 号機について、RCIC やHPCI の電源となるバッテリーはいずれ枯渇することから、これらが作動している間に、消防車を利用した代替注水に向けた検討・準備を完了しておくべきであったのに、発電所対策本部は、HPCI 停止を知った後になってようやく、これらの検討・準備に取り掛かっていること
④ 2 号機について、RCIC が制御できないまま、RHR によるS/C 冷却ができない状況で、RCIC の水源をS/C に切り替えており、その場合には、RCIC がいつ機能停止に陥るか分からず、S/C の圧力・温度が上昇し、SR 弁による減圧が困難になって代替注水が不可能となるなどのおそれがあったのであるから、S/C 圧力・温度を継続的に監視するとともに、消防車による代替注水に必要な準備を終えておくなどして、RCIC 停止を待つことなく、S/C の圧力抑制機能が失われる前にSR 弁による減圧を行い、代替注水に移行する必要があったのに、実際には、3 月14 日4 時30 分頃まで、S/C 圧力・温度の監視が行われていなかったことなどである。
また、国や東京電力等による事前の事故防止策に関して指摘した点は、以下のとおりである。
① 電力事業者においては、その自主的取組として、社団法人(現在は公益社団法人)土木学会(以下「土木学会」という。)原子力土木委員会津波評価部会に「原子力発電所の津波評価技術」(以下「津波評価技術」という。)の取りまとめを委嘱し、これを用いて津波水位を想定していたが、この津波評価技術はおおむね信頼性があると判断される痕跡高記録が残されている津波を評価の基礎としており、文献・資料の不十分な津波については検討対象から外される可能性が高いという限界があったこと
② 設計段階での想定津波に関し、平成18 年9 月に耐震設計審査指針が改訂され、津波対策が明文化されたものの、安全委員会における指針改訂の検討過程では、津波問題についての十分な検討は行われておらず、保安院等から、津波評価手法や津波対策の有効性についての評価基準が提示されることもなかったこと
③ 東京電力は、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのプレート間大地震(津波地震)については領域内のどこでも発生する可能性がある旨の文部科学省地震調査研究推進本部(以下「推本」という。)の「三陸沖から房総沖にかけての地震活動への長期評価」報告書(以下「長期評価」という。)における指摘や、貞観津波の波源モデルの研究論文を踏まえた試算により、福島第一原発において設計上の想定を超える津波波高の数値を得たが、福島第一原発における具体的な津波対策に着手するには至らなかったこと
④ 我が国でも、規制関係機関や事業者によりシビアアクシデント対策は進められていたが、その検討対象は機械故障、ヒューマンエラー等の内的事象に限られ、地震、津波等の外的事象にまで検討対象を広げて積極的に推進するには至っていなかったこと
⑤ 東京電力は、津波についてのAM 策を検討・準備していなかったこと。また、津波に限らず、自然災害については設計の範囲内で対応できると考えており、設計上の想定を超える自然災害により炉心が重大な損傷を受ける事態についての対策は極めて不十分であったこと
⑥ 全電源喪失について、東京電力は、複数号機が同時に損壊故障する事態を想定しておらず、非常用電源についても、非常用DG や電源盤の設置場所を多重化・多様化してその独立性を確保するなどの措置は講じられておらず、直流電源を喪失する事態への備えもなされていなかったこと。また、このような場合を想定した手順書の整備や社員教育もなされておらず、このような事態に対処するために必要な資機材の備蓄もなされていなかったこと
⑦ 消防車を用いた注水策は、有用性が社内の一部で認識されていたものの、AM策には位置付けられておらず、海水注入についてもAM 策としての検討は行われておらず、消防車注水をどの機能班が行うかも不明確であったこと
⑧ 東京電力では、長時間の全電源喪失を念頭に置いた発電所内での通信手段の整備がなされておらず、通常使用していたPHS はバッテリー枯渇により使用できなくなり、その後は無線機が用いられたが、送受信場所の制約があるなど、円滑な情報連絡には不十分であったこと
⑨ 緊急時における機材操作要員についての具体的な取決めはなされておらず、操作要員の手配に欠落が生じ、初動活動の迅速な展開に支障が生じたことなどである。
当委員会としては、国、電力事業者、原子力発電プラントメーカー、研究機関、原子力学会といった、およそ原子力発電に関わる関係者が、これらの指摘を真摯に受け止め、問題点を解消・改善するための具体的取組を進めることを強く要望する。
前記の技術的、原子力工学的な問題点を解消・改善するためにどのような具体的取組が必要かは、原子力全般についての高度な専門的知見を踏まえた検討が必要なものも少なくない。これについては、原子力発電に関わる関係者において、その専門的知見を活用して具体化すべきであり、その検討に当たっては、当委員会が指摘した問題点を十分考慮するとともに、その検討の経緯及び結果について社会への説明責任を果たす必要があると考える。
今回の事故を踏まえて今後の安全対策に反映すべきと考えられる事項として、政府からは、既に外部電源対策、所内電気設備対策、冷却・注水設備対策、格納容器破損・水素爆発対策、管理・計装設備対策を網羅する30 項目に上る対応の方向性が示されている。これらの対応策は、今後更に具体化されていくものと思われるが、これらを含め関係者が真に有効な対策を包括的に構築する努力を継続することを強く求めたい。
(2)複合災害という視点の欠如
福島第一原発の事故は、大津波を伴った東北地方太平洋沖地震が引き金となって発生した。この地震・津波は、いうまでもなく福島第一原発を襲っただけでなく、東北地方の太平洋側沿岸一帯に深刻な人的、物的被害をもたらした。
東日本大震災は、地震・津波・原発事故からなる大規模かつ広域的な複合災害である。このような複合災害が発生した場合、単独の事故や単独の災害とは異なる困難が数多く、かつ同時に発生する。今回の場合も、国及び地方自治体は、未曽有の複数の災害に同時に対応しなくてはならないという事態に直面して、地震や停電等を原因とし通信手段等が途絶する中、様々な場面で混乱し、生起した問題への対応に遅れや不備等が生じた。中間報告や本最終報告において既述のとおり、通信設備に支障が生じたことなどによって事故対応の拠点となるはずだったオフサイトセンターの機能が十分に発揮できなくなったり、また、モニタリング機器等に損傷が生じて放射線量の測定も困難になったりするなど、原発事故対応に必要不可欠のインフラ等に重大な支障が生じた。
