原爆から67年、広島は平和を祈る(DW English):阿修羅♪

原爆から67年、広島は平和を祈る(DW English):阿修羅♪

http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/705.html



(Hiroshima prays for peace 67 years after bomb: DW English)

http://www.dw.de/dw/article/0,,16146408,00.html





picture




第二次世界大戦



原爆から67年、広島は平和を祈る






日本では、数万の人々が広島の原爆攻撃の日を記念し、核兵器廃止を祈った。広島の爆撃は、歴史上、いまなお最も多くの命を奪った軍事攻撃だ。



推計50,000の人々が広島平和記念公園に集まり、2カ月のうちに推定140,000万人の命を奪った核爆発の67周年を心に刻んだ。爆風を生き延びた数万の人々は、放射線疾患と潜在的なつながりのある病気のために、その後死んだ。



哀悼者たちは、現地時間8時15分、黙祷を捧げた。1945年8月6日、爆発があった時間だ。



米国のB-29爆撃機エノラ・ゲイは、爆心から半径1マイル(1.61km)以内でほとんど全てのものを破壊する原爆を投下し、市街地の推定4.4平方マイルに重大な損害を与えた。爆弾は、含有されたウラン235が効力を発するもので、「リトル・ボーイ」と呼ばれた。日本当局の推定では、都市の構造物の69%が破壊された。



松井一實(まつい・かずみ)広島市長は、日本が全世界での核兵器廃止の努力をリードし続けなければならないと語り、野田佳彦首相も、ヒロシマの教訓を忘れてはいけないと、人々に促した。





反核運動の高まり



約700の人々が、福島発電所で去年発生したメルトダウンを受け、原子力反対を主眼とした集会に参加した。2011年3月11日、地震に誘発された津波により、発電所の冷却装置が大きな損傷を受け、その結果、数基の原子炉が機能を失った。津波自体により、19,000人が死亡・行方不明となっている。



日本が核兵器を開発したことは1度もないが、化石燃料の資源がなく、人口密度も高いため、戦後は原子力エネルギーに大きく依存してきた。福島での出来事を受け、全ての原子炉は一時的に停止している。野田首相は少し前、国内50基の原発のうち2基で、電力生産を再開するよう命令したが、このために、民衆の抗議はさらに激しくなった。



picture


爆風のために、都市の大部分で多くの人々が死んだ





3日後の8月9日、米国は、日本本土南西部の都市・長崎に2発目の原爆を投下した。1945年9月2日、日本は公式に降伏したが、この動きに原爆がどの程度の影響を与えたかが、今日論争となっている。連合国軍は、日本列島の上で長々と戦闘を続けるより、速やかな降伏を促したことで、原爆は命を救ったのだと、長年主張してきた。



その後数十年、冷戦期の米国や旧ソ連など、いくつかの国で大量の核兵器が開発されたが、1945年の日本への攻撃以降、人口が集まる場所に向けて核兵器が使われたことはない。





msh/slk(AFP, AP, dpa)



2012年8月6日






出来事の画像

日本で、ヒロシマの記念日に、追悼式典が行われた










(投稿者より)



ドイチェ・ヴェレの英語サイトに掲載された記事です。誤訳があるかも知れません。ご容赦下さい。



「連合国軍は、日本列島の上で長々と戦闘を続けるより、速やかな降伏を促したことで、原爆は命を救ったのだと、長年主張してきた。」(Allied forces have long argued that the bombings saved lives by prompting a swift surrender rather than protracted conflict over the archipelago. )当時は日独同盟を組んでいました。ドイツも終戦後、大変な目に遭っています。原爆を落とした側ではないので、このような突き放した言い方ができるのでしょう。



よろしければ、動画もご覧になって下さい。ナレーションはありませんので、見れば分かるようになっています。