日本:1945年に広島の「黒い雨」を浴びた人々がやっと被爆者として認められた (RFI)

日本:1945年に広島の「黒い雨」を浴びた人々がやっと被爆者として認められた (RFI)









(Japon: les irradiés de la «pluie noire» d'Hiroshima en 1945 enfin reconnus comme victimes: RFI)

https://www.rfi.fr/fr/asie-pacifique/20200730-japon-irradi%C3%A9s-1945-victimes-pluie-noire-enfin-reconnus





日本:1945年に広島の「黒い雨」を浴びた人々がやっと被爆者として認められた





発表 2020年7月30日08:15・更新 2020年7月30日08:31







1945年8月6日、米国の核爆弾爆発後の広島

AFP





RFI






広島の裁判所は被爆者の定義について、1945年8月6日の米国による同市の核爆撃により発生した放射性の「黒い雨」と呼ばれるものに当たった人々を含むよう、これを拡大した。その3日後、長崎市が米国の核爆撃を受けた。この広島の裁判所は第二次世界大戦終結から75年目にしてやっと、平均年齢が80歳を超える「黒い雨」の被害者84人に対し、被爆者たちに与えられる医療給付の恩恵を受けられるようにした。





報告 RFI東京特約記者、フレデリック・シャルル







木村権一、被写体の着衣が熱傷により皮膚にめり込んでいる。1945年8月15日頃、広島第一陸軍病院にて。広島の写真、広島平和記念資料館

木村権一氏撮影、広島平和記念資料館の御厚意にて使用。








1957年まで、広島で放射能を浴びた人々は特別な支援の恩恵を何一つ受けなかった。その後、日本政府は爆心地からの近さを考慮して、2kmから3kmの圏内で給付金と医療費無料の制度を創設したが、それより遠くは対象外だ。これは放射能を浴びた人々―ヒバクシャたち―の治療費を削減するためだった。彼らは放射線が原因のガンでゆっくりと死ぬ。放射性の「黒い雨」の被害者たちは被爆者として認められなかった。



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このため、75年を経て広島地方裁判所の高島義行裁判官は、彼らもこの爆弾に関係する病気に罹っており、被爆者に求められる法的条件をも満たしていると明言した。日本政府は今日まで、長崎で被爆した人々を含めて136,682人を被爆者と認定している。



戦後、日本では放射能を浴びた人々は人として扱われず、企業から拒絶された。当時、人々は放射線が伝染するかどうかを心配していた。放射能を浴びた人には登録されていない人が数多くいる。自分が被爆したために差別されることを恐れたのだ。





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広島の爆発後1週間以上後に髪の毛を失った11歳の少女。彼女は爆心地から2 km離れた木造住宅にいた。

PD-USGOV





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