中でも、オフサイトセンターの機能不全は、国や地方自治体等の災害対策において、複合災害という視点が欠如していたことを端的に象徴するものであった。すなわち、同センターは、地震により道路が損壊したり、通信手段の途絶が生じたりすることを十分に想定せずに立地や施設整備が行われた施設であった。そのため、複合災害の発生によって、その限界があらわになり、たちまち機能不全状態に陥ったのである。
また、今回の事故では複数基の原子炉で同時に事故が発生し、一つの原子炉の事故の進展が隣接する原子炉の緊急時対応に影響を及ぼしたが、これまでの我が国におけるシビアアクシデント対策においては、複数の原子炉において深刻な事故が同時発生するとは考えられていなかった。
福島第一原発の事故が起こるまで、国や大半の地方自治体において原発事故が複合災害という形で発生することを想定していなかったことは、原子力発電所それ自体の安全とそれを取り巻く地域社会の安全の両面において、我が国の危機管理態勢の不十分さを示したものであった。したがって、今後、原子力発電所の安全対策を見直す際には、大規模な複合災害の発生という点を十分に視野に入れた対応策の策定が必要である。
(3)求められるリスク認識の転換
事故や災害に対する安全対策を立てるには、内的要因(欠陥・故障、ヒューマンエラー等)にしろ外的要因(地震、津波、火山、竜巻、暴風雨、崖崩れ、土石流、停電、航空機落下、テロ等)にしろ、それら一つ一つの発生確率や被害の形態を予測する必要があるのは、当然である。特に我が国においては、地震、津波、火山は、原子力発電所の安全にとっても、地域防災の上でも、重要なリスク要因になっている。
中間報告及び本最終報告で既述のとおり、近年、地震研究においては、プレートテクトニクス理論をベースに、震源域の地域別特性や大津波を引き起こすいわゆる津波地震の海底断層の特性、発生の頻度と発生確率の確率論的な評価などが注目されるようになってきた。そういう新たな知見を防災対策の重点地域の特定に利用することは、それなりに合理性があると言える。
しかし、①地震・津波が、地震の起こり方の特性によって区分けした地域別にどの程度の規模のものがどのような頻度で起こる可能性があるかを予測した確率論的評価は、地域にもよるが、記録が詳しく残っている江戸時代以降の200 年からせいぜい400 年以内というような限られた事例を根拠にしており、古文書等の記録が不十分で地震・津波の規模や震源モデルを推定しにくい500 年とか1000 年という長い周期で起きているものについてはデータベースから外されていること、②研究組織や関係行政機関によって、防災対策の根拠を明確にするために、地震・津波等の自然災害の確率論的な発生確率計算の精度の向上が図られた反面、自然現象には現在の学問の知見を超えるような事象が起こることがあり、そういう極めてまれな事象への備えも必ず並行して考慮しなくてはならないという伝統的な防災対策の心得が考慮されなくなりがちになっていたこと、③地震・津波の想定について、何らかの選択をした際、極めてまれなケースについては、「残余のリスク」「残る課題」等の表現で検討課題に挙げられてはきたが、それは文書に形式的に書かれるだけで、実際には継続して深く検討されずに放置されてきたこと等に見られるように、学問の進歩の一方で、そこから防災対策の隙間(J.リーズンのスイスチーズモデルによる安全防護壁の穴)が生まれるという問題が生じていた。
このような落とし穴から抜け出すには、安全対策・防災対策の前提となるリスクの捉え方を、次のように大きく転換させる必要があろう。
(鄯)日本は古来、様々な自然災害に襲われてきた「災害大国」であることを肝に命じて、自然界の脅威、地殻変動の規模と時間スケールの大きさに対し、謙虚に向き合うこと。
(鄱)リスクの捉え方を大きく転換すること。これまで安全対策・防災対策の基礎にしてきたリスクの捉え方は、発生確率の大小を判断基準の中心に据えて、発生確率の小さいものについては、安全対策の対象から外してきた。一般的な機械や建築物の設計の場合は、そういう捉え方でも一定の合理性があった。しかし、東日本大震災が示したのは、“たとえ確率論的に発生確率が低いとされた事象であっても、一旦事故・災害が起こった時の被害の規模が極めて大きい場合には、しかるべき対策を立てることが必要である”というリスク認識の転換の重要性であった。
その場合、一般的な機械や設備等の設計については、リスク論において通念化されている「リスク=発生確率×被害の規模」というリスクの捉え方でカバーできるだろうが、今回のような巨大津波災害や原子力発電所のシビアアクシデントのように広域にわたり甚大な被害をもたらす事故・災害の場合には、発生確率にかかわらずしかるべき安全対策・防災対策を立てておくべきである、という新たな防災思想が、行政においても企業においても確立される必要がある。
(鄴)安全対策・防災対策の範囲について一定の線引きをした場合、「残余のリスク」「残る課題」とされた問題を放置することなく、更なる掘り下げた検討を確実に継続させるための制度が必要である。
東日本大震災の後、安全論やリスク・マネジメントの専門家が様々な場で前記のようなリスクの考え方や「残余のリスク」に目を向けることの重要性を強調するようになった。それらの中で特に重要なのは、中央防災会議の「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会」(座長・河田惠昭関西大学教授)がまとめた「報告」(平成23 年9 月28 日)において、貞観津波などを考慮の外においてきたことを反省しつつ、「確からしさが低くても、地震・津波被害が圧倒的に大きかったと考えられる歴史地震については、十分考慮する必要がある」と総括した箇所である。
今後の我が国の防災対策の前提となるリスクの捉え方が、地震・津波のほか様々な外的要因について、このような発想で検討されるようになることを望みたい。
(4)「被害者の視点からの欠陥分析」の重要性
なぜ福島第一原発の事故に伴う周辺地域の人々の避難は大混乱に陥ったのか。この問題は、福島第一原発の原子力プラントにおいてシビアアクシデントが発生したのはなぜかという問いと同等に重要である。
原子力発電所という巨大システムを設計し設置するに当たって、事業者は、まず原子炉建屋内やタービン建屋内等の「システム中枢領域」と言うべき諸設備について、二重三重の安全対策を立てる。原子炉の安全対策はもとより、外部電源が断たれた場合に備えて非常用発電機を2 台設置するとか、緊急冷却水系を複数設けるといった対策等である。
次に考慮するのは、「システム支援領域」と言うべき諸設備についてである。すなわち、事故発生時に使用する非常用電源車、消防車、重機、支援機材、延長用電線等の整備や、放射性物質の放出源と周辺地域の放射線量を測定する装置(放出源検出器やモニタリングポスト)、通信インフラや交通インフラの整備等である。
