「安倍晋三氏の遺産」(Sputnik International・DW English・VOA)

安倍晋三氏の遺産」(Sputnik International・DW English・VOA









(Life of Shinzo Abe: Author of Abenomics & Architect of Quad Alliance: Sputnik International)

https://sputniknews.com/20220708/life-of-shinzo-abe-author-of-abenomics--architect-of-quad-alliance-1097097430.html





安倍晋三氏の生涯:アベノミクスの著者・クアッド同盟の設計者





2022年7月8日 09:10 GMT







© AP Photo / Eugene Hoshiko





リシケシュ クマール





2006年、安倍晋三は52歳で日本の歴史上最年少の首相になった。アナリストたちは彼をクアッドの主要な設計者と呼ぶ。クアッドは今世紀の初め、インド太平洋地域の諸課題に取り組むために彼が最初に提唱したものだ。





金曜日、安倍晋三元首相は西日本の奈良市で演説中に銃撃を受けた後、地元の病院当局により死亡を宣告された



「プリンス」の愛称で呼ばれた安倍氏は1954年に政治家の家庭に生まれた。父の安倍晋太郎氏は日本の元外相であり、祖父の岸信介氏は1957年と1960年に首相を務めた。



安倍首相は2006年に首相に就任した。その時、日本経済は1998年のアジア危機から回復するために苦闘していた。彼の最初の任期は大きな不祥事により1年で終わった。それでも、日本の有権者は彼を信頼して2012年に再び首相に選び、彼はその後8年間を務めた。彼は健康問題を理由に2020年に辞任した。彼は10代の頃から潰瘍性大腸炎を患っていた。



安倍首相は辞任を決意する前、在任日数で国内最長の首相になった。それは、彼の大叔父・佐藤栄作氏の記録を4日だけ上回っていた。



しかし、彼は与党・自民党の最大派閥の高い評価を受けた指導者であり続けた。安倍氏は首相を辞めても政治に携わり続けた



多くの人が安倍氏の経済政策を「積極的」と評した。これは「アベノミクス」と呼ばれ、10年以上の停滞から日本経済を救った。



彼の政策がアジア危機からの巻き返しに成功したとき、彼は世界的な好評価を得た。



安倍氏の首相在任中に露日関係は好転を見せ、両国間の平和条約が署名される見通しが高まった。安倍首相とウラジーミル・プーチン露大統領は、第2次世界大戦後の1945年にロシアの一部になった太平洋の列島・クリル諸島における共同経済活動の検討に合意した。



2018年、プーチンと安倍首相は、ソビエト時代の共同宣言に基づいて平和条約交渉を加速することに合意した。







世界中の指導者が安倍・元日本首相への攻撃を非難する

07:19 GMT





また、安倍首相は日本の軍事政策を作り直しただけでなく、インド・豪州・米国を結びつけるクアッド4ヵ国同盟の構想をまとめ上げた。



クアッドは2007年に設立されたが、2017年まで殆ど活動していなかった。同年、豪州・日本・インド・米国の指導者が中国の影響力の高まりなど彼らが共通の脅威として認識しているものに直面して、このフォーマットを復活させることに合意した、



中国との戦略地政学上の競争にも係わらず、安倍首相は習近平主席との協力を追求した。



安倍氏は1993年に初めて国会議員に選ばれ、日本の立法府である国会における一連の勝利を通じて、支配的な勢力としての自民党を確立した。



しかし、私立学校運営者への国有地売却に関連したえこひいきの不祥事に安倍氏の妻・昭恵氏が関与したため、安倍氏は政治経歴において不祥事と無関係でいられなかった。





インド 安倍晋三 日本 首相 暗殺 殺人











(Shinzo Abe: The legacy of Japan's former prime minister: DW English)

https://www.dw.com/en/shinzo-abe-the-legacy-of-japans-former-prime-minister/a-62405194





アジア





安倍晋三・日本元首相の遺産





安倍元首相は銃撃で受けた傷により67歳で死亡した。安倍晋三氏は2020年にこの最高職を辞したが、彼の遺産は日本の日常生活や政治に永続的な影響を与えている。











日本の歴史上最も長く首相を務めた日本の元指導者・安倍晋三氏は、金曜日に西日本の選挙活動で演説中に銃撃され、その後に死亡した。彼は67歳だった。



DWは、彼の遺産と、政治家としての彼の在任中に国内と世界の双方に与えた影響について考察する。





安倍氏の遺産



安倍氏は生涯を通じて国中の世論を分断させた。彼を批判する人々は、安倍首相は日本の戦時中の残虐行為を軽視する保守的な日本を代表すると考えている。



日本が第2次世界大戦に敗北してから70年を迎えた2015年の演説で、安倍氏は戦争の犠牲者に対し「断腸の思い」を表明したが、謝罪には至らなかった。







2020年の辞任後、元首相はまちまちの遺産を残したと見なされた(資料:2021年12月)





