南アフリカのツツ元大主教が死去、90歳 反アパルトヘイト運動の英雄 (BBC NEWS JAPAN)
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南アフリカのツツ元大主教が死去、90歳 反アパルトヘイト運動の英雄
2021年12月27日
Reuters
南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)政策に反対し、その功績でノーベル平和賞を受賞したデズモンド・ツツ元大主教が26日、亡くなった。90歳だった。
同国のシリル・ラマポーザ大統領は、ツツ氏は後世に「解放された南アフリカ」を残す手助けをしたと追悼した。エリザベス英女王やバラク・オバマ元米大統領も追悼を寄せた。
南アフリカでは1948~1991年、大多数の黒人の国民を少数の白人政府が治めるアパルトヘイト政策が敷かれていた。ツツ氏は、反アパルトヘイト指導者で同国初の黒人大統領となった故ネルソン・マンデラ氏と同世代で、同じくこの政策の廃止に尽力。1984年にノーベル平和賞を授与された。
同国のイギリス国教会(聖公会)は、1週間の追悼期間を設ける予定だと述べた。1月1日の公式葬の前に2日間、遺体を公開して弔問の機会を作るとしている。
南アでは先月、アパルトヘイト時代最後の大統領だったFW・デクラーク氏が85歳で亡くなったばかり。
ラマポーザ大統領は声明で、ツツ元大主教は「傑出した精神的指導者であり、反アパルトヘイト活動家であり、世界的な人権活動家だった」と追悼した。
また「比類のない愛国者だった。『行ないのない信仰はむなしい』という聖書の知見に意味を与えてくれた、信念と実践(じっせん)の人だった」と故人を振り返った。
【追悼】 デズモンド・ツツ元大主教 反アパルトヘイト運動の先頭に
「たぐいまれなる知性と誠意、そしてアパルトヘイト勢力に対しては無敵の力の持ち主だった。その一方、抑圧された人、アパルトヘイトの不正義と暴力にさらされた人、そして世界中の抑圧の被害者には、優しい思いやりを抱き、共に嘆き、共感していた」
エリザベス女王は追悼文で、ツツ氏に会うのをいつも楽しみにしていたことや、その大きな優しさとユーモアが好きだったと語った。
「ツツ大主教が亡くなり、南アフリカ国民だけでなく、あの方をとても敬愛していたブリテン島や北アイルランド、そしてイギリス連邦の大勢が悲しむことでしょう」
Getty Images
(左から)ツツ大主教、エリザベス英女王、ネルソン・マンデラ大統領(当時)
ジョー・バイデン米大統領は、「神と国民に本当の意味で仕えた人の逝去を知り、心が痛い」と述べた。
「ツツ氏の偉業は国境を越え、世代を超えて残るだろう」
オバマ氏はツツ氏について、「自分を指導してくれた恩師で、友人で、倫理の指針となる人だった」と振り返った。
「ツツ大主教は南アフリカの解放と正義のために奮闘しただけでなく、世界各地の不正義にも懸念の目を向けていた」
「やんちゃなユーモアを決して失わなかった。同時に、敵対する勢力にも人間性を見出そうとする気持ちを決してなくさなかった。ミシェルと私はツツ氏がいなくなって、とても寂しい」
ネルソン・マンデラ財団は声明で、「国内外の不正と闘ったその貢献に匹敵するのは、解放された未来を人間社会にもたらすにどうしたらいいか考え続けた、その深い思索だけだ」として、「素晴らしい人だった。思想家であり、指導者であり、神のしもべだった」とたたえた。
キリスト教カトリック教会のローマ教皇庁(ヴァチカン)は声明で、「ツツ氏の家族や愛する人々に心からのお悔やみを申し上げます」という教皇フランシスの哀悼の言葉を発表した。
「地元南アフリカで、人種間の平等と和解を推進することによって福音に仕えたツツ大主教の魂を、教皇は、全能なる神の愛の慈悲に委ねます」と、ヴァチカンは述べた。
反アパルトヘイト運動を宗教的に主導
1960年に牧師に任ぜられたツツ氏は、1976~78年にレソトの主教、ヨハネスブルグの主教、そしてソウェトの教区牧師などを歴任。1985年にヨハネスブルグ主教となり、翌年には黒人として初めてケープタウン大主教に任ぜられた。ツツ氏は自らの地位を使い、南アフリカの黒人差別に反対する声を上げる一方、その動機は常に宗教的なもので政治的なものではないと述べていた。
マンデラ氏が南アの初代黒人大統領となった1994年、ツツ氏はアパルトヘイト時代に白人と黒人双方が行った犯罪を調査する「真実和解委員会」の会長に任命された。
また、アパルトヘイト以降に南アフリカの民族多様性を表す「レインボー・ネイション(虹の国)」という言葉を作ったことでも知られる。しかしツツ氏は後年、自分が願ったような統合はできなかったと後悔を吐露している。
「ジ・アーチ(大主教さん)」という愛称で親しまれていたツツ氏は、紫色の聖職服に身を包み、明るいふるまいと笑顔を絶やさないことで知られていた。
公の場で感情をあらわにすることもあった。2010年に南アフリカで開催されたサッカー・ワールドカップ(W杯)の開会式では、笑いながら踊る様子が注目された。
こうした人気の一方で、ツツ氏を快く思わない人々もいた。アパルトヘイト以降、ツツ氏は政権を握った与党・アフリカ民族会議(ANC)を強く批判しており、南アフリカ国民を代表しているとは言えないと述べていた。2011年にANC政権がチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の訪問をキャンセルした時には、ANC政権の崩壊のために祈りたいと警告した。
これに対し、当時の警察庁長官はツツ氏に「家に帰って黙っていろ」、「彼はイエス・キリストの副官ではない」と反発した。
<解説>アンドリュー・ハーディング・アフリカ特派員
南アフリカがたどった長く苦しい自由への旅路、そしてその先の道筋は、デズモンド・ツツ大主教なしには考えられない。
多くの反アパルトヘイト指導者が殺害されたり、亡命を余儀なくされたり、投獄された中、この小柄だが反骨精神を持った聖公会の牧師は、常に現場にいた。
現場から、アパルトヘイト国家の偽善を暴き、被害者をなぐさめ、解放運動の規範を問いただし、白人少数政権を孤立させるためもっと動くようよう西側諸国に迫った。アパルトヘイト政策を貫く政権を時には声高に、ナチスに例えることもあった。
南アフリカに民主主義が訪れると、ツツ氏はその倫理的権威をもって、白人少数政権の犯罪を暴く真実和解委員会の委員長を務めた。後年になると、かつて解放運動を主導したANC政権にも、同じ鋭いまなざしを向けた。
多くの南アフリカ国民が今日、ツツ氏が1人の人間として抱えていた勇気や、倫理的な怒りがいかに明瞭だったかを思い出すだろう。しかしツツ氏をよく知る人たちにとって、ツツ氏は一貫して、希望の声だった。
そしてその希望、その楽観主義こそが、あの人の特徴だった。トレードマークの笑い声と合わせて、世界は今後そうやってデズモンド・ツツ大主教を記憶し、たたえていくのだろう。
(英語記事 Obama joins tributes to 'mentor' Desmond Tutu)
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