さらに、国や地方自治体といった関係行政機関は、万一放射性物質が周辺地域に飛散する事故が発生した場合に備えて、周辺地域の人々を放射線被ばくから守るために、原子力防災計画を策定しておかなければならないが、それは、地域の人々の避難体制や情報システムはもとより、医療支援や環境汚染に伴う学校・保育所の対策、農業・漁業対策等を含むべきである。これらの対策が求められている領域をここでは仮に「地域安全領域」と呼ぶことにする。
ここで原子力発電に係わる領域を、「システム中枢領域」「システム支援領域」「地域安全領域」の三つに分けたのは、設計基準の対象領域を決めるための線引きのような厳密な区分ではなく、システム自体の安全性や周辺地域の人々の安全はどのような全体構造の中で確保されるべきかを捉えやすくするためである。なお、設備によっては、二つの領域に共通の役割を持つものもある。例えば、「システム支援領域」に挙げたモニタリングポストや通信インフラ、交通インフラ等は、「地域安全領域」の重要な設備でもある。
原発システムの安全性を検証する場合、検証する者が立ち位置をどこに置くかによって、見えてくるものが大きく違ってくる。事業者側の視点からシステムの安全性を見る場合、当然、まず懸命に取り組むのは、「システム中枢領域」の安全性の確保である。二重三重に安全策を施すことによって、「原発は安全」と認識する。しかし、その認識が確信にまでなると、中枢領域以外の領域の安全性確保については、緊張感を持って取り組み、点検する姿勢に緩みが生じがちになる。
「システム中枢領域」にせよ「システム支援領域」にせよ、安全性が確保されていると言っても、それは設計の前提条件の範囲内でのことであって、条件外の事象が起きた場合には、もはや安全性は担保されなくなる。現に、事業者も規制関係機関も、条件外の事象は起こらないとの過剰なまでの自信を抱いていたがゆえに、今回の大津波のように条件を超えた事象に襲われるまで、「システム中枢領域」においてさえも、最悪の事態に陥るのを防ぐ対策が実は「穴」だらけであったことに気付かなかった。ましてや、「システム支援領域」や「地域安全領域」における安全対策の不備には気付いていなかった。そのことは、安全委員会においても保安院においても、原子力防災計画を決めるに当たって、原子炉の格納容器の損傷による放射性物質の大量飛散という事態は起こらないと過信して、そういう事態に対応したシステム支援の準備や住民の避難対策を策定してこなかったことに、象徴的に表れている。
以上の事実が示す重要な教訓として、次の2 点を挙げたい。
(鄯)事業者や規制関係機関が「システム中枢領域」の安全性を設計の前提条件の枠の中だけで過信すると、安全対策が破綻する。
(鄱)「システム支援領域」や「地域安全領域」における安全対策は、「システム中枢領域」の安全性のレベルにかかわりなく、万一の場合に独立して機能するものでなければならない。その原則が忘れられると、地域の人々の命に関わる安全防護壁に多くの「穴」(欠陥)ができてしまう危険性が高くなる。
では、どうすれば、そのような欠陥を見付け、各領域それぞれについて、安全への防護壁を確実なものにすることができるのか。
その方法として、立ち位置を被害を受ける側に置いた「被害者の視点からの欠陥分析」と言うべき方法を提案したい。これは、規制関係機関や地方自治体の防災担当者が災害問題の専門家の協力を得て、「もしそこに住んでいるのが自分や家族だったら」という思いを込めて、最悪の事態が生じた場合、自分に何が降りかかってくるかを徹底的に分析する、という方法である。
具体的に言うなら、避難計画の前提として、どのような規模の原発事故を想定しているのか、想定の事態が生じた時、情報を速やかに正しく伝えてくれる通信ルートは確保されているのか、放射性物質はどれだけの範囲にどのように飛散してくるのか、自分のいる地域の放射線量はどれくらいであって果たして安全なのか、避難地域はどのように決められているのか、避難の方向、移動手段、避難先は万全か、入院患者・在宅の老人・障害者などは速やかに避難できるのか、避難はどれくらいの期間になるのか、放射性物質による環境汚染によって居住条件や生活、農業・畜産業・漁業・林業・各種商工業、子どもの保育・教育等にどのような影響が出るのか、その対策はあらかじめ立てられているのかといった数々の重要な問題を、徹底的に点検することによって、対策の不備や欠陥を浮かび上がらせるのである。
平成18 年4 月から7 月にかけて、安全委員会が、IAEA の新方針に沿って、原子力発電所周辺の住民の避難区域設定を含む防災体制を強化する方向で防災指針を改訂しようとワーキンググループを発足させて検討を行っていたところ、保安院が現行の防災体制で十分対応できるとして強く反対し、見直しが凍結された問題についても、「被害者の視点からの欠陥分析」の観点から検証すると、問題の本質が鮮明に見えてくる。日本の原子力防災体制は、原子炉格納容器の破損やベントによる大量の放射性物質の飛散という重大な事態の発生は全く想定しておらず、揮発性物質等の小規模なリーク(漏出)しか前提にしていなかった。これに対し、IAEA の新方針は、チェルノブイリ事故の教訓等から、防災対策の前提としてシビアアクシデントを想定するようになっていた。すなわち、緊急事態発生時に速やかな避難が必要となる地域として、原子力発電所から半径3〜5km 圏内をPAZ とし、PAZ 内の住民については、被ばくによる確定的影響の防止を重視して、放射性物質放出のおそれが生じた段階から即時避難させるというものであった。安全委員会は、その新方針を日本に導入しようとしたのだった。
これに対し、我が国では原子炉格納容器が破損するなどといった事態は起こらないという確信を抱いていた保安院は、原子力発電所から半径8〜10km 圏内を防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲(EPZ)とする現行の防災体制で十分であり、また、これまで発電所周辺の住民に対し重大事故は起こらないと説得してきたのだから、シビアアクシデントが起こるかもしれないということを前提にした防災対策が必要だとはとても言えない、各地で防災訓練もしっかりとやって防災対策が定着してきたところに、地元を混乱させるような防災対策の変更は認め難い等と言って、新方針の導入に強固に反対した。安全委員会側は、IAEA の新方針と日本の制度との詳細な比較や実施面での問題点などについて検討不足の部分もあって、結局、IAEA 新方針の導入を見送ることになった。
この問題を「被害者の視点からの欠陥分析」の観点から分析すると、次のような問題点が浮かび上がってくる。