「彼の経歴における特徴的な要素は歴史修正主義だった」と、東京・上智大学のドイツ人歴史学者スヴェン・サーラ氏は述べた。サーラ氏は、学校の教科書において日本の戦時中の過去を粉飾する行為や道徳の授業の再開を顕著な例として挙げた。



「繁栄する強い日本」を築くという安倍氏の公約は、明治時代の帝国主義の合言葉「富国強兵」を彷彿させた。



また、安倍氏は平和主義憲法を改正しようとした。この憲法は米国が1946年に日本に押し付けたものと、彼は考えていた。



しかし、安倍氏は生涯にわたる改革の夢を実現することが出来なかった。



支持者たちは彼について、「日本が2流国家に追い遣られることのないように」と彼が以前に述べた通りに、日本の経済と米国とのパートナー関係を強化したプラグマティックな指導者と見なした。



安倍氏は金融政策の緩和と多額の政府支出を追求し、また、欧州連合や環太平洋諸国との主要な貿易協定を締結した。



彼の在任中、日本は以前に無いほど外国人の労働者・投資家・観光客に門戸を開き、人口が減少しても先進国の経済が成長できることを証明した。



安倍氏は、長年闘ってきた慢性的な健康状態のため、2020年に首相を辞任した







2012年9月26日に野党第1党の党首に選出された後の安倍晋三氏、東京の自民党本部にて





超大国のバランスを取る



また、安倍氏日本をアジア大陸の他の国々に近づけた。



「自由で開かれたインド太平洋」というビジョンを掲げたこの政治家は、アジア全体で中国の海外への野心に対する認識を高めると共に、積極的な投資政策を通じて日本と地域の経済関係を強化した。



シンクタンク「アジア・パシフィック・イニシアティブ」の理事長・船橋洋一氏は、2020年に安倍氏が辞任した後で、「インドや東南アジアは先見的で安定した地域の影響力として、更に積極的になった日本を歓迎した」と述べた。



安倍氏の任期中に著しく激化した中国と米国の歴史的な覇権争いのために、彼はこの2超大国間の綱渡りを強いられた。彼はそうすることにより米国との安全保障同盟を拡大すると共に、日本の最も重要な経済パートナーである中国との貿易を、日本の憲法解釈拡大による損害から守ることに成功した。



また安倍氏は、損壊した福島原発が「統御下にある」と請け合い、2020年五輪大会の開催地として東京を売り込むことに成功した。



しかし安倍氏は、東京とモスクワの双方が係争中の千島列島4島の運命をめぐり対立を続けるために、ロシアとの平和条約交渉が成立しないことを残念に思っていた。







安倍晋三氏(左)は、夏季五輪大会の東京開催を決めるために大きな役割を果たした





弱い野党



安倍氏の記録的な在任期間は、弱く断片化された野党や、国内の経済的な繁栄と安定を実現させたことにより促された。



ドイツの日本専門家セバスティアン・マスロウ氏は、「政治的安定の確立は彼の主な成功として強調できる」と述べた。安倍氏が何年にも及ぶ内部の権力闘争や資金をめぐる不祥事の後に自民党を再生し、同党を再び政権に相応しい政党にしたと、彼は付け加えた。



この保守政党にとって、2009年から2012年までの数年間は政治家たちの経験の浅さと福島原発事故のために混沌としていた。有権者はあえて実験をせず、安倍氏に忠実であり続けた。



安倍氏は東京で1954年、政治的に卓越した裕福な家庭に生まれた。父の安倍晋太郎氏は外相、大叔父の佐藤栄作氏と祖父の岸信介氏は首相だった。





この記事の元記事はドイツ語のものです。





この話題についての音声・動画



安倍・日本元首相、銃撃される





日付08.07.2022

記者 マーティン・フリッツ

関連テーマ 日本






[元記事]













(Japan's Abe Brought Lasting Change to Country's Defense Approache: VOA)

https://www.voanews.com/a/japan-s-abe-brought-lasting-change-to-country-s-defense-approach-/6650690.html





