日本は破壊的な地震から3年目を迎える準備をしている(DW English):阿修羅♪

日本は破壊的な地震から3年目を迎える準備をしている(DW English):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/13/jisin19/msg/593.html







(Japan prepares to mark three years since devastating quake: DW English)

http://www.dw.de/japan-prepares-to-mark-three-years-since-devastating-quake/a-17472470







日本



日本は破壊的な地震から3年目を迎える準備をしている





最悪の自然災害の1つが日本を襲ってから3年目の記念日が近づく。東北地方の復旧作業は続くが、死亡が確認されているかいまだ行方不明の人が約20,000人いる。









2011年3月11日の出来事は、井戸川克隆氏の記憶の中に焼き付き、消え去ることは決してないだろう。福島第1原発に近い海岸に面した双葉町の町長・井戸川氏にとって、その日は早春の普通の日だったが、その穏やかさは永遠に洗い流されようとしていた。



「私が見たのは、これまでの人生の中で見たことがないものだった」と、67歳の井戸川氏は語った。「役場の4階の窓から海が見えた。波の中に木々や家々があった。」



「そこにあるべきものやそこにあってはいけないものがあった。しかし、そうしたものももやなくなっていた」と、彼は語った。



そのちょうど数分前、井戸川氏は街の海岸と平行に延びる道路を車で走っていた。



「そこを通過するのが少しでも遅ければ、私は今日ここにいなかっただろう」と、彼は認める。





深刻な損害



マグニチュード9の東日本大震災地震が引き起こした巨大津波が、双葉にもたらした損害は深刻だったが、街の問題はまだ始まったばかりだった。轟音を立てて海岸に押し寄せた水の壁は、近くの福島発電所の4基の原子炉の冷却装置をも破壊した。そのために、そのうちの3基がメルトダウンを起こし、膨大な量の放射性粒子が環境中に放出された。





2011年の津波は日本の原子炉に損傷を与えた。





今日、家・田畑・森林の除染を試みる作業が続けられているが、発電所周囲の広大な一帯の土地では80,000人の地元住民の立入が禁止されたままだ。



グリーンピースが実施したこの危機についての事例研究で、井戸川氏は、いかなる災害も福島原発に起こることはあり得ず、井戸川氏も町の住民も安全だと、東京電力と日本政府は請け合っていたと語る。津波によって原発が損壊して8日後−この危機の本当の状況について、諸当局からほとんど何も知らされないまま−井戸川氏は町の人々に家から避難するよう求めた。



彼は現在、東京の北にある埼玉県に住んでいるが、散り散りになった双葉の住民たちとともに、いつの日か町を再建するために取り組みを行っている。





「長い旅」



「私たちの前にある道のりは長い」と彼は語る。「そして、私たちは航行システムのない船のようなものだ。そのメッセージは、目的地を見失ってはいけないと私たちに言い聞かせるだろう。そのメッセージは町民たちに向けられ、彼らを勇気づけるだろう。」





津波で家を失った多くの人々は、まだ仮設住宅で生活している





失われた街・家族・生活の再建に向けた井戸川氏の体験や日々の格闘は、あの大災害から3年を経てもなお、東北地方海岸部のあちこちで繰り返されている。



そして多くの人々にとって、それはまさに格闘だ。



精神衛生の専門家たちは、問題を訴える人々がこの6ヵ月間で急激に増加したことを報告している。震災から3年目の日が近づくにつれ、ストレスが有意な閾値まで高まってきており、それが特に、原発周辺の区域から避難したり津波によって家を失したりした後で、仮設住宅で生活するようになった人々に顕著であると、専門家たちは強く考えている。





数百万トンの瓦礫



発電所近くの除染作業と同様に、最も被害が大きかった福島・岩手・宮城の3県で震災の結果残された、推定1694万トンの瓦礫を除去する作業が続いている。環境省の話では、作業は3月末までに完了する予定だ。





放射性廃棄物の除去などといった除染作業が続いている





政府の取り組みと並行して、ボランティアたちがまだ現場で援助活動を行っている−自分たちが向き合う任務がまだ非常に大きなことに、時々、意気消沈することがあってもだ。



「私は最初、5月に1週間のボランティアで東北に来た」とジェイミー・エルバナ氏はドイチェヴェレに語った。「私は大阪で教師をしていたが、何か手助けがしたいと思っていた。」



「私は災害のあとすぐにここに来たいと思っていたが、素人は邪魔になるだけだから歓迎されないと言われた」と、彼は説明する。「その最初の週の後、私は大阪の職場に戻ったがその次の日には仕事が嫌になった。私は即座に退職した。」



「文字通りシャベルで泥を掻き出す作業だが、私はとても満足しているし、気分が全然違うと心から思っている。」





数百人のボランティア



災害救援NPO法人イッツ・ノット・ジャスト・マッド(INJM)では、 数百人ものボランティアが現在、自分が使える時間や腕力に合わせて多様なプロジェクトに参加しており、冬の間、3ヵ所の主要な区域に焦点を当てて取り組みを行っている。





去年の記念日、地震津波の犠牲者たちを悼んで人々が手を繋いだ





タコ漁の期間、ボランティアたちは地元漁師の舟に乗り込み、獲れたタコを船に引き揚げるのを手伝い、また、収穫した海草も陸揚げする。東北地方の海岸や高台で、INJMは今までに25ヵ所もの児童公園の建設を手伝ってきた。さらに第3の重点活動として、仮設住宅を訪問して家を失った人々の話し相手になっている。



「それはあまり役立っているようには聞こえないが、辺りを回りながらおしゃべりすると、人々はとても喜んでくれる」と、エルバナ氏は語った。「私たちは大げさなイベントの類をやろうとしているのではないのだが、私たちが訪ねるだけで彼らは喜んでくれる。」



今年の3月11日、死者・行方不明者を追悼する記念式典が東京で開催され、政府代表や皇室のメンバーが出席する。



その日の午後2時46分、災害が襲った時刻に、破壊された家があった場所や、波が愛する者たちの命を奪っていった海岸で、東北の人々は死者たちを悼む。







発表 2014年3月4日

記者 Julian Ryall, Tokyo

編集 Sarah Berning












(投稿者より)



ドイチェヴェレの英語サイトに掲載された記事です。誤訳があるかも知れません。ご容赦下さい。



「そのメッセージは、目的地を見失ってはいけないと私たちに言い聞かせるだろう。そのメッセージは町民たちに向けられ、彼らを勇気づけるだろう。」"The message should remind us that we don't lose [sight of] our destination. The message is for my people. It should encourage them."、上手く訳せなかったところであり、「そのメッセージ」ってどのメッセージだろう、とも思ったのですが、そのまま日本語に変換するのがいちばんいいのかなとも思い、そうしました。



「災害救援NPO法人イッツ・ノット・ジャスト・マッド(INJM) 」"the disaster relief non-profit organization It's Not Just Mud (INJM)"、英語日本語でウェブサイトを運営しているようですので、興味がありましたらご覧になってみてください。