① 原子力防災体制は地域住民の安全を守るために決められたものであっても、最も重要な前提条件である想定事故について、原子炉格納容器の破損といった深刻な事故は起こらないという規制関係機関の過信の下では、住民の安全はタテマエ論に過ぎなくなっていた。
② 「地域安全領域」の重要項目である防災対策は、前記のように「システム中枢領域」の安全性のレベルにかかわりなく、万一の場合に備えたものでなければならないのに、現実には、そういう制度設計になっていなかった。
③ 規制関係機関が絶対安全ばかりを強調して地域住民を説得すると、後でより安全性を高める防災体制に変更することが困難になる。
④ 真に安全な社会システムを構築するには、リスクに関わる真実の情報を規制関係機関と住民が共有する必要がある。しかし、原子力防災体制の整備に当たっては、住民に十分な情報が提供されないまま、「原発は安全」「防災対策は万全」という面ばかりが強調されていた。前記の防災指針改訂の検討をめぐるやり取りに関わり、広瀬研吉保安院長が、安全委員会との意見交換を目的とした昼食会の席で、「防災対策をめぐってようやく国民が落ち着いたときに、寝た子を起こすな」という趣旨の発言をしたとされているが、これはこれまで規制関係機関に前記のような視点が希薄であったことを示す一つの事例であると言えよう。
⑤ 保安院は、地域の防災訓練はしっかりと行われていると強調し、そのことを改めて防災対策の変更の必要はない理由の一つにしていたが、防災訓練の実態は、ウィークデーに住民が一つの自治体でせいぜいのところ数百人規模で参加する程度のもので、本格的な原発事故に対応できるような中身のものではなかった。
このように、被害者の視点からシステムの問題点を点検し洗い出すと、重要な「穴」
がいかに多いかが浮かび上がってくるのである。
さらに、「システム支援領域」をも「被害者の視点からの欠陥分析」の視角で検証してみると、放射性物質放出源の計測設備や周辺地域のモニタリング設備は地震・津波・停電によっても作動し情報をきちんと伝えてくれるか、SPEEDI 情報は有効に活用できるのか、オフサイトセンターは放射性物質が飛散している中でも機能し得るか、災害対応に不可欠の通信インフラ、交通インフラは万全か、各種支援機材は万全か等の問題点が浮かび上がってくる。このような「被害者の視点からの欠陥分析」は、住民(被害者)の切実感、切迫感に寄り添った安全性の点検・分析であるところに重い意味がある。
そこで、行政と事業者がなすべきことは、分析によって浮かび上がった対策の不備や欠陥について改善策を講じていくことであるが、すぐに全ての欠陥の「穴」を塞ぐのは困難であろう。その場合、残された対策とその問題点を公表し、今後どう対処していくべきかを規制関係機関と関係自治体が地域の住民と議論して、共働で次善の策を絞り出すという取組が重要となるだろう。そのような地域の住民の視点に立った災害の捉え方と安全への取組が定着して初めて、この国に真の安全で安心できる社会を創造することができると言えよう。
以上の分析から導き出すことのできる教訓として、事故が起きると広範囲の被害をもたらすおそれのある原子力発電所のようなシステムの設計、設置、運用に当たっては、地域の避難計画を含めて、安全性を確実なものにするために、事業者や規制関係機関による、「被害者の視点」を見据えたリスク要因の点検・洗い出しが必要であり、そうした取組を定着させるべきである。
なお、本項で言及した住民の避難計画とその訓練については、中間報告でも述べたが、原発事故による放射性物質の飛散範囲が極めて広くなることを考慮して、県と関係市町村が連合して、混乱を最小限にとどめる実効性のある態勢を構築すべきことを改めて指摘しておく。
(5)「想定外」問題と行政・東京電力の危機感の希薄さ
原発事故を引き起こし、東日本の太平洋沿岸に甚大な被害をもたらした巨大地震と大津波の発生について、政府関係者や東京電力幹部からしばしば「想定外」という言葉が発せられた。複数の震源がほぼ同時に動く、地震の規模がM9.0 という巨大地震が起こるという予測は、地震の専門家によってもなされていなかったという点では、確かに「想定外」という側面はあった。
しかし、それは地震の震源のメカニズムや規模について学問的に厳密な捉え方をした場合に「想定外」の地震が起きたということであって、一般的に仙台平野や福島県沿岸部に大津波をもたらすような地震は全く予測されていなかったかというと、必ずしもそうではない。
そもそも「想定外」という言葉には、大別すると二つの意味がある。一つは、最先端の学術的な知見をもってしても予測できなかった事象が起きた場合であり、もう一つは、制度や建築物を作ったり、自然災害の発生を予測したりする場合に、予想されるあらゆる事態に対応できるようにするには財源等の制約から無理があるため、現実的な判断により発生確率の低い事象については除外するという線引きをしていたところ、線引きした範囲を大きく超える事象が起きたという場合である。今回の大津波の発生は、この10 年余りの地震学の進展と防災行政の経緯を調べてみると、後者であったことが分かる。
海洋底(プレート)の沈み込みによって大地震が起こるというプレートテクトニクス理論が1960 年代末に登場して以降、大地震の発生メカニズムの理解は深まった。また、日本列島では1990 年代以降、GPS による地殻変動連続観測網が整備されたことにより、東北地方の太平洋沖では、プレートの沈み込みによりひずみの蓄積が進行している観測事実が明らかになってきた。これにより、東北地方沖の日本海溝付近で大地震が起きる可能性があること、換言すれば、わずか数百年の歴史の中で大地震が起きていない場所だから将来も地震が起きないと考えることは危険だと考える研究者も増えていた。そうした中、平成14 年7 月の推本の長期評価が、三陸沖から房総沖にかけての日本海溝付近ではどこでも津波地震が起こる可能性があるということを指摘した。これは、地震空白域となっている福島県沖でも津波地震が起こる可能性があることを示唆していた。しかし、この長期評価(予測)については、内閣府防災担当部局の強い要請によって、データの制約のため発生確率や地震の規模の数値に誤差を含んでいるから注意されたい、というただし書きが付せられた。
その後、地震空白域を国の防災対策から外すことを明確に決定したのは、国の全体的な防災計画を決める中央防災会議だった。前記Ⅴ2(2)で詳述したように、中央防災会議の「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会」の第2回会合で、事務局が防災対策の検討対象とする地震について、大きく割り切る案を提示した。それは、①過去に大きな地震が繰り返し発生している領域、②大きな地震がまれに発生する領域については、防災対策の対象にするが、③大きな地震が発生した記録のない領域については対象から外す、というものだった。「発生の可能性に関する十分な知見が得られていない(=科学的な研究が未成熟)」というのがその理由であった。