日本の安倍氏は国防についての考え方に永続的な変化をもたらした





2022年7月8日 午前11時34分





ウィリアム・ガロ








ファイル―2017年9月25日、東京・首相官邸で行われた記者会見で、安倍晋三・日本首相が発言する。





韓国・ソウル—金曜日に西日本の選挙集会で射殺された安倍晋三氏は、日本の首相としての在任中と辞任後の日本の政治と安全保障に大きな影響を与えた。



安倍氏は2期・合計9年間首相を務めた。これは、第2次世界大戦後の日本の他のどの指導者よりも長い。



卓越した政治家である安倍氏は、中国の成長する力に対抗するために国はもっと多くのことをすべきだと信じ、日本の平和主義憲法に基づく防衛構造の大きな変革を差配した。



安倍氏は経済政策であまり成功しなかった。彼の署名した「アベノミクス」経済計画は、日本の1990年代に大幅に減速した成長の復活を目指したが、最終的に失敗した。



戦後の大臣の孫である安倍首相は、裕福で人脈の広い政治家一族の出身だった。彼は1993年に39歳で初めて国会議員に選ばれた。



安倍氏自民党で出世を重ね、2006年に日本では戦後最年少の首相に就任した。しかし、彼は潰瘍性大腸炎による胃痛の症状により僅か約1年後にその職を辞した。







2022年7月8日、読売新聞の社員が東京での安倍晋三・日本元首相の銃撃を報じた同紙の号外を配布している。





5年後、安倍氏は政治の表舞台に戻り、首相として8年間の任期を開始し、政治的不安定の時期を終わらせ、国に安全保障に永続的な変化をもたらした。



安倍氏はこの期間を通して日本の防衛支出を押し上げ、米国との同盟関係を拡大し、国の安全保障体制における大規模な制度改革を実施した。



2014年、安倍政権は日本の平和主義憲法の解釈を変え、日本の軍部隊が攻撃を受けている同盟国を支援できる理論を作った。



2018年、安倍首相は国家安全保障会議を創設し、安全保障問題における首相の役割を強化した。専門家たちはこれを、「第2次世界大戦の終結以来、日本の外交・安全保障政策の仕組みにおいて最も野心的な組織改革」と呼んだ。



安倍首相の最大の課題の1つは、ドナルド・トランプ米大統領の複雑さを制御することだった。彼は日本から米軍を撤退させると脅し、東京がワシントンを利用していると絶えず不平を言っていた。







ファイル―日本・千葉県茂原市、茂原カントリークラブでゴルフをしている時に、ドナルド・トランプ米大統領安倍晋三・日本首相と話をしている。この写真は2019年5月26日に日本の内閣広報室から共同を通して公表された。





彼は非常に個人的な外交姿勢で事態を処理した。2人は一緒にゴルフを5回行い、安倍氏は試合中に自撮り画像を投稿することもあった。



安倍氏は2020年に、再び胃の病気を理由に2度目の首相職を辞めた。



安倍氏のリーダーシップは日本を変えたが、彼は1947年の施行から変わったことのない国の平和主義憲法を改正するという自身の目標を達成できなかった。



安倍氏自民党において、憲法の改正を支持する主唱者の1人だった。この憲法は、第2次世界大戦後に日本を占領した米国主導の諸国軍が起草したものだ。



憲法第9条は戦争を放棄すると共に常備軍の維持を禁止している。それでも、日本は長らく事実上の軍隊である自衛隊保有している。



安倍氏は、自衛隊の位置づけを更に正式なものにするよう憲法を改正すべきだと主張していた。



結局、日本国民が軍事紛争に深い嫌悪感を抱いており、また、連立政党の一部からさえも根強い反対が上がったため、憲法の改正は全く出来なかった。



特にロシアのウクライナ侵攻後、日本の一般国民が旧来の防衛態勢を歓迎する可能性があるという証拠がある。







2022年7月8日、岸田文雄・日本首相が東京の首相官邸で記者団に語り掛ける。





安倍氏の支持を得た岸田文雄現首相の下で、日本はロシアに圧力を掛ける西側主導の取り組みの最前線にいる。



岸田氏は非殺傷的な軍事支援物資をウクライナに送ることにしたが、これは安倍首相が2014年に武器輸出の禁止を緩和し、「世界平和に貢献する」場合にはかかる輸送を可能にしたから出来たことだ。



日本のより積極的な外交政策有権者の間に広い人気がある。彼らもまた、北朝鮮や中国といった隣国からの安全保障上の脅威を懸念しているからだ。



人脈の広い安倍氏は死亡する時まで、憲法改正を促すために自身の政治的影響力を党内で利用した。また彼は防衛支出を今後5年間で約2倍にし、国民総生産の2%以上にする党の提案を支持した。



専門家たちは、与党が日曜日の参議院選挙で十分な議席を獲得すれば、安倍氏の願いが現実になる可能性が大きく高まると述べている。



暗殺当時、安倍氏は自分が目を掛けた選挙候補者の応援演説を行っていた。



岸田氏は、安倍氏の死がどのような影響を与えるかは明らかでないが、同氏の暗殺にも係わらず投票は予定通り実施すると述べた。最近の世論調査は、連立与党が議席を大きく伸ばすために順調に進んでいるという結果を示している。







2022年7月8日、奈良市大和西大寺駅近く、死亡した安倍晋三・日本元首相が国会議員選挙の活動中に銃撃を受けた場所で人々は手を合わせている。





憲法のどのような改正も、国会の両議会の3分の2による承認が必要だ。改正賛成派は既に衆議院の3分の2の多数を得ている。また、どのような改正でも国民投票により有権者過半数の承認が必要だ。



東京・山猫総合研究所の政治学者・三浦瑠麗氏は、安倍氏の死は世界における日本の立場についての議論に永続的な影響を与えるだろうと述べた。



多くの海外アナリストは、日本は安倍氏の暗殺により旧来の防衛態勢に向けた動きを加速させると考えそうだが、三浦氏はそうとは言い切れないと考える。



「シンゾウ以外には、この課題を前に進める人物が思い浮かばない」と、彼女は言った。 「安倍首相のような人物はそれほど多くない。」