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日本の寂しい天皇制反対派 改元に沸く国内で縮小 (BBC NEWS JAPAN):阿修羅♪

日本の寂しい天皇制反対派 改元に沸く国内で縮小 (BBC NEWS JAPAN):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/19/senkyo260/msg/451.html









https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-48146846





日本の寂しい天皇制反対派 改元に沸く国内で縮小





2019年05月3日





ノッポルン・ウォン・アナン、BBCタイ語







TOSSAPOL CHAISAMRITPOL/BBC THAI

改元にあたり「反天皇制運動連絡会」が4月末に様々な抗議行動を実施したが、世間的な注目は少なかった






天皇の譲位と新天皇の即位、改元という歴史的な変化を目前にした4月末、小規模の集団が東京のはずれに集まった。



天皇の戦争責任を忘れるな」と繰り返しながら、集まった人たちは公園に向かってデモ行進した。



抗議行動に参加した人のほとんどは白髪で、人数は少なかった。



人数は少ないものの、日本の天皇制反対派は、天皇制はもう廃止すべきだという主張を声高に続けている。







TOSSAPOL CHAISAMRITPOL/BBC THAI

新しい支持者を集めるのは大変だという






日本では、皇室は世界最古の世襲王朝だと言われている。神話によると、皇室は天照大神の末裔(まつえい)だとされる。



第2次世界大戦が終わるまで、天皇は「現人神」だと見なされていた。



一方で、反天皇制運動連絡会(反天連)は30年前から、天皇制廃止を求めて活動してきた。



天皇の名の下に日本が1930年代から1940年代にかけて戦った戦争を償うには、天皇制を廃止するしかないという主張だ。



反天連メンバーの「ノムラ」さんはBBCに対して、「戦争はきちんと終わらなかった」と話した。「ノムラ」さんは右翼団体の攻撃を警戒し、記事ではフルネームを使わないという条件で取材に応じた。







AFP

Image caption 昭和天皇終戦後に人間宣言をした






都心にある「反天連」の小さい事務所でノムラさんは、第2次世界大戦中に人道に対する罪を犯した昭和天皇は戦犯だと述べた。



昭和天皇は軍部に強い関心を抱いていた。米英との戦争を恐れたのはただ単に、日本の軍隊が劣っていると知っていたからだ」、「アジアで戦争することにためらいはなかった」とノムラさんは話した。







AFP

上皇陛下は国民から広く敬愛されている






1926年から1989年まで在位した昭和天皇は、日本の敗戦後に神格を否定し人間宣言を発した。



アメリカが起草した日本国憲法の下、日本は天皇を日本国と日本国民統合の「象徴」と位置づけ、立憲君主制国家となった。天皇の政治行為は禁止されている。



戦後にこうした形で天皇制を維持したため、昭和天皇は結局、戦争で果たした役割について責任をとることがないままだったと、ノムラさんは言う。





平和の象徴





昭和天皇の晩年にかけて、天皇制に反対する日本の世論は今より強かった。天皇にゆかりのある場所が左翼過激派の小規模な攻撃を受けることも、たまにあった。



しかし、昭和天皇の長男・明仁さまは、1989年の即位から、4月30日に高齢や健康問題を理由に退位するまでの30年間で、皇室を平和の象徴と位置づけることに成功した。



退位によって上皇陛下となった明仁さまは、父の昭和天皇が「終戦詔書」をラジオで発表したとき(ほとんどの日本人はこの「玉音放送」で初めて天皇の声を聞いた)、11歳だった。



オレゴン州にあるポートランド州立大学のケン・ルオフ教授(日本研究所所長)は、先代天皇にとって「一番の課題は戦時から残る傷を癒す(いやす)ことで戦後に区切りをつけることだった」と指摘する。



「日本によって被害を受けた各国との関係改善のために、できる限りのことをした」







Reuters

1975年7月に皇族として戦後初の沖縄訪問を果たした皇太子夫妻(当時)






1975年に当時皇太子だった明仁さまは美智子妃と共に、皇族として戦後初の沖縄訪問を果たした。沖縄は日本国内でも特に悲惨な戦場のひとつとなり、一般住民10万人以上が犠牲になった場所だ。



上皇陛下は天皇としてほかに、中国やインドネシアなど、甚大な戦禍に遭った国々を訪れた。さらに、政治的発言は禁止されている立場ながら、戦争がいかに悲惨なものか忘れないよう繰り返し国民に呼びかけた。



第2次世界大戦中の日本軍の残虐行為による被害が特に大きかった国の中には、日本はいまだに十分に謝罪していないし、十分に償ってもいないという主張が残る。この時期の評価は今も、深く割れている。



しかし、平成の時代の日本国内において、皇室の人気は大いに高まった。ルオフ教授によると様々な世論調査で、国民の7割から8割が天皇制の維持を支持しているという。





伸び悩む支持





都内の事務所で取材に応じた「反天連」のノムラさんは、支持者の数は年々減りつつあると認めた。



1980年には抗議集会を開けば3000人は集まったものの、今では新しいメンバーがなかなか見つからないという。



4月29日のデモ行進に参加したのは約80人。行進を取り囲む警官数百人の方が多かった。デモに注目する通行人はほとんどいなかった。







TOSSAPOL CHAISAMRITPOL/BBC THAI

天皇制反対デモの参加者よりも警官の方が多かった(4月29日、都内)






ノムラさんは、人気のない目標に向けて闘い続けていると、寂しいと感じることもあると話す。ただし、天皇制がどういう問題になり得るか、国民を教育することが大事だとも言う。



「経済停滞の続く日本は今、国としてアイデンティティーの危機に直面している」とノムラさんは言う。さらに、安倍晋三首相率いる政府と右派は「天皇を通じて自分たちの権威付けをしようとしている」とも言う。



ノムラさんは健康の許す限り、あと10年は活動を続けるつもりだという。



しかし、前途は多難だ。日本の皇室の系譜は2000年以上前にさかのぼると言われ、天皇の役割は日本社会に様々な形で密接に結びついている。



国民に敬愛される天皇が自ら譲位し、新しい天皇が即位した。多くの国民がこの代替わりに感動し、天皇家に対する親愛の気持ちもいっそう高まった。天皇制廃止の議論はここへきて、おそらく封印されたはずだ。少なくとも次の代替わりの時期までは。





(追加取材:グレイス・ツォイ)





(英語記事 Emperor Naruhito and Japan's lonely republicans





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