これに対し、同専門調査会の委員のうち地震・津波の専門家たちは、地震空白域の福島県沖・茨城県沖の日本海溝沿い領域の津波地震を防災対策の対象にすべきであり、実態が解明されつつあった貞観津波のタイプも考慮すべきであると主張した。
しかし、事務局は、防災計画は法律によって義務化されるものであり、予算の制約や関係自治体の対応力も絡むので、対象地域を決めるには相当の説得力を持つ根拠が必要であるという理由で方針を変えなかった。その後、同専門調査会が平成18年にまとめた報告書は、前記の事務局方針を基本的に踏襲し、福島県沖・茨城県沖海溝沿い領域の津波地震を検討対象から外すとともに、貞観津波については「留意が必要」と記すだけにとどめた。一方、根室沖から十勝沖にかけての領域の「500年間隔地震」については、地道な研究の積み重ねにより、発生周期や断層モデルの研究が説得力を持つまでに進んでいるとして、防災対策の対象に指定された。
以上のような防災対策に関する行政の意思決定過程を、行政の論理の枠内で見ると、それなりの合理性があったことは否定できない。しかし、大津波により2 万人近くの犠牲者が発生し、高さ14mを超える大津波が来襲して原発事故が引き起こされ、十数万人が避難を余儀なくされたという事実を前にして、行政には何の誤りもなかった、「想定外」の大地震・大津波だったから仕方がないと言って済ますことはできるだろうか。それでは、安全な社会づくりの教訓は何も得られないだろう。
この疑問に答えを見いだすには、行政の論理にとらわれない事故調査の方法による分析が必要になってくる。事故調査の方法とは、行政の論理や責任の有無とは関係なく、被害を少しでも小さくする方法あるいは選択肢はなかったのか、行政の意思決定の枠組みを変革する道はなかったのかという視点から、要因分析を行う取組である。その視点から分析すると、次のような問題点が浮かび上がってくる。
① これまで地震研究者の間では南海トラフへの注目が高く、日本海溝・千島海溝で起こる巨大地震の研究は十分ではなかった。これには、明瞭な歴史記録が残っていることと、多くの人々が住む日本の中心部で起こる地震であるため社会的に注目度が高いという事情が影響していた。貞観地震を始めとした日本海溝・千島海溝で起きる巨大地震については1990 年前後に先駆的な研究がなされた後、10年余りの間は細々とした研究が行われていたに過ぎなかった。日本は歴史的に数多くの地震・津波災害を経験してきた「災害常襲国」であるが、科学研究予算等の公的な研究資金プロジェクトにおいて、ターゲットを絞って研究するスタイルの拡大が、地震研究においていわゆる日の当たる場所、日の当たらない場所を作ってしまった側面があり、そうした研究に基づいた知見に頼って防災対策の重点を置くことは、「想定外」のリスクを大きくする可能性があったことに注目する必要がある(このことは、前記(3)で論じたリスクの確率計算の精度を上げることにばかり傾注することによって生じる落とし穴の問題と同質と言えよう。)。地震についての科学的知見はいまだ不十分なものであり、研究成果を逐次取り入れて防災対策に生かしていかなければならない。換言すれば、ある時点までの知見で決められた方針を長期間にわたって引きずり続けることなく、地震・津波の学問研究の進展に敏感に対応し、新しい重要な知見が登場した場合には、適時必要な見直しや修正を行うことが必要である。
② 発生確率が低いかあるいは不明という理由により、財源等の制約からある地域が防災対策の強化対象から外されていた場合、万一、大地震・大津波が発生すると被害は非常に大きくなると考えられる。行政は、少数であっても地震研究者が危険性を指摘する特定の領域や、例えば津波堆積物のような古い時代に大地震・大津波が発生した形跡がある領域については、地震の実態解明を急ぐための研究プロジェクトを立ち上げるとか、関係地域に情報を開示して、行政、住民、専門家が一体となって万一に備える新しい発想の防災計画を策定する等の取組をすべきであろう。
③ 中央防災会議が決める防災計画は、原発立地を特別視することなく進められてきたが、今後は原発立地の領域における災害リスクを注視すべきである。原子力発電所の防災対策は保安院の担当とされてきたが、中央防災会議の方針は原子力発電所の防災対策にも密接に関連することから、中央防災会議においても原子力発電所を念頭に置いた検討を行うべきである。
一方、東京電力の津波対策はどうだったのか。
東京電力は、平成14 年に土木学会が取りまとめた津波評価技術によって、福島第一原発及び福島第二原発における想定津波の最大波高を計算し、福島第一原発で小名浜港工事基準面から5.4〜5.7m、福島第二原発で5.1〜5.2m という値を得て、それなりの対策を立てた。その後、推本の長期評価の中で、福島県沖でも津波地震の発生を否定できないという見解が出されたことを受けて、平成20 年5 月から6月にかけて、明治三陸地震クラスの地震が福島県沖で発生したという想定で津波の波高を計算したところ、福島第一原発の敷地内で9.3〜15.7m という極めて高い数値を得た。さらに、同年10 月頃にも、別の専門家の貞観津波シミュレーションに関する論文を参考に、津波の波高を試算したところ、福島第一原発で8.6〜9.2m、福島第二原発で7.7〜8.0mというやはり高い数値を得た。
しかし、東京電力の幹部は、平成14 年の長期評価による福島県沖を含む日本海溝付近の地震予測にしても、新しい貞観津波シミュレーション研究にしても、単に可能性を指摘しているだけで、実際にはそのような津波は来ないだろうと考えた。
そして、すぐに新たな津波対策に取り組むのではなく、土木学会に検討を依頼するとともに、福島県沿岸部の津波堆積物調査を行う方針を決めるだけにとどめた。
また、東京電力は、平成21 年9 月、平成22 年5 月、平成23 年3 月7 日(東日本大震災が発生した同月11 日の四日前)の3 回にわたって、保安院の求めに応じて前記の津波の試算結果を報告するなどしたが、保安院も東京電力も津波発生に対し切迫感を抱いていなかったことから、積極的な津波対策を急ごうとする行動につながらず、平成14 年の津波想定に対する対策のままとどめおいた。
この時期に、推本地震調査委員会は、貞観津波研究の進展等を踏まえて、平成23年10 月に発表する予定で、新たな「長期評価」の報告書をまとめつつあった。そのことを知った東京電力は、同年3 月3 日文部科学省の推本事務局に対し、「貞観三陸沖地震の震源はまだ特定できていないと読めるようにしてほしい、貞観三陸沖地震が繰り返し発生しているかのように読めるので表現を工夫してほしい」等の要請をした。この行為は、国の機関による地震・津波予測の結果を真摯に受け止めるというより、貞観津波級の大津波への対策を迫られないようにしようとか、津波対策の不備を問われないようにしようとするものだったとの疑いを禁じ得ない。
以上のような東京電力の対応を追ってみると、同社には原発プラントに致命的な打撃を与えるおそれのある大津波に対する緊迫感と想像力が欠けていたと言わざるを得ない。そして、そのことが深刻な原発事故を生じさせ、また、被害の拡大を防ぐ対策が不十分であったことの重要な背景要因の一つであったと言えるであろう。
(6)政府の危機管理態勢の問題点
平成11 年の株式会社ジェー・シー・オー核燃料加工施設における臨界事故(以下「JCO 臨界事故」という。)を受けて、同年、原子力災害に対する対策の強化を図ることにより、原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護することを目的に、原災法が制定された。JCO 臨界事故の教訓から、同法では、原子力災害が発生した場合、現地に現地対策本部を設置することとし、また、内閣総理大臣から権限の委任を受けた現地対策本部長が中心となって事態の対応に当たることとされた。同法に基づいて作成された原災マニュアルも、現地対策本部が中心となって事態の対応に当たることを前提としていた。
実際、今回のケースでも原災マニュアルに沿って、災害発生とともに現地対策本部を機能させるべく、現地対策本部長となる池田元久経済産業副大臣を始めとする現地対策本部の主要メンバーや東京電力の武藤栄副社長などが現地へ参集した。しかしながら、拠点となるオフサイトセンターの通信設備のほとんどが地震により使用できず、現地対策本部は司令センターとしての機能を十分果たすことができなかった。
このため、東京に設置された原災本部(本部長は内閣総理大臣)が現地対策本部の担うべき業務を含め、災害対策の前面に立たざるを得なくなった。その際、関係省庁の幹部職員が参集した官邸地下の危機管理センターの機能が活用されずに、官邸5 階を中心に、菅総理を中心として重要案件の決定が行われた。しかも、自らが積極的に情報収集に当たったり、事故現場へ視察に赴いたりするなど菅総理自身が前面に出た形で原発事故への初期対応が展開された。
官邸5階が一種の司令センターとなったことについて、当委員会によるヒアリングにおいて、菅総理は「平時に想定していたシステムが動かず、官邸が主導せざるを得なかったが、官邸5 階には原子力安全委員会の班目委員長や保安院の幹部がおり、その都度意見を聴取して対応していたので、実質的には問題がなかった」旨述べている。しかし、自身が工学部の出身で原子力に「土地鑑」(当委員会によるヒアリングの際の発言)があると自負していた菅総理は、地震・津波被害の対応に関しては官邸地下の緊急参集チームの伊藤危機管理監らから必要に応じ報告を受けて事態の対応に当たっていたのに対して、原子力災害対策については、官邸地下危機管理センターの機能を活用して組織的に事態の収拾に当たろうとはしなかった。SPEEDI を所管する文部科学省幹部は官邸5 階の意思決定メンバーに加わっていなかったことなどから、SPEEDI の存在を知った上で、その活用可能性について検討する契機を失したことなどは、その弊害の一つである。
今回、原災マニュアルに規定のない官邸5階が一種の司令センターとなり、また、菅総理が前面に出た形で事故対応に当たった背景には、現地対策本部が本来的な役割を果たせなかったこと、官邸による情報集約態勢や安全委員会による助言機能が十分ではなかったことなどの事情があった。しかしながら、内閣総理大臣は、政府の各機関・部局に情報収集とその対応策を任せ、専門部署から上がる重要事項に関してのみ選択肢を出させた上で適切な最終決断を行うというのがその本来の役割である。自らが、当事者として現場介入することは現場を混乱させるとともに、重要判断の機会を失し、あるいは判断を誤る結果を生むことにもつながりかねず、弊害の方が大きいと言うべきであろう。
今回の事態を教訓に、原子力事故と地震・津波災害との複合災害の発生を想定した原災マニュアルの見直しを含め、原子力災害発生時の危機管理態勢の再構築を早急に図る必要がある。その検討に当たっては、オフサイトセンターの強化という観点に加えて、そもそも現地対策本部に関係機関が参集して事故対処に当たるという枠組みでは対応できない事態が発生した場合に、どのような態勢で対応に当たるべきかについても具体的に検討し、必要な態勢を構築しておく必要がある。
(7)広報の問題点とリスクコミュニケーション
広範囲に深刻な影響を与え、しかも刻々と事態が変化する原子力災害が発生した場合、関係機関による国内外への情報提供の在り方は極めて重要である。情報発信の手段は、記者会見やホームページなど多様であるが、行政や専門家の判断を一方的に伝えることをリスクメッセージという。しかし、原子力災害の場合の情報発信においては、一般の国民にとって日常の生活とは無縁の高度な科学技術情報や、放射線・放射能の情報発信が伴うため、一方的なリスクメッセージは、かえって国民の間に混乱と不信を生じさせるおそれがある。国民、特に周辺住民にとってどのような情報が必要とされているか、発信した災害情報が周辺住民や国民にどのように受け止められて(解読されて)いるかなどのフィードバックを活用した災害情報発信が望まれる。
既述のとおり、今回の事故において、事故発生後の政府の国民に対する情報の提供の仕方には、避難を余儀なくされた周辺住民や国民の立場からは、真実を迅速・正確に伝えていないのではないか、との疑問や疑いを生じさせかねないものが多く見られた。周辺住民の避難にとって重要な放射性物質の拡散状況とその予測についての情報提供方法、炉心の状態(特に炉心溶融)や福島第一原発3 号機の危機的な状態等に関する情報提供方法、また、放射線の人体への影響について、頻繁に「直ちに人体に影響を及ぼすものではない。」といった分かりにくい説明が繰り返されたことなどである。
このように、どのような事情があったにせよ、急ぐべき情報の伝達や公表が遅れたり、プレス発表を控えたり、分かりやすい説明が十分になされないなどの問題が重なったことで、周辺住民による適切な自主判断を妨げ、加えて「政府や東京電力は何か隠しているのではないか」などの国民の疑惑や不信を招いてしまい、非常災害時のリスクコミュニケーションの在り方として適切なものではなかった。
広報の基本原則は、事実を迅速に、正確に、かつ分かりやすく伝えるということにある。非常災害時においてもこの原則を貫くことが、結果として周辺住民による適切な自主判断を助け、国民にいたずらな不安感や混乱を生じさせたりしないために肝要である。もっとも、「迅速さ」と「正確さ」は、時に相反する場合がある。その場合、「正確さ」の確認にとらわれて「迅速さ」を欠くことは、かえって国民の不安や不信を招くおそれがあることに留意すべきである。情報が入らず、正確な広報ができない事態が生じた場合には、そのことをありのままに伝えることも必要であり、かつ重要である。
さらに、「分かりやすさ」という観点から見た場合、評価的事実の広報については、特に配慮が必要である。広報の対象となる事実としては、既発ないし既知の単純な事実(例えば、原子炉建屋で爆発が起こった、汚染水が海洋へ漏出した等)だけでなく、様々な既知の事実から推論される評価的事実(例えば、炉心溶融、放射線の人体への影響等)もある。このような評価的事実については、よほど丁寧に説明しないと、国民の理解を得ることは難しい場合が少なくない。評価的事実について、情報不足や事象の不確実性のために確定的なことが言えないこともあろうかと思われるが、そのような場合であってもその旨をきちんと説明した上で、可能な限り迅速に広報することが望まれる。
原子力災害のみならず、あらゆる緊急事態の際にも言えることだが、国民と政府機関との信頼関係を構築し、社会に混乱や不信を引き起こさない適切な情報発信をしていくためには、関係者間でリスクに関する情報や意見を相互に交換して信頼関係を構築しつつ合意形成を図るというリスクコミュニケーションの視点を取り入れる必要がある。今回、複合災害の発生という混乱状況の中で、前記のとおり、保安院を含む政府広報にはリスクコミュニケーションの観点から多くの問題点が見られた。緊急時における、迅速かつ正確で、しかも分かりやすく、誤解を生まないような国民への情報提供の在り方について、しかるべき組織を設置して政府として検討を行うことが必要である。加えて、広報の仕方によっては、国民にいたずらに不安を与えかねないこともあることから、非常時・緊急時において広報担当の官房長官に的確な助言をすることのできるクライシスコミニュケーションの専門家を配置するなどの検討が必要である。
(8)国民の命に関わる安全文化の重要性
原子力発電分野おける安全文化とは、「原子力発電所の安全の問題には、その重要性に相応しい注意が最優先で必ず払われなければならないとする組織や個人の特性と姿勢の総体」のことを言う。これは、IAEA の国際原子力安全諮問グループ(INSAG)が「チェルノブイリ事故の事故後検討会議の概要報告書」(1986年)において初めて提唱した考え方で、INSAG のその後の報告書において、施設の安全確保のための基本原則の一つとされている。その考え方の核心は、「原子力の安全問題に、その重要性にふさわしい注意が必ず最優先で払われるようにするために、組織や個人が備えるべき統合された認識や気質であり、態度である。」という点にある。
一般に、事故は単一のエラーや故障だけで起こるのは極めてまれで、多くの要因が重なり合う形で起こる。しかも、それらの不安全要因は、事故が起こる前から組織やシステムに内在している場合が多く、事故からは時間的にも空間的にもかけ離れた、事業の意思決定者(経営陣や管理層)あるいは作業の規則やマニュアルを決める者たちによって作られる場合もある。そうした事故を、世界の事故調査制度に大きな理論的影響を与えているJ.リーズンは「組織事故」(organizational accident)と呼んでいる。
組織事故を発現させる不安全要因は、事業者だけでなく、規制当局である行政組織が作り出す場合もある。それらの不安全要因が作られやすいかどうかは、その組織の安全文化のレベルが関わっている。
そうした安全文化は、事業者においては経営陣や管理層、規制当局においては幹部や担当官の考え方、意思決定の仕方、行動に染みついた形(あるいは習慣化した形)で存在する。そうした安全文化のレベルを判断する具体的なチェック項目を、J.リーズンの所説などを参考にして作成・例示すると以下のとおりである。
(鄯)事業者のレベル
① 安全を事業重要目標(mission)として公式に表明しているか。
② 経営陣は安全に関わる意思決定をゆるぎなく下せるか。
③ 財務状況や営業成績に関係なく、安全を独立して守るポリシーが確立されているか。
④ 不安全要因やリスクが存在している時に、それらへの対処への判断が甘くなったり、外見を取りつくろうだけだったりしていないか。
⑤ タテ割り組織の壁が厚く、組織内のヨコの連携やリスク情報の共有が阻害されていないか。
⑥ 組織の本部と現場のコミュニケーションがしばしば切れていることはないか。
⑦ 複雑なシステムの運用やトラブル発生時の対処について、システム全体を理解し対処することのできる人物がしかるべきポジションにいるか。
⑧ 事故が発生した時、その対処をめぐって、組織が機能不全に陥ることはないか。
⑨ 経営陣の判断・指示と現場の判断・行動に矛盾は生じないか。
⑩ 経営陣は安全への取組や周辺住民の避難対策について、偽りのない情報発信をしているか。
(鄱)規制当局のレベル
① 原子力政策の推進と規制業務が分離されているか。
② 物的・人的資源の事情に関わりなく、安全の確保を使命とする意思がゆるぎないものになっているか。
③ 政治的又は行政的事情で完全な安全対策が取れない場合、その現状や次善の策につき、住民や一般国民に情報を開示する姿勢が確立されているか。
④ 複雑な技術システムについて、事業者に劣らない専門的知見・理解力を持ったスタッフを抱えているか。
⑤ 監督官は十分な技術的理解力と調査能力を持って、現場で任務を果たしているか。
⑥技術的に枝葉末節のチェックに追われ、安全のための大局を見る余裕のない業務の在り方になっていないか。
また、安全を確保するためには、これらの組織的観点に加えて、組織に属する各個人の役割と責務も重要であり、各個人が鋭敏なリスク感知能力を身に付け、それぞれが感知したリスクや問題意識を組織内で自由に表明し、それらが上層部にまで共有されて適切な対応がなされることが重要である。
当委員会の調査・検証の結果に鑑みると、事業者である東京電力については、福島第一原発が想定を超える津波に襲われるリスクについて、結果として十分な対策を講じていなかったこと、社員が専門分野ごとに縦割り的になっており、今回の事故対処に当たっても、事態を総合的に見渡して必要な業務を行うという視点が十分でなかったこと、事故対処に関わる重要な措置が幹部社員の指示を仰ぐことなく行われるなど、情報共有体制に不備があったことなど、前記チェック項目の幾つかについて、条件を満たしているとは言い難い状況が見受けられた。また、規制当局である保安院については、モニタリング結果やSPEEDI 情報を公表して避難に役立てようとする発想が全くなく、炉心溶融をめぐる広報にも不適切な点があるなど、情報開示の姿勢に問題があったこと、今回の事故対処に当たって、現場の状況をよく理解して官邸等に的確に説明する能力に欠けるところがあったこと、福島第一原発においては保安検査官が積極的に役割を果たしたとは言い難いこと、短期的業務に追われ、態勢の不十分さもあって、中長期的課題に十分取り組まなかったことなど、前記チェック項目の多くについて、条件を満たしているとは言い難い状況が見受けられた。このように、事業者及び規制当局のいずれについても、安全文化が十分に定着しているとは言い難い状況にあった。
一旦事故が起きると、重大な事態が生じる原子力発電事業においては、安全文化の確立は国民の命に関わる問題である。我が国において、安全文化が十分に定着しているとは言い難い状況にあったことに鑑みると、今回の大災害の発生を踏まえ、事業者や規制当局、関係団体、審議会関係者などおよそあらゆる原発関係者には、安全文化の再構築を図ることを強く求めたい。
(9)事故原因・被害の全容を解明する調査継続の必要性
a 引き続き事故原因の解明が必要
当委員会は、本最終報告の提出をもって任務を終えることとなるが、前記1(1)bのとおり、原子炉建屋内に立ち入った現地調査ができないことや時間的制約等のために、福島第一原発の主要施設の損傷が生じた箇所、その程度、時間的経緯を始めとする被害状況の詳細、放射性物質の漏出経緯、原子炉建屋爆発の原因等について、いまだに解明できていない点も多々存在する。
また、住民等の健康への影響、農畜水産物等や空気・土壌・水等の汚染などは、今後も継続的な調査・検証を要する問題であるが、現時点までの調査・検証にとどめざるを得なかった。さらに、原子力損害賠償の在り方や除染等のように、生じた損害の修復の問題であり、かつ、今後長期間の対応を要すると見込まれることから、当委員会の調査・検証の対象とはしなかったものの、被害者や被災地にとって極めて重要で、社会的関心の高い問題もある。
国、電力事業者、原子力発電プラントメーカー、研究機関、関連学会といったおよそ原子力発電に関わる関係者(関係組織)は、今回の事故の検証及び事実解明を積極的に担うべき立場にあり、こうした未解明の諸事項について、それぞれの立場で包括的かつ徹底した調査・検証を継続するべきである。特に国は、当委員会や国会に設置された東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の活動が終わったことをもって、福島原発災害に関する事故調査・検証を終えたとするのでなく、引き続き事故原因の究明に主導的に取り組むべきである。とりわけ、放射線レベルが下がった段階での原子炉建屋内の詳細な実地検証(地震動の影響の検証も含む。)は必ず行うべき作業である。
b 被害の全容を明らかにするための調査が必要
今回の原発事故は、実に様々な深刻な被害を広範囲にわたる地域にもたらした。放射性物質の高濃度汚染地域の住民は長期にわたる避難生活や移住(転居)を強いられ、災害関連死、自殺、家族の分離、農業(果樹園経営を含む。)・畜産業・商業・流通業・食品加工業・町工場等の続行不能や勤務先の喪失等の事態に追い込まれた。このような不安定な生活によるストレスで、体調を崩す中高年層の人々が少なくなく、いわゆる災害関連死で亡くなる人が相次いだ。
さらに、医療・福祉分野では、原子力発電所周辺地域における医療機関と医師の大幅な減少によって、住民が診療を受けるのが困難になったこと、使用できなくなった福祉施設が少なくないこと等の被害が出たほか、本最終報告で詳述したように、重症の老人患者の多かった大熊町の双葉病院で、避難バスによる長時間かけての無理な行程などから、死亡者が続出したという悲劇も発生した。
農業関係では、農家の人々が農地の喪失、畜産業の廃業などによって、転職を迫られるという困難に直面した。汚染による生産物の廃棄や風評被害による生産物の値崩れ等の被害も深刻な状況になっている。各種自営業者が店を閉じたり、町工場を閉じたりした後の生活設計も苛酷なものとなっている。
放射能汚染地域では、学校や幼稚園・保育園が長期にわたって休校・休園に追い込まれ、遠く離れた別の学校などを利用して授業をしなければならなくなった。子どもたちにとっては、屋外で遊べないという時期が長く続き、心身両面で発達にゆがみが生じかねない状態が続いた。
除染対策は費用の点でも除染効果の点でも困難な問題が多く、混迷が続いている。高濃度汚染地域の除染はできないとされ、復帰できなくなった「故郷喪失」の住民たちがこれからどうコミュニティを再生し、どう生きていくのか、見通しは立っていない。
原発事故の被害を分析するに当たって重要なのは、総計的な数量で概況を捉えるだけでなく、一人一人の人間の生命と尊厳がどのように脅かされ、生活と人生がいかにゆがめられたり破壊されたりしたのか、放射能汚染によって地域はどのように壊され、どこが再生不能になったのかといった状況について、人間の被害の全体像とその詳細を可能な限り具体的に捉えるという点である。こうした被害の全体像とその詳細を記録するという意味での調査は、現時点では行われていない。また、行政機関も、所管の問題について、必要な範囲で被害状況を調べて対処しているが、被害実態を直視してこれを記録するという意味での調査は行っていない。
未曽有の原子力災害を経験した我が国としてなすべきことは、「人間の被害」の全容について、専門分野別の学術調査と膨大な数の関係者・被害者の証言記録の収集による総合的な調査を行ってこれらを記録にまとめ、被害者の救済・支援復興事業が十分かどうかを検証するとともに、原発事故がもたらす被害がいかに深く広いものであるか、その詳細な事実を未来への教訓として後世に伝えることであろう。我が国にはこれまでの大災害による「人間の被害」のリアリティに満ちた総合的な調査記録が存在するが(25)、福島原発災害についても、これに関わる総合的な調査の結果を踏まえて記された「人間の被害」の全容を教訓として後世に伝えることは、国家的な責務であると当委員会は考える。「人間の被害」の調査には、様々な学問分野の研究者の参加と多くの費用と時間が必要となるだろうが、国が率先して自治体、研究機関、民間団体等の協力を得て調査態勢を構築するとともに、調査の実施についても必要な支援を行うことを求めたい。
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25 自然災害による人間の被害の全容を詳細にまとめたものとして、例えば、大正12年の関東大震災(死者・行方不明者約10万5,000人)に関する「大正大震火災誌」(改造社、大正13年)や昭和34年の伊勢湾台風(死者・行方不明者5,098人)に関する名古屋市編「伊勢湾台風災害誌」(昭和36年)などがある。また、自然災害に関するものではないが、総合的な調査の方法や記録のまとめ方として大いに参考になるものとして、戦争被害を扱った昭和20年の広島・長崎の原爆被害(死者・